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魂のテーマに沿って魂のテーマパークで人生を楽しみたい人

人間は魂を。人間は魂というものを生みだした。
形もないし、実体もないし、定義も曖昧。
でも、「ある」と言われている魂。
「ない」っていう人もいるけど、でも「ある」という人の議論に巻き込まれて、あったりなかったり、あたかも「ある」と考えること自体はおかしくないように考えて、あるなし議論をしている。
魂云々以前に、でもさそういう形も意味もないものに関して議論できる人間ってすごいなって私はいつも思っているよ。人間は信念に生きて、妄想に遊び、現実に殺される。
無名人インタビューは魂の物語を聞いて現実に形としてもたらすものだと思っているよ。だからどんどんどんどん、話を聞いています。
無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 天海亜樹 さんです!

https://lit.link/Aamagai


現在:愛と幸せを広げるっていうのが沸き起こってきて、これがやりたいことなんだみたいな。

あるく:今何をしている人ですか?

天海:現在は、波動を上げて今を豊かに、そして無限の可能性を開く人生好転ナビゲーターということで、天海亜樹というビジネスネームで活動しています。自分らしく、軽く楽に輝いて生きるお手伝いをしております。
スピリチュアル的なことや宇宙の法則的なことを、考え方の根底に置いて、カウンセリング・コーチングみたいなセッションや講座をやっています。

あるく:ありがとうございます。すいません、一番最初おっしゃっていた「波動を上げる」ってどういうことですか?

天海:簡単に言うと、気分よく過ごせるっていうこと。

あるく:なるほど。

天海:全ての物とか事象とか、存在するものって、全部波動でできてるんです。量子力学でも言われてるんですけど、感情とか目に見えないものも全部波動で。周波数でできている。引き寄せの法則なんかも、欲しいものを引き寄せるんじゃなくて、同じ波動のもの同士が引き寄せ合うっていうのが本来引き寄せの法則なんですね。
で、高い波動っていうのはいい気分。感情的に、いわゆるポジティブっていうような幸せとか愛、感謝とか自信とかが高い波動で、ネガティブっていうような憎しみとか恐れ、怒り、あと無力感とかそういうものが低い波動っていう感じです。

あるく:なるほど。ありがとうございます。さっきおっしゃってた他の方のそういう可能性を無限にしたりするっていうのは、具体的にどういうことを亜樹さん自身はなさってるんですか?どういうふうに他の人をサポートしたり、何をなさってるんですか?

天海:やっぱり私もそうだったんですけど、頑張り過ぎて生きてる人が、昭和世代ってとっても多いと思うんですよね。「頑張らなきゃいけない」「頑張るのが当たり前」っていう方が多いんじゃないかなって。頑張らなきゃいけない、何々しなくちゃいけない、こうあらねばならないとか、そういう生き方をしてきてしまった。

けど、本当はそんなに頑張らなくても、頑張らないで肩の力を抜いた方が人生うまく回っていくっていうのを、お伝えしていくっていうか。それで、どんどん幸福感を実感しながら生きていくことができる。必死に頑張る生き方を、楽で楽しい生き方に変えるっていうことかな。

あるく:なるほど、ありがとうございます。その一番最初に亜樹さんご自身のメッセージというかテーマをおっしゃっていただいたと思うんですけど、亜樹さんご自身が語っておられるメッセージ、テーマの部分についてもう少し聞いてもいいですか?

天海:人の魂っていうのが、元々宇宙から来てるんじゃないかなって考えるようになりまして。それも潜在意識の奥の方で、本来生まれたばっかりの生まれてきたままの魂っていうのは、愛と輝きの存在なんだって。そこにもう生まれてすぐからいろんな経験とか感情っていったものが、潜在意識にどんどんどんどん入っていくわけです。そこでいろいろ、泣いたけどおっぱいもらえなかった悲しいだとか、そういうことからね、小さな出来事もどんどん潜在意識に入っていって、それがネガティブな思い込みを作っちゃうんですね。

その思い込みに気づいていくと、発想が転換していく。捉え方が変わっていくよっていうことなんですけど。元々持っている魂っていうのが、もういろんなことに押し込め押し込め、押し込められてギュウギュウになって、もう息できない出てこれない状態になってしまっているところを、潜在意識の中をちょっと整理整頓してクリアにしていって、そこの思い込みに気づいていくと、ちょっとずつ気付きが起こるごとに、心の中がふわって軽くなっていく。そういう体験をしてきたから、それを伝えたいっていうところなんですけれども。
どんな人でも幸せになれる、っていうことですね。「頑張らないと幸せになれない」とか、「思い通りに物事が進んでないのは、自分の頑張りが足りないんじゃないか」とかって思ってしまうことが往々にしてあると思うんですが、そこをちょっと手放していいんだよっていう感じですね。

あるく:ご自身がそういう経験をなさったっておっしゃってたと思うんですけど、何か具体的にどういうときにこういう経験があったとかってありますか?

天海:20歳で最初の結婚をして、離婚前提の別居っていうことになったときにうつ病になってしまったんですね、まず1回。で、3年ぐらい経って、やっと私の決心がついて、離婚しますってなってから、今の主人に出会って再婚して。それで出産子育てってしてたんですけれども、その後でまた今度は仕事をしている中で、うつ病が再発しちゃったんです。それで仕事を辞めることになって、それからずっと15年ぐらい家に引きこもりみたいな感じで。

そんな中で、2020年に循環器系の難病が発覚して、今、酸素を必要としているんですけど。動き回らなければ問題ないっていうことで、オンラインで活動してるんですが。
その難病ってわかる前、うつ病からの引きこもり状態っていうのは、「自分なんかどうでもいいや」みたいな感じで、生きてきちゃったわけですね。「どうせ自分なんかどうなっても」みたいな。息切れとかの症状はあったにも関わらず、病院に行くっていうことをしなかったんですよ、実は。

あるく:うんうんうん。

天海:でも、2年も3年も病院に行かずに、だんだんこの症状がひどくなっていくわけです。たまに外に出て横断歩道を渡り切れなかったり、洗濯物を干すくらいでハアハアする、みたいになってきて。それでも病院に行かずにいたら、軽い脳梗塞で入院せざるを得ない状態になりまして。そこで検査や何かをして、この循環器の病気も診断されたっていうことなんですけれども。
そこで、落ち込まなかったんですよね、なぜか。難病って言われても、「こんなに自分でほったらかしにしてたんだから、酷くなってもしょうがないよね」って、受け入れちゃったんですよね、病気になったということに関して。

なぜかすんなり受け入れることができてしまって。そしたら、「ここまでくれば本気出すだろう」ってどっかから声が聞こえたような気がして。本気で生きてなかったかなっていうふうになって。軽い脳梗塞っていうのがなければ病院にも行ってなかったわけだから、脳梗塞のおかげでこういう大変な病気がわかったっていうことで、すごい感謝になったんです。難病だったんだけども、この病気がわかったっていうことに対して、すごい感謝っていうところになっていって、じゃあこれからどういうふうに生きていこうかなみたいに、ちょっと生きる方向に気持ちが向いたわけなんですよ。それまでは「もう、どうでもいいや」みたいな、「自分なんてどうせ」っていうやつだったんですけども。それがちょっとこう軽くなったというか。なんていうかな、もう頑張らなくていいやっていうふうになった感じ。それまでは「頑張ってもどうにもならない自分なんか、もうどうでもいい」「どうせ頑張れない自分なんだ」って感じだったんですね、多分。それが「この状態で、もう頑張らなくていいんだ」って、なったのかな。

そこから、「だけど頑張らないで本気でって、どう生きていこう?」みたいに思って。そしたらいろんな情報が目に入ってきて、タイミングよく出会いとかがあって。何か気持ちが動くものをどんどん始めていった感じなんですね。そこで、自分の心というか魂、自分が元々持ってたもの、本当の自分を取り戻していく感じになり、いろんなこうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないって、どれだけ自分で自分の首を絞めてたのかっていうことに気がついていき。

で、スピリチュアル的な学びみたいなのも、どんどんすんなり自分の中に入ってきて。で、いろんな宗教とか、物理、科学とか、哲学とか心理学とか、いろんなことがあるけれども、いろんなことはそれぞれいろんな角度から言ってるけど、もう宇宙の中での存在、人としての存在としては、みんな同じことを言ってるんじゃないかな究極的には、みたいなところで、何かストンと落ちて、すごく楽になっていった感じ、私は。これ何の話でしたっけ?

あるく:ちゃんと伝わってます。大丈夫です。

天海:はい。

あるく:ありがとうございます。自分が、ご自身がそう気づいたっておっしゃったと思うんですけど、そこでただ気づいて終わるんじゃなくて、他の人にもっと伝えたいとかこの人のサポートしたいっていういうふうに変換したのは、なんでなんですか?

天海:それですね、エッセンシャルコードっていうのに出会ったんです。自分の本質に沿って生きる生き方の講座に出会って。その講座の中でいろんなワークをやったりするんですけれども、自分の本質に繋がるっていう、本質っていうのは、自分の心の奥底に本来持ってるものっていうことになると思うんですけど。このワークをしたときに、「愛と幸せを広げる」っていうのが、めっちゃ湧き上がってきたんですね。

あるく:なるほど。

天海:愛と幸せを広げるっていうのが沸き起こってきて、「これがやりたいことなんだ」「これをこれから私やっていくんだ」みたいに、すごく「自分ってこれなんだ」みたいなところを取り戻した、発見したって感じになったんですよ。
それで、この愛と幸せを広げるってどうやっていったらいいのっていうふうに、また今度は方法をどうしていくかみたいなところの学びも始まったりとかして。そういう中で、本当にちょっとした気づきで、本当に心の中がこんなに軽くなっていくんだっていうのを自分でも体感していったので、こういうことを伝えていければいいんだなっていうふうに思い始めた感じですね。

あるく:オンラインで活動されているとおっしゃってたと思うんですけど、オンラインでどういうことをなさってるんですか?

天海:Zoomでなんですけど、個別のセッションとか、継続的なセッションとセミナーをあわせた講座とか。単発でミニセミナーやワークみたいなことをやったり、オンラインイベントにカードリーディングで出てみたり。そんなことをしていますね。

あるく:あ、カードリーディングもされるんですか?

天海:はい。チャネリングと、オラクルカードリーディングと、カウンセリングと、コーチングを習ったんです。習ったっていうのは、自分らしい幸せな生き方ってひとりひとり違うわけで、やっぱり個別にセッションできるっていうことが必要だろうと思って、そういう基礎になるようなことを学んだんですよね。
で、その辺を軸にしてというか。一般的な言い方をすると、自己肯定感アップと、自分軸の確立っていうことが、自分らしく生きる土台になる。生き方の土台作り、気づきのきっかけになるようなお手伝いをしていく感じです。

あるく:今までどういう方が参加されたとかありますか?

天海:やりたいことがわからないとか、やっぱりずっと頑張って生きてきたんだけど頑張らない生き方っていうことに興味があったっていう方とか。人の顔色をうかがっちゃうとか、人の意見に左右されちゃうとか。仕事を変えたいけどどうしようか迷っているとか、ご主人の仕事の問題と親との同居の問題を乗り越えたい、そんな感じの方もいらっしゃいましたね。

あるく:ありがとうございます。亜樹さんご自身の今の生活の中で、時間的にでも精神的にでも占めてる割合が大きいものってなんですか?

天海:やっぱり、その活動ですかね。そのためのこと。2020年に病気が発覚して、2021年からもうオンラインのイベントに出店したりとかして動き始めてはいるんですけど、それでも経験としてはまだまだ短いわけだし、その発信力みたいなのもまだないから、その辺を。いろんなSNSをやってみるとか、イベントの準備したりとか、ブログの記事を考えるとか。結構そんな作業をしていることが、ほぼほぼ生活の中です。

あるく:なるほど、そうだったんですね。それ以外のお時間って、今何をなさっていることが多いですか?

天海:YouTube見てるのが多いですね。

あるく:どういうものですか?

天海:この難病発覚前は、YouTubeで怪談朗読のチャンネルを聞いてたんです。YouTubeだけど、朗読だから、動画でわちゃわちゃするのじゃないので、心が疲れなかったんですね、それが。怖い話ではあるんだけど、驚かす系ではなくて本当に淡々と作品を読む感じの朗読だったので。結構落ち着いた語り口とか声が良くって、そういう怪談朗読のチャンネルをよく聞いてたんですけど。
最近ではその他にも、やっぱりスピリチュアル系を多く見るようになってきましたね。あとね、動物園の動物たちを見ています。

あるく:あぁ。それはなんでですか?

天海:旭山動物園のライオンの動画を見たのがきっかけで。ライオンの子供が生まれたときから成長をね、日々アップしてくれる人がいて。人っていうか、そういうチャンネルがいくつかあって。割とそこを日課のように見てたりして、子供のライオンの成長する姿を親のような気持ちで眺めているっていう。

あるく:なるほど。ありがとうございます。

過去:どんなことも意味があって、全部実は幸せに繋がってるんだよねっていうところに、自分が行き着いたみたいな感じですね。

あるく:子供の頃は、どんな子でしたか?

天海:子供の頃は、真面目な良い子だったと思います。良い子になろうとしてたのかな、っていう感じですかね。小学校低学年までは、すごく内気っていうか、人見知りっていうか、内弁慶なところがあったんですけど。
小学校のね、3年生ぐらいから、なんか吹っ切れたみたいに、急に表に出ていく性格になった感じで。それからは結構学級委員みたいなことやったりとか、演劇部入ったりとか、そんなふうになっていったんです。

あるく:うんうん。

天海:そうですね。5歳年下の弟がいて、歳が離れてるから兄弟げんかとかすることもなく。おじいちゃんおばあちゃんも一緒に住んでたので、割とおじいちゃん子だったかな。小さい頃はそんなだった気がしますね。

あるく:もちろん。演劇とかに参加するようになったっておっしゃったと思うんですけど、それは自分の中で何か変化があっていろいろ参加するようになったんですか?

天海:変化ね、どうなんでしょうね。表に出て行きたいとかっていうのは、元々そういうところがあったのかもしれないんですけど。担任の先生が男の先生になったっていうのも、ちょっとあるのかな。すごい豪快な男の先生で、なんか刺激されたのかなんかわかんないけど。演劇は、劇団四季のこどもミュージカルを見て、「やりたい」ってなったんです。

あるく:いろいろ参加してみて変化はありましたか?

天海:そうですね。充実感みたいなのがすごいありましたね。

あるく:真面目な子だったっておっしゃってたと思うんですけど、当時はどう思ってましたか?

天海:真面目でした。真面目っていうか、母親が勉強しろ勉強しろうるさくって。テストがあれば「100点取れ」みたいな感じだったんで、一生懸命やっぱりそれに応えようとしてたかな。良い点を取らなきゃと思ってました。で、結構、先生ウケのいい子でしたね。
あとは、小中では結構、正義感が強いところも。決まり事はちゃんと守らなきゃみたいなところがあったりしたかな。

あるく:当時のご自身は、それに別に何か無理に従ってるって感じるわけでもなく、その自分が自分自身に対してはどう思ってたと思いますか?

天海:うん、やっぱりその辺は自分自身に対しても、無理してってことじゃなくそれが当たり前っていうか。「ルールは守るもんでしょう」みたいな真面目な正義感。だから、そこから外れたことをしたいっていうのはあんまりなかったですね。

あるく:なるほど。今振り返って、その子供のときの自分に対して思うことありますか?

天海:そうですね。そんなに頑張らなくても、大丈夫なんだよっていう感じですかね。でもその頃は多分、そんなに頑張ってる感覚はなかったんですよね。だから、勤めに出る前は、今のこの楽になってきた状態っていうのと近いのかもしれないと思います。

あるく:先ほど、お仕事とか20代最初が、すごい苦しかったとおっしゃってたと思うんですけど、その当時のことってお聞きしても大丈夫ですか?

天海:その頃って、仕事とかもね、嫌じゃなかったんですけど。20歳で結婚して、最初の結婚から別居になった時に、それまでの人生を全否定されたような、自分を全部否定されてしまったような気がしてしまって。そこでうつになったんですけど。その20何年間の人生が、全て否定されたみたいな気持ちになってしまった。っていうところが、一番。一番苦しいところはそこだったんだなぁ、やっぱり。

あるく:ありがとうございます。今までの人生を振り返って、小説みたいに物語の転換期で章を切るとしたら、どこで切って分かれますか?いくつあっても大丈夫なんですけど。

天海:え、いくつあっても大丈夫?いくつあっても大丈夫だと、幼少期と、小学生。高卒で就職しているので、中高生。あと結婚前半と、別居後と。今の主人に出会ってからと、仕事を辞めることになったところで、一回区切れるかな。で、何かずるずる引きこもっていた難病発覚まで。そんな感じで分かれると思います。

あるく:なるほど。それぞれで分けた理由を簡単にお聞きしてもいいですか?

天海:幼少期は、よくわかんないけど幸せだったんだろうなみたいな感じで。学校行ってる頃は、なんだかんだ言いつつ、結構自分のやりたいことはやってた気がするし、のびのびしてた気がするなっていうところ。
で、結婚するときも、別にそれは早くても結婚したかったからしたので、最初は幸せですよね。そこからの、離婚ってなったところでちょっと落ちるんだけど。
再婚相手にすぐ出会ったっていうのは、そういうタイミングだったのかなっていうのも思うんですね。ちゃんと自分で、離婚するっていうことを決めたら出会った、みたいな感じなんですよ。そこを決められずにグズグズと3年ぐらい過ごしてたんですけど、そこから自分が、もうしょうがないって思って決めたら、次の人と出会えたみたいな。そんな感じが今はしているんですね。で、出産、子育てって嬉しいことですよね、ずっと。

仕事を辞めることになったのは、仕事自体はすごく良かったんですね。仕事自体は好きで、職場の人間関係もすごくよくて。なのになんでこんな鬱になるんだって、そこでまた自分を責めてたんですけど。
その後になって思えば、自分の理想を高く持ちすぎて、それこそ「自分がもっと頑張れば」もっとこの職場良くなるはずだとか、もっとこの仕事がやりやすくなるはずだとか、もっとこれもこれもあれも自分がやれれば、やれたらもっと良くなるみたいに思って、現実はそれをできない自分っていうのが、頑張っててもできない自分みたいなところで、自分を責めるようになって、鬱になってったんだなっていうふうに。後から考えれば、今思えばそんな感じ。
でも当時は、「何で?」って。なんでこんなにいい条件の中にいるはずなのに、なんで自分こんな仕事行けなくなっちゃうとか、何これみたいな。そういう自分の中の訳のわからなさみたいなのがすごいあったんですけどね。

あるく:なるほど。ありがとうございます。再婚なされたときの旦那さんって、どうやって出会ったんですか?

天海:そのときは演劇の関係で会いました。

あるく:なるほど、演劇の関係?

天海:演劇をね、ずっとやってたんですね。

あるく:なるほど。

天海:演劇を、社会人のアマチュア劇団でずっとやってて。その関係で、よその劇団に出る機会があって、そこで出会ったんですけど。その演劇を続けてたのも、最初にうつ病でかかったお医者さんが、「好きなことをやりなさい」って。自分を褒めるとかいろいろあったんですけど、できないことばっかりになってたその時の状態で、「まず好きなことだけやって動き始める」っていうのを言われて。
それで、好きだから続けられたのが演劇だったっていう感じです。

あるく:ありがとうございます。今までの過去の部分で話し残したこととか、これも自分にとって影響が大きいなみたいな部分はあったりしますか?

天海:影響っていうか、そうですね。最初の旦那のお母さんのすすめで、創価学会に入ったんですよ。そこで仏法の教えみたいなもの、自分とご本尊様と宇宙が繋がっているっていうことを、そこで学んだんですね。

あるく:ええ、ええ。

天海:何ていうのかな、他の人から見たら、大事な部分は違うかもしれないんだけど、私はその時そこがすごく納得がいって。
今になって、仏法の教えというか、仏教で書かれている宇宙と人間との繋がりみたいなところは、いわゆるスピリチュアルで言われているようなこととか、量子力学で言われていることとか、全部同じところに繋がってくるっていうふうに思ったんですね。

それで何か、すごく頭の中で、自分の中ですごいなんかもう、いろんなことが繋がり合ったっていう感じになって、そこからどんどん腑に落ちていった。だから、それと出会うために、最初の結婚があったのかもしれないなとか、この難病になって今こういう生き方をするために、二度目のうつ病からずっと引き籠ってた期間もあったのかなとか。自分がそこで休憩したかったのかなとか。そんな、過去のそういうことが、全部意味があったことっていうふうに思えるようになったんですよね。それもだからすごく楽になったところなんですよね。もう全部意味があるんだなって。どんなことも意味があって、全部実は幸せに繋がってるんだよねっていうところに、自分が行き着いたみたいな感じですね。そういうのがあって今があるっていう。

あるく:創価学会の教えで、なんか楽になったのは、全部意味があるって気づいたから安心したっていうことですかね?。

天海:うん、そうですね。その創価学会の教えで楽になったっていうよりは、創価学会の教えがそういうものだったから、いろんなことが今繋がって、こういう活動をやっていこうっていう気持ちになっていったんだろうなって、思うんですね。
なんだろう、創価学会を広めるっていうようなことではなく、そういうところをもう超えた、もっと世界規模みたいな、もっと宇宙規模みたいな、みんなの意識改革、魂の目覚めが必要だなっていうことに行き着いた感じで今があります。

あるく:なるほど。ありがとうございます。何か他に話し残した部分があったりしますか?

天海:過去の部分はそういう感じです。

あるく:はい、わかりました。

未来:魂がね、本当の自分の魂が実は経験したかったことかもしれないなって。

あるく:5年後10年後、そしてそれよりも未来のことを想像したときに、どんなイメージがありますか?

天海:風の時代っていうふうに言われているし、もう本当に1人でも多くの方に心を軽く、自分らしく、輝く生き方をしてもらえるように、そういう出会いも増えていって、1人でも多くの人に生きる楽しさや幸せを実感してもらって。愛と豊かさの、幸せにあふれる世界になっていく、していくみたいな。

あるく:自身の未来はどんなイメージがありますか?

天海:私自身も、そうですね、そういう共感してくれる人たちに出会い、サポートされたりとかして、その中でやりたいことをやっていく。やりたいことっていうのは、自分らしい生き方をしていきたい人に出会って、1人でも多くの人に愛と幸せを実感してもらう、本当の自分で輝いて生きてもらうっていうところなんですけど。5年後10年後、本を書いたりとかもするかもしれないし。10年ぐらい経ったら、講演会みたいなところに呼ばれてるといいかな。

あるく:亜樹さんが想像している、その亜樹さんにとってのみんなが幸せで明るい未来って、どういう状態だと明るくて幸せな状態だと思いますか?

天海:1人1人が、自分らしい生き方、本来の自分が持ってる魂のあり方。その1人1人がね、魂のテーマっていうのを持っていると思うんですね。それが得意不得意だったりとか、その人の特性みたいなものだったり価値観みたいなものだったりすると思うんですけど。そういうのが、今とか今までっていうのは、みんなが均等であることで輪を作っていた。同じ人たちと、同じだから塊を作ってた。そういう塊だったのが、今後は、1人1人が自分の好きなことやりたいこと、魂のテーマに沿ったことをやっていけば、でこぼこがあってもでこぼこがうまくかみ合って、よく例えられるけど、ジグソーパズルみたいにいろんな形のいろんな人たちが、それぞれ自分を生かしていくことで、実は全体的な調和のとれた世界になるっていう。

あるく:うんうん。

天海:それってみんなが幸せ。自分らしい生き方、自分がやりたい自由な生き方、魂が望む生き方をしてれば、無理して頑張る必要ないわけですよね。やりたいから、多少のことは頑張れるじゃないですか。好きなことややりたいことだったら、そんなつらさはないですよね。周りが見てすごい頑張ってると思っても、本人は別につらくはないみたいな、好きだからやってるっていう、そういう生き方っていうのがみんなができるようになるんじゃないかと。そういう生き方ができれば幸せじゃないですか。

あるく:うんうんうん。

天海:そういう魂のあり方の人たちって、最初に言った波動のね、そのご機嫌な、気分のいい、波動の高い状態。波動を上げていくって、どんどん幸せになっていくってことで。そういう人たちが自分が見えてる世界の中に、どんどん増えていくから、そういう世界になっていくっていう。そういう波動が伝播していく。幸せな人の幸せな波動が、どんどん周りに広がっていく。だから、だからこそ、幸せを実感できるっていう人たちを増やす、増えていってほしい。それが、未来、幸せな未来像。

あるく:なるほど。なんか今まで亜樹さんに相談にきた方に伝えてるメッセージとかってありますか?

天海:心の声を聞く。自分の人生は小さな選択の積み重ねで、実はいくらでも自由な選択ができるから無限の可能性になってるんだけど。その自分が決めるっていうときに、自分の心の奥で本当にやりたいっていうところを選んでいくと、間違いなく幸せへの近道になってる。そういう生き方ができるっていうことですね。

あるく:ありがとうございます。もし、亜樹さん今までの、離婚だったり病気だったりっていうとてもしんどい時期がなかったら、どういう人生になってたと思いますか?

天海:なかったら?なかったらどうでしょうね、こんなに一生懸命広げようと思ってなかったかもしれないですね。だから自分だけ幸せに生きていたかもしれない。そういういろんなことがなく、自分は自分らしく何となくやりたいことを続けてこれた時代のまま、やりたいことをやってるだけだったかなっていう感じですね。

あるく:やりたいことをやってるだけ。

天海:そうそう。何か自分が、自分1人で自分のやりたいことをやってるだけだったかなって。いろんなことをいろんな経験をしてきて、もう1回取り戻させられた、本来のあり方みたいなものを取り戻したっていう経験をもって、それを伝えていきたいっていうふうになった感じじゃないかな。

あるく:他の人にも伝えたい?

天海:うん。それが役割だみたいな気持ちになってきたっていうのは、

あるく:なんか亜樹さん自身のその魂の声っていうか、やりたいことって何ですか?

天海:愛と幸せを伝えて広げる。(笑)

あるく:なるほど、それがやっぱり、自分の魂がやりたいことなんですね?

天海:そうですね。やりたいことを、自分はやっぱりそういうやりたいことを選んでいけるといいなって。無理して我慢することをやめていく。無理して頑張るっていうことをやめていい。自分もそういうふうにやめていく。

あるく:もし何か苦しいときがなかったら、自分が幸せになるために生きてたと思う、自分がやりたいことだけやってたと思うっておっしゃってたと思うんですけど、そのときの亜樹さんやりたいこととか、何か何をやってたと思いますか?

天海:演劇をただただ続けてたかもしれない。かもしれないし、何か違う形で、こういうっていうか、ちょっと真剣に生きなさいよみたいな出来事が起きてたかもしれないですね。

あるく:なるほど、結局。

天海:結局ね、結局目を覚ませみたいに。そんなことが起きてたかもしれないし。

あるく:うん。

天海:そうそう、それで魂がね、本当の自分の魂が実は経験したかったことかもしれないなって。その離婚とか鬱病とか、この難病とかっていうのが全部、実はやりたいことをそこで選んでただけかもしれないって、そんなこと思うようになりました。

あるく:なるほど。実はやりたいことだったかもしれない。

天海:実は経験したかっただけみたいな。

あるく:うんうんうん。ありがとうございます。こちらからの質問は以上になるんですが、最後に何か、読者向けだったり自分対してだったり、何でもいいんですが言い残したこととかってあったりしますか?

天海:今は特には無いかな。本来の自分を取り戻すっていうことと、魂のテーマがあってその魂のテーマに沿って生きていくと、本当に楽しむ、人生を楽しんで生きるっていうことができると思うので。
魂のテーマパークって言ってるんですけど。魂のテーマに沿って、テーマパークで遊んでいるかのような人生になるっていうね。

あるく:うんうんうん。

天海:それぞれが、自分の魂のテーマのテーマパークを持っていて、好きなように遊んでもいいし、好きなようにジェットコースターに乗ったり、好きなように新しい遊びも作れるし。誰かゲストを呼んでね、お料理振る舞いたいとかいうのも、テーマパークで言うところのレストランみたいだったりとか。
なんかそういう、1人1人が、自分のテーマパークって自分で好きなように自由に作れるんだよって、ことです。

あるく:なるほど。魂のテーマパーク。ありがとうございました。

【インタビュー・編集:あるく】

【編集:mii】

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