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いずれコロナ禍が終わって落ち着いた頃に新しい世界を作っていきたいなって思ってそれを楽しんでできる仲間を今のうちに増やしている人

世界を変えるのは誰か問題?! 善とか悪じゃねーのよ! 利他とか利己でもねーのよ!
正義でも、大義でも。独善でも、独裁でも。そんなんじゃねーのよ。
無名の主婦たちが世界を変えるのよ!!!
無名の主婦たちって何? 傷つき、もがき、それを乗り越えてきた者たちのことだヨ!!!!!
これは理屈じゃない。死んで、生きかえってしまったものを人間は崇める生き物なのだ。そうやってここまで存続してきたのが、人間ってことなのだよと。
原発いじめのくやしさをバネにしてがんばってきた人もいる。海外から帰ってきたいじめの理不尽さをバネにしてがんばってきた人もいる。シングルマザーの苦しさをバネにしてがんばってきた人もいる。
そういうこれまで報われなかった人たちって、一人一人はちっぽけな存在だけど、その人たちを集めたら、光の柱になるんじゃねーか?

新世界じゃん!ということで、人々が人々のために人々として人たらんとするために、変化は必要なんです。で、その変化を起こす者は、二元論とかそういう次元の話ではなく、苦難困難艱難辛苦を乗りこえてきた者なんだと思うんですよね。
傷つき、その向こうを走ってきたやつっていうかさ。
ということで今日も今日とて無名人インタビューをお楽しみくださいませ!!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 亮子 さんです!

現在 : 私、遊ぶように仕事をしたいと思ってて。

のの:今、何をされている方ですか?

亮子:一言でちょっと言えないぐらいいろいろやっていて。
わかりやすいのは保健師という資格を持っているので、月に一度だけなんですけど、赤ちゃんの計測、つまり身長と体重を測ったりしてます。プラス、来ているママたちの育児相談に乗るっていう仕事は、一応専門職としてやっていて。
メインはですね、概ね主婦だったりもしますが、いろんなイベントを企画してやっています。
例えば自宅サロンって言うとかっこいいですけど、普通に自宅の居間を使って、整体師さんを呼んで体のことについて学ぶ講座をやってみたりとか。あと、一応保健師なので、健康に関する情報とかを発信する仕事をしてますね。自分の受けたい講座の講師を呼んだり、自分も喋ることもあるし、あとこれはいいなって思った商品を紹介するために、1軒家のサロンをお借りしてマルシェをやってみたりとか。
それと、これはいいなと思う映画があったら自主上映会をやったりとかもしてます。

のの:なるほど。本当にいろんなことされてますね。

亮子:そうなんですよ。亮子ちゃんは何屋さん? って聞かれますが、何だろうっていつも一言で言えなくて困ってます。

のの:それは何か仕事としてですか? 趣味として?

亮子:正直どっちもですね。持ち出しになるようなことはしないんですよ。続かなくなっちゃうから。だけど、かといって儲かってるかっていうと、そこまででもなく。でも一応収入として得る部分もあるから、自分の中では仕事と思ってやってますけどね。
あとはお気に入りのハーブティーがあるので、それを広めることもやってます。

のの:ご自身の中で、特に今これをしていきたいっていうか、特にこれは頑張ってるってこととかありますか?

亮子:そうですね。私、遊ぶように仕事をしたいと思ってて。で、仲間と遊びながら、それが仕事になったら一番じゃないですか?だから、今は一緒に、なんて言えばいいのか、ビジネスパートナーっていうとすごいなんかバリバリ仕事してる感じだからちょっと違うけれど、このハーブティー広めていきながら、その仲間と例えば山に登ったりとか、この前は滝壺をジャンプしてみたりとか、大衆演劇を見に行ったりとか…。
このコロナ禍で交友関係が広がっていきにくい雰囲気があったけれど、だからこそ敢えて、あんまり相手のことをジャッジせずに心地よクライアント付き合える仲間を作っていこうっ思っていて。
で、いろんなイベントをやったり参加したりしながら、何か商品でも繋がっていこう…みたいな感じで活動しているので、今それを楽しんでる感じですかね。

のの:特にこれっていう趣味とかはないですか?

亮子:趣味って言われると、今やってるいろんなイベントをやるっていうこと自体がほんとに趣味で。全然、山登りとかするタイプじゃなかったんですけど。

のの:そうなんですね。

亮子:そうなんです。始めたのは最近なんですけどね。だから今すごい筋肉痛です。元々そんなに運動するタイプじゃなかったのに、山登り始めて筋肉痛をよく起こしてて。

のの:じゃあ、仲間がいたらなんでも楽しめるって感じなんですかね?

亮子:そうですね。ちょっと先になりますが、いずれコロナも落ち着くと思うんですよ。いろんなことが今ってどんどん明らかになっていって、社会の仕組みが大きく変わるんじゃないかなって思ってるんですよね。
結果としていろんな破壊が起きた後に、社会を作り直していくようなことになるんじゃないかなって私は思っていて。で、今ちゃんと心が繋がって信頼できる仲間を作っておけば、新たな段階のときに、すぐにその仲間と再生に取り掛かれるだろうと思うんですよ。そういうことを考えながら今は仲間づくりを楽しんでます。ちょっと抽象的な感じですけど。

のの:ご自身でそういうイベントを開催するっていうのが好きなんですか。

亮子:そうですね。いいものはいいって紹介したいなって思うし。「こんな人がいてこんなことができるんだよ」っていうことを知らせて、ご縁を繋ぐのが多分趣味でもあるし。みんながいろんな才能を発揮して、展開していくのを見ているのが好きなんだと思うんですよね。
そうやって本当はご縁を繋ぐ役割の人って、変な話、それだけで今ビジネスの形を作れてる人ってすごく少ないと思うんですよ、私も含めて。
例えば、AさんとBさんがいて、この2人会わせると何か面白いことが起きそうだなと思って私が会わせる場を作ったとしても、AさんとBさんに紹介するのに2万ずつちょうだいとかって言うのって、何かおかしな感じじゃないですか、この日本だと。
でも、実はそうやってAさんとBさんが出会ったからこそ化学反応が起きて、すごいことができちゃう。でも、その出会いのきっかけを作った役割の人が報われるような社会構造になってない。
それがちゃんと将来的に仕事にできるといいなと思ってますが、人を紹介するくらいは当たり前って感覚で、日本人は普通にやってる人が多いのかな。そこに、ビジネスの視点が入ってない人がいっぱいいるからね。なので、その分野はまだまだ模索中な感じです。

のの:でも面白いですね。

亮子:そうですね。もしかしたら、ののさんが今までの話を聞いて、何か掴みどころがないなって思ってるかもしれないですけど、多分言った方がすっきりするかなと思うので言いますね。私の中にちょっと抵抗があるから言わなかったんだと思うんですけど、いわゆるそのハーブティーってネットワークなんですよね。
私、正直大嫌いだったんです、ネットワークビジネスって。それを仕事にするのって人としてどうなの?ぐらいに思ってたから。でも今、自分が携わってることが、とっても不思議なんだけれども。私が元々思っていたネットワークビジネスのギラギラ感みたいなものが、現時点で全く無くできている実感があって、今話してたようにいろんな人のご縁繋ぎをしているんですよね。
別にお茶を飲んでるとか飲んでないは関係なく、私はどんどんご縁つなぎをやっていて。よいご縁がつながると、人は輝き出すのだけど、それってめちゃくちゃ楽しいなって。「このお茶がご縁を運んできたりするのよ」って伝えると「だったら私も飲んでみたい」っていう人が自然と出てきて、勝手に増えるって言ったら変なんだけれども、実際にはそんなことが起きてます。
不思議なことにお茶が触媒になってご縁が繋がって行くんです。まだ私はそれが大きな収入になっている訳ではないのだけれども。
でも続けていけば、いずれ形になるだろうって思ってやってるのが今の現状ですね。

のの:詳しくありがとうございます。

亮子:いえいえ、すいません。なんかまどろっこしかったなと思って。

のの:最近何か、これが一番楽しかったなってことありますか?

亮子:そうだな。この前、キャニオニングに行ったんですよ。滝壺のジャンプとかウォータースライダーやったんです。それが強烈でした。楽しかったなぁ…!

のの:何が強烈でした?

亮子:実は私、高所が嫌いなんですね。高い建物の中から外を見る、例えばサンシャイン60じゃないけど、そういうのは全然大丈夫。落ちることないから安全って思えるから。
だけど崖とか嫌いで、滝壺ジャンプって、一番高くても、そうだなあ、5-6mのところから滝壺に落ちる感じだから、別に死にゃしないわけですよ。でもやっぱり、下を見て5-6m先に水があって、そこに自分から飛び降りるというか、落ちていくのって、高所が怖い人にとってなかなか勇気がいるんですよね。
でもなんか自分の中で「何か変わるかもしれない」って感じて、恐怖を手放して飛び込んだら、違う感覚が得られるかもしれないって思って、あんまり深く考えずに仲間が行くっていうから申し込んだんですよ。
で、実際に落ちたらめちゃくちゃ怖いんだけど、それも一瞬だし、何か知らないけど、飛び込んだ後は爽快で楽しいんですよね。滝壺から浮いてきたときに「やった、できたぞ」っていうちょっとした達成感があって。鼻に水は入って痛いんだけど。日本だとこんな風に非日常を味わうことをやってる人は少ないと思うんだけど、なんか生きてる間にこういう普通の生活ではやらないようなことをやるって、大事だなって思いました。

のの:なるほど。結構チャレンジャーですね。

亮子:今回は頑張ってチャレンジしたなぁ…。でも、面白かったです。

過去 : 全部何かと母親が絡んでいて。

のの:過去についても聞いていきたいんですけど、子供の頃は、どんなお子さんでしたか?

亮子:私ね、子供の頃と今は全く別人格なんですよ、実は。人格が違うって言ったら変だな。同じ人ではあるんだけれど。
おそらくですね、影響したのが、私2歳半のときに親の転勤でニューヨークに行って、そして5歳の途中の、幼稚園の年長の6月っていうすごい中途半端な時期に日本に帰ってきたんですね。
まずニューヨークに行った時は、言葉が分からないところに放り込まれて、向こうで言う保育園とか幼稚園みたいなところに入れられて。
そこでちょっと黒人の女の子に同じロッカーなのに使わないでっていじめられたりしたし。今度日本に帰ってきたら帰ってきたで、いきなり年長クラスに入れられて訳がわからなくて。で、さらに小学校1年の時に引っ越しして、1人も友達のいない小学校に入れられて。小学校1年のときは、私は学校に行っても一言も喋らないで帰ってくる日が多いぐらいの子だったんです。
いわゆるネクラだし、周りが何をやってるのか全くついていけなくって。おとなしいけど成績がひどくて、状況が全くつかめてないっていう。今で言ったら、自閉症かなって思われるぐらいおとなしい子でした。喋らないし、何かと反応が悪い幼少期でした。
今はベラベラ喋ってるけど、嘘のように静かでしたね。

のの:そうなんですね。その頃、ご自身の性格を自分でどう思ってたとか覚えてますか?

亮子:毎日つまらないと思ってたし、母親が本当に厳しくって、常にイライラしてるタイプだったから、家にいるときは常にビクビクしていて、学校に行っても多分そのまま周りにビクビクしていたっていう感じですね。
今思うと、過酷だったな…って思いますね。

のの:その頃、日本語自体はお話できてたんですか? 日本に戻ってきて。

亮子:うんとね、家で喋ってるのは日本語だけれども、ナーサリースクールとかキンダーガーデンの先生や子どもたちは英語で喋っていました。でも私はその英語についていけてないから、周りの子を見て、みんながハサミを出したら、私もハサミ出そうかな、みたいな感じで状況を見て動いてて。
きちんと言語を理解して動けていなかったと思うんですよね。だから、やっと分かりかけた頃に日本に帰ってきた感じです。適応能力が元々ゆっくりなのに、幼少期にすごい変化が多すぎて、ついていけてなかったんだと思います。

のの:小学校の2年生頃まで話せなかったっておっしゃってたと思うんですけど、それから話せるようになったんですか。

亮子:ちょっとずつ、そうだな、3年のときに、クラスの中でも私みたいにおとなしい子たちがいて、その子たちとちょっとずつ喋れるようになった感じで、5、6年の時に大きく変わりました。

のの:何かきっかけとかがあったんですか。

のの:もうね、明らかなきっかけがあって。5年6年は同じ先生だったんですけど、とにかく先生が楽しかったんですよ。だから、私みたいにネクラというか、比較的おとなしくしてた子も、みんな表情も変わったし喋るようにもなったし活発になった。多分あそこで私も含めて、性格が変わったっていう子がたくさんいたと思います。学校に行くのが楽しいって初めて思いましたね。

のの:なんか楽しいっていうのは、先生自体が面白いんですか。

亮子:そう。根は真面目かもしれないけれど、例えば普通に授業をしていて、算数とか今日教える内容が終わって、小テストとかやりますよね。終わった人から、迷路とかクロスワードパズルとかを先生が用意してくれてて。
なので、終わった人から迷路とかやって良かったりするんです。そうするとみんなさっさとテスト終わらせて、それをやって、そういうので盛り上がったりとか。
あとは、体を動かすのが好きな先生だったんで、校庭を見てどこのクラスも体育をやってないと、本当は国語とか算数とかの授業だとしても、「もったいないから遊びに行くぞ」と言ってサッカーやったりとか。
雪が降った日は、これ今やったら駄目だと思うんですけど、家が近い子にソリがあるか聞いて、ある子には取りに帰らせる。その間に公園の斜面の雪を足固めして滑れるようにしておいて、ソリが来たらみんなでソリをして遊んだりとか。すごく上手に、勉強もしながら遊ばせてくれましたね。

のの:その先生がきっかけで性格が変わったんですかね?

亮子:そうですね。それまで、成績も5段階で2が多めの2と3のオンパレードだったのに、一気にみんなに追いついて、3もしかしたらちょっと4多めぐらいになったかな?
初めて成績が伸びたんですよ。母親はそこで調子に乗って、受験をさせました。そのぐらい変わったんです。

のの:その受験の結果はどうだったんですか?

亮子:第一志望は駄目だったけど、第二志望に入って。でも、そこからは苦痛でした。

のの:中学生以降?

亮子:うん、やっぱ中高一貫で女子しかいないからつまらないし。英語は成績でクラス別だったりとか。
大学受験を目指していく体制なわけですよ。私は5、6年の時に思いっきり遊んで成績が伸びた人なのに、いきなり英語の小テストばかり受けさせられて、悪い点ばっかりとって、再試ばっかり受けて、落ちこぼれていくという…。
勉強拒否症になりました。だから、せっかく受験したのに、学校で落ちこぼれてました。

のの:何か部活動とかされてたんですか?

亮子:本当に学校に行くのだけで消耗していて、毎日満員電車に乗っての通学でしたからね。
したくもない勉強をそれまで以上にしなきゃいけなくて、1年生のときだけ、なんか可愛らしくて華やかだからバトントワリング部に入ったんだけど、即刻1年で辞めて帰宅部になりました。帰ったら疲れて夕飯まで寝てるような、かなり気力のない娘でした。

のの:でもちゃんと学校には行かれてたんですね。

亮子:もうねぇ、仮にサボりでもしたら、母親に何を言われるかわかんないから。
1日も休まずに学校行ってます。すごい真面目に。根は真面目だけど、授業は全然聞いてなくて寝てるみたいな感じです。静かだけど態度は悪いですよね。

のの:中高の思い出って言ったら、楽しいことより、ちょっとしんどいっていう思い出の方が多いですか?

亮子:そうですね。日々の学生生活は、しんどい、つまらない。なんでこんなところに来ちゃったんだろうって思って。
ちょっと楽しかったのは、例えば運動会とか。そういうちょっとしたイベントの時だけ楽しめる感じですかね。

のの : なるほど。高校出られてからは、どのような進路に進まれたんですか?

亮子:見事に勉強しなかったんで、大学受験してもどこにも入れなさそうだと、うちの母親もこれはまずいと気がついたわけですよね。で、「浪人はさせてあげられないから、短大でもいいから、とりあえず入れ」と。
ただ「もし短大に行くんであれば、やっぱり世の中、手に職だから、何かしら資格を取りなさい」って言われたんですよ。でも、短大で資格が取れるって言うと本当に限られていて。
栄養士か保育士ぐらいだったんですよ。もしくは看護学校に行くか?なんだけど、私は理系が本当に苦手だったので、選択肢は子ども好きだったから保育士しかなくて。保育系の短大に行って保育士の資格を取りました。

のの:短大は楽しかったですか?

亮子:そうですね、勉強は楽しくないけれど。でもまあ正直、2年で国家資格取るってそれなりに授業を土曜日もしっかりやって、月から金までほとんど1限からあるみたいな感じだったので、なかなかハードでしたね。でも、中高よりは楽しかったかな。

のの:その高校出られて選択肢が決められてなかったら、何かこれがしたかったなっていうこととかありますか。

亮子:そうそう、本当は、長い人生で1年ぐらいは海外に住んでみたいって思ってたんです。英語の勉強ができないにも関わらず。私、落ちたけれど大学は全部、国際関係学部とか受けたんですよ。なんかね、「留学したい」という気持ちがありました。

のの:この仕事がしたいっていうよりかは、留学?

亮子:そう、こういう職業になりたいとかそういう夢は全然まだ持ててなかったので、高校時代のときは。とりあえず海外行きたいなぐらいに思ってました。

のの:短大を出られてから、保育士になられたんですか?

亮子:一応公務員試験を受けて受かったので、公立の保育園で3年働いて、その間にお金を貯めて。で、ワーキングホリデービザっていうのを取って、1年間、オーストラリアに行ってました。

のの:ワーホリで得たものってありますか?

亮子:すごく意外に感じたのは、日本って実は良い国だって思いました。ずっと日本にいると、劣等感を持ちやすいじゃないですか。あの国に比べて、ここができてないみたいなところばかり見ちゃうとこがあるから。
でも、オーストラリアって超いい加減な人が多いわけですよ。時間もルーズだし、バスは遅れるのが当たり前ぐらいの感じだし。例えば何かのツアーに申し込んで、車のチェックが甘くて、周りにお店とかないところでパンクするとか。そういうことがあっても、大して誰も怒るわけでもない。

もし日本で起きたら損害賠償ものなのに、笑い飛ばして、飲み初めて、飲んでる間にレスキューがくるでしょ?みたいな呑気な国なんですよね。そういうのを見ていたら、いい意味で日本はめちゃくちゃ、ちゃんとしてるなぁ…と。
ねえ、だって新幹線とかも時間通りに来るし。真面目に働いていて、お財布落としたらそとんど戻ってくるみたいな国でしょ。でも、本当にいい加減で、それでものんびり生きていける国があるんだなってことがわかったし。「日本人のことをどう思う?」って、オーストラリアでいろんな国籍の人から聞くと、必ずpolite、つまり礼儀正しいって言うんですよね。確かにね、絶対なや悪いことしないんですよ、日本人って。絶対って言ったら言い過ぎだけど。誰かが物を落としたら拾っていって渡すっていうのは当たり前にできるから、窃盗とか起こすのが多分日本人は世界の中で極端に少ないと思うんですよ。海外に出たからこそ、日本の良さに気がついたっていうのはありますね。

のの:ワーホリに行って帰ってこられてからは、どのような道に進まれたんですか。

亮子:元にいた保育園から「産休で抜ける先生がいるから、急いで戻ってきてほしい」って言われたんで、戻ったんですが、でもまた保育士をやるっていうのも芸がないなって思って。
それで結果的に、社会人入試で看護学部に入って、そこで看護師と保健師の資格を取りにまた学生に戻りました。勉強嫌いなのに。

のの:チャレンジャーですね。

亮子:今考えると良かったと思うけど。なんかこう話すとかっこよく聞こえるかもしれないけれど、全部何かと母親が絡んでいて。手に職なんだから、資格取るんだったら看護師ならいいわよって、誘導しているのが母なんですよね。うまく仕向けてるというか。
なので、レールに乗せられた感じではあります。

のの:看護師と保健師の資格を取られてからは、その仕事をされてたんですか?

亮子:そう、まず看護師をやったんですけれど、正直本当に合わなくって。保育園ってね、子どもたちが1年たってすごく成長するじゃないですか。でも看護師って、本当に歯車のように時間で勤務するから、病気の人が来て回復したら退院していくけれど、中には亡くなる人もいて。
自分の担当の患者さんがいても、勤務日が退院の日と合わなければ見送りもできないっていうような、そのくらい歯車のように働く現場だったんですよね。そうすると、じっくり1年間関わって、関係性を築きながら成長を見ていく仕事をしていたのが、目まぐるしく過ぎ去っていく現場では、満足感が感じられないのもあったし。
その職場は人間関係も結構ギスギスで。で、私は早々に腰の椎間板ヘルニアになって、お仕事中に倒れて、ユニフォーム姿のままストレッチャーで自分の病院に緊急入院するっていう経験をしました。いわゆる労災で丸1ヶ月も入院しました。

のの:それで看護師を辞められたんですか?

亮子:トータル3ヶ月休んだんですね。退院してからもすぐには動けないので。復帰したけどなんか腰がすっきり良くならなかったんで、これはもう合わないってことだなって思って。
もう駄目だって思ったのが12月くらいの時期だったので、保健師の正規の募集ってもう終わっちゃってたんですね。だけど、非常勤はまだギリギリ残ってたので、それで受けて保健師になりました。

のの:その保健師の仕事は今も続けられてるんでしょうか?

亮子:そうですね。その当時、非常勤とはいえ週に4日間、ちゃんと8時半から17時半っていうような感じで結構しっかり仕事をしてたので。それこそ赤ちゃんとか子どもの健診だったり。

妊娠したお母さんたちに、赤ちゃんのお風呂の入れ方とかオムツの当て方とかを教える学級をやったりとかしてました。あ~、保育園で仕事しててよかったって思いましたね。自分に子どもがいなくても、保育の現場で実践してたので、伝えることはできるんですよね。

子どもってこうやって育っていくよっていうのが、保育園で見てきたから、ちゃんとリアルに頭に入っていたんですよね。この時期にこうやってお母さん悩むから、こういうふうにアドバイスしてあげればいいっていうのを掴んでいたので、仕事は楽しかったですね。

保健師の仕事をしながら、週に4日だとちょっとゆとりがあるじゃないですか。だから、何か欲を出してですね、リフレクソロジーってわかります?足裏の。

のの:わかります。

亮子:それを習いに行ったりとかして、リフレクソロジストって資格を取ったから、もう周りの人にやってあげたり、自宅でサロンをやったりとかもしました。

のの:なんか、本当に何でもできますね。

亮子:そうだな…、落ち着きがないって感じでもありますが、いろいろやってます。

未来 : 主婦学会っていうのを作りたい

のの:未来の方を聞いていきたいんですけど、5年後10年後、または亡くなるときにどう思われていたいとかありますか?

亮子:正直どう思われていたいって、考えたことあんまりないんですけどね。
さっきもちょっと言ったように、大きく世の中が変わると思っているんですよ。いろんな影響で人口も大きく減るだろうし。
今いろんな、政治にしろ、いろんな業界の利権とか癒着とか、そういう闇の部分がどんどん表に出ていて「ちゃんとみんなにいいようにやり直そうよ」っていう流れがいずれ起きてくるだろうなって思うんですよね。経済とかも、今ちょっとずつ物価が上がったりとかしてるけど。何かしら、大きなことが起きてもおかしくないなって思っていて。
だから正直、5年後10年後って、今リアルにイメージできるかっていうと、これは相当難しいだろうなっていうぐらい、変化が大きいと思うんですよね。過去の10年20年で起きてたことが、これから先の5年10年で起きてくる、そのスピードの展開が早いんじゃないかって思っていて。そのときに、結構めげる人も出てくると思うんです。
こういう大転換期に、メンタルがついていかない人が沢山でるかなって。で、その人はしょうがないとしても、そういう転換期にこそ、今までの男性中心社会の、上からトップダウンみたいなのが主流だった世の中が、もうちょっと女性の意見も取り入れて…というか、逆に女性が主導権を握るぐらいの感じになって、世の中を変革していけたらなって思っていて。
そういうことに自分は携わりたいなって思ってます。

のの:ありがとうございます。じゃあ、もしも高校卒業されて、短大に行かず留学されてたら、どういう人生になっていたと思いますか?

亮子:思うに、学生時代で留学するより、今考えたらワーホリに行っててよかったなって。
もし留学で海外に行ってたら、例えばホームステイ先も決まっていて、ランゲージスクールにちょっと通って…みたいな感じだから、そんなに主体的に動かないと思うんですよ。だけど、ワーキングホリデーって、語学学校に3ヶ月だけ私は行ったんですけど、あとは全部旅してたんですね、バックパッカーとして。
だからもし留学してたら、今みたいにいろんなイベントを自分からやるとか、いろんなことにチャレンジしようっていう発想が乏しかったかもしれないなって思います。結果的にね。

のの:ワーホリで行って良かったですか?

亮子:うん。ノープランで行って、どこにどういう順番で回ろうとか全く考えずに、行ったその先で、この近くでどこが良かったかって聞いてそこに行く…みたいな、本当に行き当たりばっちりっていう感じで旅をしてたから。
今、何か起こってもあんまり慌てないタイプなのは、そういうふうに「行った先でどうにかするしかないじゃん」みたいな状況で過ごしてたからかなーって、思いますね。

のの:これから、どういう気持ちを持って生きていきたいとかありますか?

亮子:そうですね。気持ちとしては、本当に私、新しい世界を作っていきたいなって思っているところがあって。どういう気持ちって言われてちょっとうまく答えられない感じがありますが。

1個ね、その通りにできるかどうかは全くわかんないけどビジョンがあってね。多分ネーミングも変わるし、コンセプトも変わるかもしれないんですけれども、主婦学会っていうのを作りたいなって思ってるんですよ。正直ネーミングはイケてないし、これに変わるいいネーミングがまだ浮かばないので(仮)って感じですけれど。
子どもを育てたり、食べるものだったり着るものだったり、いろんなところによく疑問を感じるわけなんですよね。例えば、この農薬は大丈夫なの?とか、この食べ物ってこんなにいっぱい添加物が入ってるけどいいのかなあ?とか、きになることがいろいろあるわけですよね。
例えば「パンに入ってるショートニングって成分って、食べさせていても子どもに影響がないですか?」っていうことをパンの会社に私が個人的に聞いたとしても「どこどこの基準に満たしてるので大丈夫ですよ」って言われちゃうと思うんですね。
だけど、本当はこのまま食べ続けると、体に負担が大きいぞっていうものが山ほどあるんじゃないかって。
だから、他の諸外国ではどんどん減ってるのに、日本だけはがんが増えているなんてことが、起きてるんじゃないかなって私は思っていて。
で、将来何をするか?っていうと、全都道府全ての県に会員を募るんですね。
で、47都道府県あるから、各都道府県にもし会員が1万人ずついたら47万人になりますよね。人口差があるから、多い少ないが出ると思うんですけれども、そういう規模の主婦の集まりを作りたいなと。別に働いていてもいいし、子どもがいてもいなくてもいいんだけどね。 

その学会を作って、各都道府県ごとに「この食品のこれは大丈夫か」とか、「この製品はこのまま使い続けてもいいのか」とか、何でもいいから質問を出してもらって、それを集計してもらって、トップ10を決めてもらうんですよ。
そうすると、47都道府県から10個ずつ集まると470個集まる。で、またその470の中からトップテン決めたら、全47万人の主婦から選ばれた質問って言える訳ですよね。

これってものすごいマーケティングだと思うですよね!これを例えば年末の流行語大賞とか、今年の漢字とかが発表されるけれど、「今年の主婦学会の質問」って形にして結果をプレスリリースする訳です。例えばですね、「◯◯会社の電気自動車から出る電磁波は、赤ちゃんに影響がありませんか?」っていう質問が、仮にトップだったとします。そしたらその会社は「大丈夫ですよ」の一言では済まされないかなと。47万人の主婦から出された質問に、無回答は考えられないし、「大丈夫です」だけでは済まされないと思うんですよ。
個人だと駄目でも、それだけの人数が集まってる学会から質問されたら、中途半端な答えが出せるはずないんですよね。だからそうやって、じわじわとね、みんなが集結して世の中を変えていく方がワクワクするなぁ…と。選挙で誰か立候補させて数名入ったくらいじゃ、この世の中変わらないから。
いずれいろんなことがバタバタと起こると思ってるんだけど、それが落ち着いた頃にこの学会をやったら、世の中が変わるだろうなって思って。
なんかそういうことが楽しんでできる仲間を、今のうちに増やしておこうって思って活動してます。

のの:なるほど。

亮子:面白そうでしょ。これ、女子が聞くとワクワクして「いいね、それを立ち上げるときは入るよ」って言ってくれるんだよね。
でもね、面白いことに、この話を男性にすると、「そんなことやったら危ない」とか懸念を示す人ばっかり。中にはすぐにいいねっていう人もいるんだけど、男性は意外と一筋縄にいかないんだなって思います。

のの:最後に、言い残したことはありますか?

亮子:最後に主婦学会について聞いてもらえて、そうだそうだ私はこれをいずれやりたいと思っていたんだよなって、思い出せました。その時を今は、虎視眈々と狙いながら…
この2年ぐらいはその準備をして、2、3年後ぐらいにこの動きをガンって出せるといいなって思っています。
今までの自分の人生の流れを話して、それで「この後にどんなことをすると面白いだろうっていうことをお話出来たので、良かったな」って思ってます。

あとがき

亮子さん、すごくアクティブな方で、1時間とても楽しい時間でした。パワフルだし自分のしたいこともちゃんと持っておられて、私の憧れの女性像でした。もっと聞きたいことが沢山あったのですが、1時間って長いようで短く、全ては聞けませんでしたが亮子さんのお人柄が読者の方に伝わっていると嬉しいです。主婦学会、ぜひ実現させて欲しいです!その時は私も参加させていただけたらなと思います。

インタビュー担当:のの

編集協力:mii

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