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ファミリーコンステレーションに出会ってどんどんくつろいで生きてる気がする人

もろもろのことが分かってきたような気がする。(もう年も年だしね。)
というか、分からないってことが分かってきた気がする!(不惑の四〇とはつまり、分かんないのが常態だからもう惑う必要ないじゃん! て諦めベースの不惑だったのかもしれぬ)
おいおいそんなことで、年下から見れば、従われる場合もある年齢なんだから、しっかりしろよと言われるかもしれんよね。
でも大丈夫。
私には私がついているから。
と、まあね。現代スピリチュアルの大きな転換点は、
(現代以前)私には神さまがついているから!
(現代)私には私(=神さま)がついているから!
に変わったことだと思うんですよね。
なんのこっちゃ、て感じの人もいるかと(しかも大勢ね!)思うんですが、人間発のテクノロジーが思うさま進化した現代においては、神さまという存在が希薄になって、私がどんどん万能になって、私中心世界というものができあがっている、と感じてるんですね私は。
そういう私万能論の中では、神さまについていくっていうのがどうもしっくりこない。
でも、人間の肉体がドラスチックに変わったわけではないから、依然として魂を喜ばせるためのソウルデリシャスフードは必要で、それが「私には私(=神さま)がついているから!」だと思うんです。
まあこういったお話は主催日記のほうでね、これからもふれていこうと思うので。折を見て。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのはNaokoさんです!

https://www.facebook.com/naoko.mochida/
https://www.instagram.com/naoko4u/


現在:人間の心とか、人の意識とかの仕組みがどうなっているのかっていうことをずっと知りたい感じがあって。私はファミリーコンステレーションっていう日本ではまだまだすごくマイナーな心理療法をこの10年ぐらい学んだりとかしてるんですね。自分の実践したりとか。

Mai:今何をしている人ですか?

Naoko:小さい会社をやってます。

一人で立ち上げて、基本的には、会社外にビジネスパートナーの方々がいて、その方たちと一緒に仕事をしたりする形が多いですね。
今のところ、一番世間に知れている部分としては、外国人の占星術専門家と組んで、日本で活動するときの全般的なマネジメント、専属通訳として一緒に活動しています。

Mai:占星術って何ですか?

Naoko:星占いです。一番平たくわかりやすいところで言うと。雑誌とかに、星占いって載ってるじゃないですか。
ちなみにMaiさんはなに座ですか?

Mai:おとめ座です。

Naoko:おとめ座ですか。っていうことは、Maiさんが生まれたときに太陽がおとめ座にあったので、Maiさんは「太陽がおとめ座の人」ということになるんです。
太陽以外に月や水星火星木星金星土星といろいろありますけど、それらの位置は必ずしもおとめ座じゃなかったりするんですね。それらの天体の配置が一度に図にして見れるものがあるんですよ。ホロスコープって聞いたことあるかもしれないですけど。出生図、ネイタルチャートともよばれていて。これがなんかねもう、すごい個人情報なんですよね。その人の遺伝子情報みたいな。それを読んでいくことをお仕事にしている方の横に座って通訳をさせてもらってるんです。

Mai:ほかには何か?

Naoko:会社を立ち上げる前は、13年間サラリーマンだったんですよ。20代後半から30代、40代に入るまでかな。
その中で一番長かったキャリアが、外国人の役員秘書だったんです。その経験もあって、
コロナ前ぐらいから、国内在住の外国人ビジネスマン、経営者の方の個人秘書みたいなことをリモートでやらせてもらってます。今はもう何でもリモートで全部できちゃうんですよね。他には頼まれたら通訳とか翻訳とか、やってたりしてます。あと、英語習得をあきらめたくない大人の人たちに向けて、LINEでコンテンツ配信をしたりしています。

Mai:1日の平均的なタイムスケジュールってありますか?

Naoko:去年結婚して夫と暮らすようになって、生活のリズムが夫と数時間ずれる感じがあるんですよね。夫もリモートで仕事しているので、自分なりの予定通りにできる日とできない日があって。夫の予定にも多少なりとも左右されるので、今はまだルーティーンが出来上がっていない状態なのかな。わたしの仕事も相手あってのことがほとんどなので、自分が決めるってよりは相手の予定に合わせるとかも多いですし。

Mai:今のこのお仕事の状態について、最近の満足度はどうですか?

Naoko:ちょうどね10年たったんですよ。独立して。丸10年経って、年明けに11年目に入るんですけど、10年やらないとわからなかったなっていう感じがすごくあって。いろいろ。
会社を起こした当初の動機があるんですけど、それが10年経って振り返ったときに、サラリーマンの頃の何か果たせなかったリベンジ的な感じだったりする部分なんかも見えてくるわけですよ。でも10年経つともうそんなリベンジはどうでもよくなっていて。

その当時の、立ち上げときの自分の心持ちと今とは10年やって全然違うなってすごく思ってるんですね。だから、やってみないとわからないものだなっていう感じのところにいます。

Mai:自分の性格についてどう思いますか?

Naoko:まず飽き性です。飽き性ってネガティブに聞こえるかもしれないんですけど、とにかく興味がいろんなものに向くんですね。
すごくいろんなものに興味がいく中で、色々手を付けてみるんですが、結果1個2個手のひらに残るものがあるって感じ。10年単位とかで続いていくものっていうふうに考えると、ね。
なので、わたしをよく知る人から見たら、「こいつはこんなことを今言ってるけど、もう3日後には言ってないだろうな。」っていうのがお見通しのところもあるかもしれないですね。そういう感じが自分ではあると思ってるんですけど。
あと、妙に生真面目なところもあると思います。あと、人とごたつくのを避けたいところがありますね。ただの意見の違いだとわかっていても、ぶつかり合う感じに捉えてしまって、苦手に感じることがあります。穏便に済ませたいっていうか。でも、本当に人に合わせたくなかったら、絶対的に合わせない感じのところもあって。面倒くさいですね。自分で言ってて、自分が。

Mai:人からはなんて言われますか?

Naoko:しっかりしてるとか、言われます。あとやさしいとかも言われる気がします。
一人で会社をしてきたこととか、他の誰かと組んでイベントを立てて集客して採算取れるようにするっていうのをこの10年ずっとやってきてるので、そこを見て「しっかりしてる」って言われるのかなあと思ってます。

Mai:ご趣味は?

Naoko:仕事と趣味の境目がわかんなくなってる感じはあるんですけど。
人間の心とか、人の意識とかの仕組みがどうなっているのかっていうことをずっと知りたい感じがあって。
ファミリーコンステレーションっていう日本ではまだまだすごくマイナーな心理療法をこの10年ぐらい学んだりとかしてるんですね。自分の実践したりとか。

そこで起きることを見ていると、起きていることは全員違っていても、人間の意識がどんなふうに働いてるかっていうのがすごくわかりやすく見えたりして。
例えば、人間は気づいている部分が1割で、9割は無意識、と言われているようなことも、それがどのようにその個人によってその人の日常で表現されているかは、当たり前ですけど全員違うんですよね。

そういうの見ていると発見が絶えないし、とにかく面白いって思うのが、趣味っぽい感じがします。色んな心理療法に触れてきた中で、このコンステレーションはオタク的に好きなんですよね。今年になって少しずつ仕事の一部に取り入れ始めたところです。

Mai:ファミリーコンステレーションに興味を持ったきっかけは?

Naoko:この心理療法は、ドイツで生まれているんですけど、それをもう随分前に、日本にもってきてくださった方々がいて、今日現在ワークショップのような体験できる場や学べる場を作ってくださっていて、わたしのような全く知らない人も体験できるようになったんです。

30代の半ば頃に、たまたまワークショップの案内を見たんですよね。Webで見たのかな?そこに書かれていたことの中に「こんな人にすすめます」という項目があって。
今生きづらさを感じてる人、とか特定の人間関係に困っている人、とか一般的に人が悩みそうなことが書いてあったんです。

その中に「家族が戦争で死んでいる人」っていう一文があって。わたしの父方の祖父が戦死しているんですね。だから祖父には会ったことはないんですけど、その一文を読んだときにドキッとしたんですよね。祖父の死がその当時のわたしに影響を与えていて困っていた、なんてことは、もちろん全く何もないんですけど、その一文を読んだときに、「祖父の死」に何かしらの秘密、というか、上手く言えないんですが、とにかくそこにわたしの知らない何かがある感じがしちゃったんですよ。それは、わたしが自分のことを知っていく上での秘密、ってことなんですけどね。それがきっかけです。

Mai:ご家族構成は?

Naoko:今は夫と2人なんですけど、あとは自分の両親。兄弟はいないです。子供もいないです。

Mai:最近喜怒哀楽があったことは?

Naoko:昨年、母方の叔父を突然死という形で亡くしたんですが、その頃から母親の健康状態と精神状態が一気に落ちていったんです。今年の夏には父親に癌あるのがわかったりもして、色々親周りに一気に次々と起きたので、気持ち的に大変だったんです、この1年半ぐらい。一人っ子のせいか、親のことって自分で勝手に背負う傾向があるんですよ。頼まれてもいないのに。身動きとりやすいように、結婚した今も実家近くに住んでいます。結婚当初はそう思っていたんですけど、結局自分が親の近くにいて、親の存在を感じていたいんだな、と最近思います。

とにかく、親がわかりやすく「年老いていく」っていうのを目の当たりにしたこの1年半でした。今まで生きてきた中で、親の死をとても身近に感じたというか。
そんな時期を過ごしながら、日々の中にたくさんの喜怒哀楽があるっていうんでしょうか。ここのところいい感じに2人とも回復してきて、わたしが安心する瞬間が多いですね。

最近あったことで言うと、2日ぐらい前なんですけど、母親が鍼治療を受けたんです。それまでは普通の総合病院の眼科に通っていたんだけど、なかなか改善しないその治療自体に母がもう続けたくなくなって。眼球に注射をしなくちゃいけないんですけど、とても苦痛だったみたいで。「もう注射の治療を続けたくない。」と言うので、父とわたしも一緒に考えて、眼に特化した鍼灸院に行ってみることにしたんです。初診を受けた時すぐに、「もっと早く来ればよかった。」って母が言ったんですよ。その時に久しぶりに母親の満面の笑顔を見た気がするんですけど、それを見たわたしが、すごくほっとしてしまったというか。ほっとしたのを超えて泣けてきちゃったんですね。
こんなに母親の表情一つでわたしは影響を受けていたんだなって思ったんです。

Mai:現在について、何かこれは話しておきたいなっていうことはありますか?

Naoko:ファミリーコンステレーションについてもう少しお話できたらなと思っていて。
ドイツで生まれた心理療法で、自分と自分以外の誰かやモノ・コトとの関係性を客観的に見ることを可能にするんです。

例えば、わたしが夫と関係がうまくいっていなくて「自分と夫の関係性」についてどうにかしたい、としますよね。その時に何をするかというと、その場にいる人の中から、自分役と自分の夫役を担当してくれる人を選ぶんです。選んだ後に何をするかというと、自分で人間チェスみたいなイメージで、自分役と夫役がそれぞれどういう位置関係に立ってるかを、自分の身体の感覚を頼りに、その場に配置するんです。説明のためにあえて例にすると、例えば、関係的に距離があるのであれば、離れて背中が向き合う形で配置するとか、要はあくまで感覚的でよくて。正解や不正解などそもそもないんです。開始地点をそうやって設定するんですね。本人自身が。その後、その自分や夫の代理で立ってくれてる人たちが、それぞれの身体感覚に従って勝手に動いていくんです。動かない場合ももちろんあります。

その「勝手に」動くっていうのは、その場を交通整理する人がいて、「自分の体が動きたいように動いてください」と指示をするので、その時に動きたい感覚がやってきた人は、動くんですね。そこでその人たちが見せてくれる「動き」そのものが、実は、自分と夫の間に本来起きていることの理解につながる動きを示していたりするんです。

例えば、自分役と夫役を置いた本人は、自分がてっきり夫を追っかけてたかと思いきや、それとは真逆の、夫役が自分役を追いかけるという「思っていたのとは違う動き」を目撃するとか。そんな風にして「自分の思い描いていた動き」とはほぼ全く違う動きを、参加した誰もが目にすることになる、というのがわたしのこれまでのコンステレーションでの体験なんです。

こんな風に、他人が見知らぬ誰かの「役」をした上に、驚くような動きをするかもしれない、なんて言うとオカルトっぽく聞こえるかもしれないんですけど、起きていることは単に、人間誰しもが持つ、その場のエネルギーを感知するという本能的な力を使って、その完治したことを単に表現してる、それだけのことなんだと思います。

これ、誰がやっても、全員ができるんですよ。
以前、企業研修でも取り入れてやらせてもらってたりしたんですけど、この「ファミリーコンステレーション」っていう名前すら知らない人ばかりのグループでも、本当に誰でもできて成立するんです。

「自分に起きている本当のことを見たい・理解したい」と思った人が、このファミリーコンステレーションのアプローチを使うと、自分が「こうだ」と思い込んでたその思い込み自体に対して、距離を置いて見てみることができるんですよね。

例えば、自分を愛してくれなかった母親なんて嫌いだ、と思っている人が、自分と母親の関わりをコンステレーションで見た時、もしかしたら、全然自分が認知していなかった、自分を愛している母親との繋がり方の一面を見てしまうかもしれない。そうすると、元々持っていた母親との関係性への印象自体が、コンステレーション以前と大きく変わる可能性があるわけで、その「見え方の違い」がその人に与える影響が、じつはとてつもなく大きいんだと思っています。自分も実際に体験してきたからそう思えるんですけど。

今の世の中って、「ありのままでいい」という言葉を多く見聞きするようになった中、もう一方で、問題があったら解決しなきゃいけないとか、課題があったら改善されなきゃいけないとか、本当の自分を生きなきゃいけないとか、そんな「〇〇しなくてはいけない」というメッセージ性を含んだものも同時に多いなって思うんですよ。
だけど、このファミリーコンステレーションの場合は、「解決や改善をすること」自体が目的として設定されていないんですよね。ただ、その人に「たった今起きていること」をその人自身が「ただ見る」というところからしか始まらないんです。
「良くなった」「改善された」という結果を即座に求める場合、コンステレーションというアプローチは適していないんです。でも、気づいたら結果的に何かが劇的に変わっていた。そんな感じなんです。地味ですよね。でも、そうやってコンステレーションでの経験が重なっていくうちに、実は「解決を求めすぎる姿勢」こそが、解決が自然に起きることを遠ざけているんだな、とも思うようになりました。

わたしはこのかなり地味なアプローチ方法を日本にもっと広めたいと思ってるんですね。日本の人たちに向けて少しずつでも広まればいいなと思ってます。

Mai:ファミリーコンステレーションは自分だけじゃなくて、一緒にやってくれる人がいないといけないんですか?

Naoko:一対一の個人セッションという方法でもできますが、やはりグループの中で、自分以外の人が自分や自分と関わる役として動いてくれるところをこの目で見る、という作業が与えるインパクトは強烈なので、わたしはグループの方が断然面白いと思います。

Mai:Naokoさんが初めてこれを体験されたときってどんな気持ちでした?

Naoko:実は、実際に申し込むまでに多分3・4年くらいかかってるんですよ。
申し込んで参加してしまったらとんでもないことになるんじゃないか、パンドラの箱を開けてしまうのではなかろうか、と。要は怖かったんです。恐怖感がずっとあって。

でも、たまたま友達がファシリテーターの人と組んでワークショップを主催すると聞いて、参加者も知った人たちばっかりだったので、ここで参加しないともう逃すなと思って、勢いで参加したんです。ちょうどそれが40になったばかりの頃ですね。10年前かな、今から。
当時とても結婚したかったので、課題として「結婚したい」ってのを挙げたわけですよ。
「自分が何で40にもなって独身なのか?」っていうことを課題にしたくて、その場合は自分と何の関係性を見たらいいのか自分ではわからないので、ファシリテーターに長くてクドい説明を聞いてもらった記憶があります。

ファシリテーターからは、「結婚」というテーマにいきなりフォーカスせずに、当時わたしが会社を立ち上げたばかりだったので、「自分と会社」の関わりをみたらどう?と提案されたんですよ。何でそこ?と思ったのですが、初めてだったし、わけもわからず言われるがままに「自分役」と「会社役」を選びました。

わたしが会社を独立当初から株式会社として立ち上げた理由は、主には法人相手に仕事がしたかったからなんです。なので会社役に、自分役の前に立ってもらったんですね。自分の盾になってもらう感じで。その後ろに自分役が立っている、という配置。その後この目に飛び込んできたのは、その配置が入れ替わる、という光景だったんです。最初は、自分役が会社役の後ろで、自分の存在を飛んだり手を挙げたりしてアピールしているんですよ。「ここにいるよー!」といった感じで。結局は、その自分役が前に出て、会社役が背後からバックアップしてくれている、という形に落ち着いたんです。

その光景を見た時は、実は全然ピンとこなくって、「わたしは一体何を見せられてるんだろう?」とモヤモヤしたまま終わったんです。解決を目指していないので、モヤモヤして終わることはあります。ですが、そのモヤモヤが「わかった!」に変化した瞬間っていうのが何年後かに来たんです。会社を自分の前に置いたときの自分っていうのは、法人相手に仕事がしたい、という
自分の会社っていうものを作って生きていく覚悟がまだ全然なかったというか。会社を単に「自分の隠れみの」にしていたんだなっていうのがわかった瞬間があったんですよね。すでに何年か経っていましたけど。

それがわかったときに、別に会社がどうこうじゃなくて、自分が創った会社がわたしに付いてきてくれるだけなんだな、と思えたことも、自分の中では気づきとしてはすごく大きかったです。「会社という形じゃないと、個人の自分はちっぽけすぎて社会に通用しないんだ」と当時はかなり思い込んでいたことがよくわかったんですね。これも後日談ですが、当初の目的だった「結婚したい」というのも、そう思っていた割には、結果的に独立した後の数年間は自然に「仕事中心」の生活で、「その時そこまで結婚したいわけじゃなかった時期だった」というのも、後からわかったことでした。ファシリテーターには、そんなことがバレバレだったのかもしれません。

こんな風に、その時コンステレーションで体験したことが、何年後かにわかるみたいなこともよくあることだったりします。今話したのは、数あるうちの一つなんですけど。

Mai:現在のご自身を家電に例えると?

Naoko:ええ~。難しい。家電ですよね?
お掃除ロボットみたいな感じのイメージが浮かびます。くるくる回ってる。アイロボットみたいな。なんていうんでしたっけ?勝手に掃除してくれるやつ。

Mai:ルンバみたいな?

Naoko:そうそうそうそう。

Mai:なぜ?

Naoko:直観的にそう思ったんですけど、あえて考えてみると、あれって自分である程度センサー使って動いて掃除してくれるじゃないですか。どこに行くっていう指示を誰がしてるわけでもないっていうか。
自分の嗅覚を使って、これやったら面白いかな?とか、これはどうしようかな?みたいなことをいつも考えてる気がするんですよ。なので、それにしてみました。

過去:人生ってこうやって自分の想像を超えたところから何か起きるんだなとすごく思ったんですよね。あのときがあんなに大変だったんだから、こんなことぐらい大丈夫だよね、と思える材料にはなっているんですけど

Mai:子どものときNaokoさんはどんな子でしたか?

Naoko:子どもといるのが苦手な子どもでした。子どもの集団の中にいることとか。
だから小学校に入ってからは、学校が楽しいと思うにはちょっと時間もかかった気がしていて。
兄弟がいなくて、生まれてからずっと大人、両親2人おばあちゃん、あとお父さんの弟がいたから、常に4・5人の大人に囲まれて育ってたんですよ。
だからある意味、周りの大人はみんな子どものわたしの望みを叶えてくれるわけですよ。もちろん叶わないこともあったけど。両親は厳しめだったので。でもいつも「大人が常に自分を見ている」という感じもありました。そんな大人に囲まれた日常が当たり前だったのが、急にその周りが子どもばかりになってしまった。ある年齢になるまでは、そんな子どもばかりの環境になじめなくて、常に違和感があったっていう感じはありますね。引っ込み思案だったと思います。

Mai:それって改善されました?

Naoko:小学校の3年生の担任の先生がとてもいい先生で。子ども同士をまとめるっていうか連携させるのがすごく上手な先生で。
その先生が担任になってから、クラスの友達と集団で遊ぶのが初めて楽しくなったんですよね。
そのあと高学年になって集団無視をされる側の経験もあって、やっぱり集団って面倒くさい、みたいな感じになった記憶があるんですけど。まあでも中学校に入ってからは大丈夫だったかな。

Mai:高校はどうでした?

Naoko:高校はね、行きたかった高校の試験に全部落ちて、最終的な選択肢でここしかないっていうところに行ったんです。
女子高だったんですけど、新設の特別進学クラスとかで3年間ずっと同じクラスって言われて。いきなり3年間ずっとこの感じなんだ、みたいなのもあって嫌だったんですけど、高校1年の夏に初めて海外に行くんですよ。学校主催の短期留学プログラムに参加するんです。約3週間滞在して帰ってきたら、わたしの居場所は日本じゃない!ぐらいの感じになっていました。
帰国してからは、いかに高校を卒業したら日本を出るかっていうことを考えるようになったので、高校生活がすごく楽しかったわけではないんですけど、そうやって自分がやりたいことの目標らしい目標が初めてできた、という感じでしたね。

Mai:その後の進路ってどんな感じですか?

Naoko:高校卒業してすぐ海外留学がしたかったんですけど、親に大反対されまして。
高校以上の学歴を日本で持ってからじゃないと海外なんか絶対に行かせないって言われました。
それで、2年間短大に行くんですよ。卒業したらすぐ日本を出ました。

Mai:どちらに行かれたんですか?

Naoko:オーストラリアです。

Mai:オーストラリアはどうでしたか?

Naoko:面白かったですね。嫌な思いもそれなりにしましたけど。人種差別的な体験もしましたし。それでも、初めて体験した人種のるつぼみたいな感覚がとても楽しかったですね。
特定の国籍や民族だけでできた社会に入ってるわけじゃなくて、人種だけとってもあんな人もいればこんな人もいて、それぞれの常識もバラバラで。その感じがすごく新鮮だったんです。きっと自由な感じがしたんだと思うんですよね。楽しかったですよ、本当に。でも勉強はもう2度としたくないなと思うぐらい大変でしたけど。

Mai:その後は日本に帰ってこられて、13年間役員秘書を?

Naoko:そうですね。オーストラリアに4年いて、そろそろ日本で働かなきゃいけないと思い、帰ってきました。
でも帰国後すぐには全然就職が決まらなくって。仕方なく1年間英会話学校で講師をやらせてもらって。そのあとバイトを転々としたりとかしながら転職活動しました。
その後、縁あって13年間働き続ける会社に出会うんですね。
こんなに長く勤めるとは全く思ってなかったんですけど、とにかくとても面白い会社だったんです。お給料もらっといて言うのはなんなんですけど、学校の延長のような。会社自体も、一緒に働いた人たちも、とにかく面白い職場でしたね。そこに13年勤めて、辞めて、独立して今に至るって感じです。

Mai:独立のきっかけは?

Naoko:勤めていた会社は商品を販売することが主軸の会社だったんですね。テレビショッピングの会社です。
当時、テレビショッピングがまだすごく盛んでした。モノが売れてなんぼ、という会社での自分の仕事は、役員秘書だったので、事業を後ろ支えしていく側だったんですね。そもそもわたしにはモノを売ること自体にそこまで興味がなかったんです。そういう職種だったから続いたとも思うんですけど。

13年間での特に最後の数年間で、社内転職のような感じで全く違う種類の部署を経験することになるんですけど、最終的に販売部門に管理職で配属されたときに、やはりどうしてもそこまでモノ売りに興味が持てなかったことで、「これはもう限界だな」と思ったっていうのと、当時から興味があって心理学とかセラピーを勉強していたので、もっと人のことに関わっていきたいなと思ったときに、社内で叶わないなら自分でやってみるしかないかなと思ったっていう感じですね。

Mai:そのときの感情、どんな気持ちだったか覚えてますか?

Naoko:独立しようと思ったときですか?
なんかね自分の中でこういう感じのことをやりたいなっていうイメージが出来上がっていたのもあって、それを社会で自分が実践できる、っていう楽しみっていうのかな。結構ワクワクしてる感じはありましたね。実現するかどうかの確約なんて全くないにも関わらず。今よりも絶対面白い時間が待ってるんだ、という期待感があった記憶があります。
稼げなかったらどうしようとか、意外にもほとんど考えなかったのが、今でもなんでかなってちょっと思うぐらいですね。前向きにもほどがあるというか。

Mai:過去を振り返って、ご友人関係ってどうですか?

Naoko:兄弟がいないっていうのが自分の中では大きいなと思っていて。だから兄弟がいる感じが、どんなものかさっぱりわからないんです。兄弟ってどういう種類の人なんだろう?みたいな。

だから、関わる人って結局すべて友人になるわけですよね。
そういう意味では恵まれたなと思います。
人には恵まれてるな、本当に。今もそう思います。

ご縁として続いていく縁と、方向性が別れていってだんだんと疎遠になっていくっていう関係もあるんだなっていうのを、今年50になってわかりはじめた気がします。関係が悪くなるようなことが取り立ててなくても、あの人はにあっちに行くんだなって。わたしはこっちの方なんだな、と思える繋がりがこの年になってちょこちょこ見えてきたというか。
そんなことにも自分の年齢を感じます。

同じ方に行かなくてもいいし、無理に合わせる必要もないんだなと感じている自分がいて。別々の方向に向かっていくのを客観的に自分が見ている、そんな風に感じる縁も今となってはありますね。

Mai:過去を振り返って、グループでいたときの自分の立ち位置ってどんな感じでしたか?

Naoko:グループが苦手だったので、いろんなグループを転々としてるって感じだったんですよ。短大は一応今でも仲がいい人たちが何人かいるんですけど。
特に高校の時は、毎日違うグループの子とお弁当食べてたりとか、他のクラスの教室で食べてたりとか。そんな感じだったので、グループの中の立ち位置と聞かれるとわからないですね。グループに自分が属したくなかったから。

短大になって初めてそのグループらしいグループじゃないですけど、たまたまなんだかんだでいつもつるんでるよね、みたいな人たちとの関わりが出来上がってきて、今でも年に1度は会うんですけど、その中なら調整役って感じかな。
例えば、みんなで会おうよって誰かが言い出して、実際に実現するための日にちの調整とか場所決めとか、そういうのはしょっちゅう自分がやっている気がします。

Mai:過去友達に言われて記憶に残ってること、印象的だったなと言うことは何かありますか?

Naoko:男性の幼馴染に、「お前は弁が立つ!」と言われたのがなぜか印象に残ってます。

Mai:過去の話で何か話し残したことはありますか?

Naoko:今の夫と結婚する前、コロナ禍の国境閉鎖で2年半会えなかったんですよ。
結婚します。日本に来るための在留資格もおりました。あとは日本に入国するだけ、というタイミングで、国境がバーンてしまっちゃったんですね。
そこから約2年半開かなかったので、会えなかったわけですよ。それがようやく去年国境が開いて、3月に海外から来日して、日本で婚姻届を出せました。

コロナ禍って、体験としてみんなに共通してるものじゃないですか。世界中が一斉に同時期に体験していて。
体調とかは幸い全然悪くならなかったんですけど、でもこういう2年も家族になろうとする人と自分たちの意思に反して会えない、ということが待ってたんだっていうのは、当然全然予想や想像すらもつかなかったっていうか。
人生って、こうやって自分の想像を超えたところから何か起きるんだな、とうことをすごく思ったんですよね。

だから2年間ひたすら毎日、夫とは画面を通じて話す、という時間を重ねていったんですが、それで関係が続いていくっていうのは、今思えばよくやれたなって思うっていうか。人生で「こんな経験をするとは本当に思わなかった」と思えることの一つですね多分。おかげで、あのときが大変だったから、少々のことぐらい大丈夫だよね、と言える材料にはなったんですけどね、お互いに。でも、今改めて振り返っても、すごい時間だったなとは思います。

Mai:過去の自分を家電に例えると何だと思いますか?

Naoko:昭和の扇風機って感じ。今みたいなちょっとスタイリッシュなスリムな感じの扇風機じゃなくって、扇風機の高さも高くならなくて、回る速度もそこまで速くないみたいな。
精一杯、風を起こそうと頑張ってるみたいな感じかな。効率の良さとかがまだわからなくて、どうやったら要領よくできるかどうか全然わかんない感じで、でもただひたすら回るって感じ。

未来:わたし、コンステレーションに出会ったことで、自分にどんどんくつろいで生きてる気がするんですね。自分にくつろいでっていうのは、この今の自分でいいっか、みたいな感じで。結局、わたしはわたしでいいんだなってとこに戻ってこれるっていうか。

Mai:5年後、10年後、あるいは死ぬまでを想像して未来についてどういったイメージをお持ちですか?

Naoko:今、50なんですけど、先のことを今まで以上にリアルに考えるようになったなって、親2人のことをちゃんと見送りたい、と感じています。
親2人を先に無事見送れたら、もうそこからは、住む場所は日本でもいいし、日本以外のどこでもよくて、夫と決めた住みたい場所に行きたいですね。
うちの夫は中東のシリアという国の出身の人なんですけど、今もまだ10年以上内戦が続いていて母国に帰れていないんですね。
なので、これは本当に希望として、その頃までにシリアの政情も落ち着いていて、祖国に帰郷できた彼と一緒に、彼が生まれ育った土地をこの目で見たいです。彼から聞くシリアという国のイメージは、豊かで雰囲気があってとても素敵な国なんです。今は残念ながら色々破壊されてしまったけれど。さすがに住むことはイメージできないですが、せめて行ってみたいです。シリアを訪れることが実現することは、未来の自分のイメージに入れてます。

Mai:今の旦那さんとどこでお知り合いになられたんですか?

Naoko:マッチングサイトです。

Mai:旦那さんのどこを魅力的に感じて、繋がろうと思ったんですか?

Naoko:マッチングサイトって、本人写真と自己紹介として少し書かれてる文章くらいしか情報がないんですよね。で、写真なんですけど、うちの旦那、頭のてっぺんがツルツルで、丸っと剃っていて坊主頭なんです。昔から好きだったんですよね、坊主頭の野球部男子とか。旦那のプロフ写真見て、いい感じだなと思ったんですけど、絶対答えなくてはいけない質問がいくつかあって、そのうちの「子どもを持ちたいかどうかについて」、旦那は「子どもは持ってもいい」という回答だったんですが、わたしは全くそう思っていなかったんですよね。だから彼の条件にわたしは合わないなと思って、旦那のプロフィールは一旦お蔵入りしたんです。その後、「あなたに興味あります」的なコンタクトが旦那の方から来たんですよね。それにびっくりして、だったら連絡とってみようかなと思って。最初はメッセージでやりとりしたんですけど、すぐに通話するようになって。毎晩夜な夜な長い時間話す時間が続いて、あとはもう実際に会って生理的に合うか合わないかの見極めしかないね、という話になったんです。旦那が「自分はすぐに動けないから、よかったら会いに来てほしい」と言ってくれたので、当時マレーシアにいた旦那に弾丸で会いに行きました。

Mai:5年後、10年後を想像したときに、旦那さんとの関係はどのようなイメージをお持ちですか?

Naoko:今とそこまで変わらないと思うんですよね。子どもを持つことはないだろうし、お互いある程度年齢を重ねてからの結婚だったので。実は、彼がシリア国籍ということが、わたしたちの生活自体に与える影響はすごく大きいんですね。シリア国籍の人は、シリアに対して経済制裁をしている国には簡単には行けないんです。まあほとんどの国がその対象になるわけなんですが。日本のパスポートとは大違いです。他には、急に銀行口座を止められちゃったりとかもするんですね。別にその人が悪いとかでは全くないんですよ。ただシリア人だからという理由で、マネーロンダリングがどうのこうのって話で、一斉に銀行口座をストップされちゃったりとか。とにかく、世界から母国の信頼がないことから受ける影響がすごいんです。
わたしが経験したことがないことがいっぱい彼の人生にはあるんですね、本当に。そんな不安と隣り合わせの状況が1日も早く緩和してほしいです。あと5年10年かかったとしても、母国が落ち着く状況に向かっていったら、彼自身の抱えるストレスも多分すごく減ると思うので、その恩恵はわたしたちの関係にも影響があると思っています。とにかく彼に今よりも少しでも安心して生きてほしい、と思います。

Mai:ビジネス面ではどうですか?

Naoko:コンステレーションをいろんなとこでやっていきたいですね。日本ももちろんそうだし、色んな国で行われる機会に自分も参加したいです。人種や文化背景の違う人たちと日本の人たちが一緒にコンステレーションを体験できる機会もいつか日本で創れたらなあとも思います。これからは、このコンステレーションに自分の時間をもっとかけたいと思っています。

Mai:もしもコンステレーションに出会わなかったら、どんな人生になったと思いますか?

Naoko:面白い質問ですね。考えたこともなかったし、今考えてみても全然想像がつかないんですよ。出会わなかったらどうなってたかっていうのが。それくらい影響があるんだなって、今話しながら実感しています。

今の彼と結婚することもなかったかもしれないですね。もしかしたら。
仕事自体も全然違っていたかもしれないです。

わたし、コンステレーションに出会ったことで、自分にどんどんくつろいで生きてる気がするんですね。自分にくつろいでっていうのは、この今の自分でいいっか、みたいな感じで。結局、わたしはわたしでいいんだなってとこに戻ってこれるっていうか。
そんな大げさなことじゃないんですけど。

自分を否定したくなるときは、今もしょっちゅうあるんですけど、結局、わたしはわたしでいいんだなってとこに戻ってこれるっていうか。それがあるのとないのでは、恐ろしく違っている気がして。そのくらいコンステレーションの影響は大きいです。

Mai:もしも会社を設立してなかったら、どうなっていたと思いますか?

Naoko:最初は、勤めていた会社から独立ではなくて転職しようと思ってたんですね。
実際に内定もらった会社もあって。でも、内定もらった当時、そのわりには自分の中でしっくりこない感じもあって。それを、自営業の先輩で姉のように慕っていた人に相談したんですけど、「なに転職とか言っちゃってんの?自分でいろいろやりたいことがあるんでしょ?」と言われて、ハッとしました。
転職しようと思っていた時は、独立を考えること自体が怖かったんですよね。いざ独立するって決めたら怖くなくなったんだけど、決めるまではモタモタしました。だからもしそこで自分が決断できていなかったら、今でも会社勤めを続けていたと思います。
でもそれもきっとどこかでうまくいかなくなって、いずれは独立をめざすところにたどり着いていたんじゃないかな、とも思います。

Mai:これをするまで死ねないみたいなものってありますか?

Naoko:今一番思うのは、やっぱり親を見送りたいってことですね。親より先には死ねないです。一人っ子の性なのかもしれないんですけど。もちろん自分で決められることでもないんでしょうけど。親を見送るのが親孝行とは思ってないんですけど、むしろ親に自分を見送らせちゃうことの方が親不孝と思ってしまうというか、そういう感じがあります。

あと、シリアにも行きたいですね。
うちの旦那さんね、イスラム教徒なので、死んだら土葬なんですよ。
彼の方が若いので、自分が先に死んで彼に見送られたいと思ってるんですけど、もし仮にも逆になっちゃったら、彼が土葬で眠りたいところに連れてってあげないといけないなあ、とか、そんなことも最近たまに考えます。

Mai:今ご両親との関係性はどうですか?

Naoko:いいです。すごく。
外から見たうちの家族は、仲良く見えていたと思うんです。友達にもいいなって言われるくらいだったので。親子の関係が悪いとか確執がある、とかではないんですけど、家の中で大人同士の確執はそれなりにあって、子どものわたしはそれを繊細に感じ取っていたんだと思います。いつも大人の顔色を見ている子どもでした。色んな背景があって、親からの無言のプレッシャーというのか、直接は言われないけれど、空気感として子どものわたしが感じてしまうものはあったんだと思います。親もそうしたくてしたわけではないと思うのですが。そのあたりのことが大人になって自分なりにわかってきたことで、だんだん自由になっている気がします。今は。
親も親で、特に母は一生懸命に良い嫁・妻・母になろうとがんばっていたのが、この数年で剥がれてきてる感じがあって。かわいいんですよ、今の母。歳を取って弱っちゃって、以前のわたしが知ってる「強くて何でも完璧にこなしてしまう母像」がどんどん崩れていくことに、最初はものすごく葛藤があったんですけどね。
母を1人の女性として見たときに、多分本来はこういう人だったんだな、と思えるようになってきたら、その葛藤も遠ざかっていった感じがあります。
父を見ていても、以前より楽なんじゃないかなと思えます。特に癌の手術以降。
だからか、わたしも今は人生の中で一番親に子どもとして甘えたいと思って甘えられるのと、親と一緒にいて楽しいとも思います。

Mai:もし、ある朝ご先祖様から直子さんにメッセージが届いたら、どんなメッセージを受け取ると思いますか?

Naoko:しっかり閉じなさい、って言われてる気がします。閉じるっていうのはわたしでこの家の代が途絶えるので、そこをちゃんと閉じなさい、って言われてる気がします。

Mai:それについてどんな気持ちですか?

Naoko:自分が生きたいように、悔いなく生きなさいってこととして、今は解釈してるんですね。ご先祖様にはいつもすごく守られてる気がしてるので。
でも、閉じちゃう罪悪感もあるんですよね。子どもがいないまま、次に世代に託せないまま終えちゃうっていう罪悪感がかすかにあるんですけど、でもそういうのも含めて、見守ってもらってる気がしています。

ちなみになんですけど、ファミリーコンステレーションは。先祖から今日までずっと代々人間が続いて生きていることがセオリーの基盤にあって、その影響からも自分のご先祖に対する見方もすごく変わったんですよね。
墓参りとか先祖供養の真意って何なんだろうみたいなことが見えてきたっていうか。ご先祖たちは、何ら特に彼らの期待も未来も希望も末代の人たちに託してないっていうか。
ただその人が、その人の生きたいようにその人らしく生きてくれれば、ご先祖たちは満足してくれるんじゃないか、って思うようになったんですよね。

Mai:直子さんの人生が映画だとして最後のエンディングロールに流れる名前は、なんだと思いますか?

Naoko:わたしのこの人生が映画だとして、最後にエンドロールが流れるんだとしたら、今生出会った人の名前を全員載せたいですね。その出会いがほんの些細なことでも。ちょっとしたやり取りがあったとか、そういう人も全て余さず名前を全部載せたいです。逆にわたしが知りたいっていうか。

Mai:最後のエンドロール自分のはどんな紹介になってると思いますか?

Naoko:結局は、「主演・脚本・監督 持田直子」な気がします。

Mai:最後に、読者向けでも自分に対する独り言でもいいんですが、感想があればお願いします。

Naoko:無名人インタビュー、やっぱり面白かったです。自分がどんな性格かとか、今日の質問にもあった家電に自分を例えるとか、思った以上に難しかったです。
今回インタビューに応募させてもらったのも、客観的に自分を見てみたい、という目的があったんですけど、やっぱり自分の事はまだまだ知らないなと思いました。でも話を聞いてもらえてすごく楽しかったです!

あとがき

人っていつになったら「自分のことを知ってる」って思えるんだろう?

いつまでたっても、「自分」のことを自分が一番わかっていない気がする。
そして、都度愕然とする。
え?まって?こんな自分知らないし、こんなの自分じゃない。って苦悩する(笑)

その衝撃の大きさが、理想の自分像と現実の自分のGAPなのかもしれない。

理想の自分像って、多分、社会的に〜とか、親が〜先生が〜とか、そんなんから出来上がってるんだろうなって思ったりする。

そんなの剥がして、現実の自分を、目をこらしてみたら、くつろげる自分がそこにいるのかも。

自分にどんどんくつろいで生きるって、ひとことに、最幸かよって。

【インタビュー・編集・あとがき:Mai】

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