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【短編】観察

 休日出勤。その帰り道。人生の栄光を手にしたことがない三六歳。男。ぬるい夜風に絡まれ住宅街を歩く。
「ちょっと」
 呼びかけられた。振りかえる。街灯の下に人影があった。尖り耳。唇の端から牙。腰から尻尾。長躯。悪魔だろう。
「あんたにこれをやるよ」

 帰宅。男は受けとった包みをほどく。
 大玉キャベツ三コ分の大きな黒い金属のボウル。小さな人形が二体。ルーペと手紙。
【人類育成キットです。ボウルは地球。人形は男と女。ルーペは神の眼。ボウルに土と水、人形も入れてください。人類の歴史が始まります】
 男は実行した。翌日。帰宅してすぐルーペでボウルの中身を覗く。ミニ人類は畑を耕していた。
 いい天気だ。あしたに種まきをしようか。ルーペを通して会話も聞こえた。
 いひひ。愉快だった。

 二日目。男は悪魔から針をもらう。
「ルーペで人類を覗く。中には不快な奴もいるだろう。そいつをこれで突く。すると死ぬ」
 男は女にちやほやされていた男を突いて殺した。男は女に好かれたことがなかった。女に好かれる男が嫌いだった。
 うひひ。肌が粟立つ。

 五日目。ボウルの中の人類が減った。悪魔が言った。
「魅力的な男が減って女の意欲が失せた。世の中はあんたみたいな男ばかりじゃ成り立たない」
 男はボウルの中の人類が滅亡するのを恐れた。針で自分に似た男たちをたくさん突いた。
 人類は増えた。

 七日目。日曜日。男は部屋にこもった。自分に似た人間を探して制裁した。痛快だった。自分に似た人間が世界から消えるのは気分の良いことだった。
 その晩に悪魔が男の部屋にやってきた。
「空しいだろう。自分がこの世に必要ないと分かって」
「俺も針で刺されて死にたくなった」
「死なれちゃ困る」悪魔は窓の外の暗闇を見やった。どこかの誰かがこの様子をルーペで覗いているかもしれない。「おまえの苦しむ姿を見て楽しんでいるのもいるんだから」
「じゃあ俺にも生きている意味はあるな」
 男は笑った。

 十日目。男は会社を辞めた。ボウルの中身の世界に集中した。大人の顔と体の幼児になった。
 どうやら自分に似た人間を殺しすぎるのもいけないらしい。男は気づいた。優れた人間は、あくまで劣った人間との比較のうえで優れているのだ。
 この発見は男の喜びだった。男は針を使うのをやめた。
 男はアルバイトを始めた。細い収入で生存を守った。生き延びてボウルの中身を見つづけなければならない。それが仕事だった。

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