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【短編】絵


 二十歳の恋人ができた。私三十八歳。江東区のガールズバーで知り合った。彼女は文化服装学院に通っている。
 九月の連休に東京駅から出ている特急しおさいに乗って旅行した。総武本線を東へ銚子のほう。乗車時間二時間ばかり。話した。
「どうして十歳以上も離れた男を好きになったの」
「やさしいから」
 女性の口から本心が聞けるとは私は思っていない。私が彼女のことを気に入ったのは世代が違ったからだ。生への視座も世界との交わり方もまるで違う。同世代に期待するような、自分と同じ成熟度合を求めないで済む。
 民宿に着いた。玄関に絵があった。椅子に座った女性が描かれている油絵。ごめんくださいと言うと、奥から絵に描かれた女性が現れた。
 私は知っていた。この絵は民宿を営む父親が娘を描いたものだ。だから絵の中のほうが幾分か若い。五年前にも私はこの民宿を利用したことがある。絵の中の女性に会うのは初めてだった。
 この民宿が私にとって再訪だというのは恋人も知っている。
 私が女性を見つめていたので、恋人が言った。
「覚えている人?」
「初めての人」

 食事した。個室だった。
 食事の途中で、絵の女性が出てきて私にお酌した。
「娘さんですか」
「いや」
 絵の女性は私の恋人を見た。
 五年前は当時の恋人と来ていた。絵の中だったが、きれいだったので民宿のおかみさん、つまり母親に話を聞いた。私と同年代で、大学院で生物学を研究していて、山梨に嫁いだ。
「結婚していたんじゃないんですか」
「死なれました。私もお酒をいただいていいですか」
 どうぞ。絵の女性は私に媚を見せた。彼女の母親は五年前に私が宿泊したのを覚えていた。絵の人ですねと予約の電話の時に言われた。彼女は母親に、私が彼女に好意があったことを吹きこまれたのかもしれない。でなければ民宿でわざわざ酌に現れない。
 恋人が立ちあがった。
「話させて」
 そして絵の女性を連れて二人で個室を出た。五分後恋人だけが戻って来た。
 私は尋ねた。
「喧嘩したのか」
「ばあ様は旦那の位牌でもつっこんでろって言っておいた」
「そしたら?」
「もう毎晩入れてるって」
「どういう意味」
「さあ。旦那の心も十分手に入れてるって意味じゃない。二人目とか贅沢」
 その晩、恋人を抱こうと思ったが断られた。ここでは嫌だそうだ。私の世代の女性は専ら正常位が好きだと答えるが、恋人の世代は対面座位が好きだそうだ。やはり違う。
 明日は海のほうへ。

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