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就労移行支援施設のサービス管理責任者(発達障害当事者)の人

何が良いのか、何が悪いのか、判断するのが難しい時代です。
こんばんは、あるいはおはようございやす、無名人インタビュー主催の私qbcです。
みなさん、善悪の判断つきますか? 私ですか? 私は、善悪の判断がついてるのかどうか分かりませんが、立場上、この無名人インタビューの活動責任者なんで、良いか悪いか、めっちゃくちゃたくさん判断しています。
この文章の「てにをは」はこれでいいのか、ここは句点でいいのか読点のほうがふさわしいのじゃないか、もう仰山判断しまくってますよほんとにほんとにほんとにねえ!
インターネットによって情報盛り盛りのこの時代、いろんな考え方がいろんな界隈で噴出し、もー知れば知るほど、あっちでは正解がこっちでは不正解になって、まあー何が良いのか悪いのか、判断するのは難しいすねえ。難しいというか、良いのか悪いのかという判断はもはやできません。
どっちに行くのが正しいのか、だけが判断できます。
こっちに行くと読者は喜ぶだろうな、でもこっちに行くと少数の読者は楽しめるだろうな、とか。その時その時の目的目標に合わせて、やることを調整して行く感じですね。
だから、良い悪いという価値観自体が、もはや使えない。
その行動は、あなたの目的を満たしますか? というのがこの時代の方法論じゃねえかな。と。
今日も無名人インタビューgo!!!!! です!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは mikuriya さんです!


現在:同じものを見て喋ってても微妙にズレてるみたいな。

花梨:まず最初の質問になります。mikuriyaさんは、今何をされている方でしょうか?

mikuriya:福祉施設のサービス管理責任者という仕事をしてます。福祉施設もいろんな形態があるんですけど…話しやすいんで関西弁になりますね、元々関西の人間なので。

花梨:大丈夫です。

mikuriya:就労移行支援施設っていう施設形態があるんですよ。どういうものかっていうと、障害のある方や、精神疾患を持ってる人が一般就労(対義語にあたる福祉的就労は、国が税金で働いている人に工賃を支払う)に就いて、税金を受け取る側から税金を納める側になってもらうっていう国の認可事業なんです。そのなかでも、僕の勤めてるところは主に発達障がいの方を対象として、ITに特化した就労移行支援事業所なんです。なかでも、プログラマーとかそういう結構ガチガチのIT系で。

花梨:責任者として、どんなお仕事をされているんですか?

mikuriya:はい。主な仕事は、まずアセスメントっていうものなんですけども。簡単に言うと聞き取りで。アセスメントっていうのは、成育歴とか病歴とかいろんなことを聞き取って、アセスメントごとにその人の課題を見て、支援計画を立てるのが僕の仕事です。アイディアマン。

例えば、週5日間遅刻欠席せずに来るっていうのが結構スタンダードなんですけど。割と踏み込んだものだと、自己暗示を使って、目を閉じて深呼吸をして「ゆっくり」と心の中で呟き、心を落ち着かせることができるとか。聞く人には聞くんです、本当に。1日に1回30分程度のウォーキングをして、そのことを翌日報告できているとか。生活面とかセルフケアの話もあれば、例えばJavaScriptの中のライブラリを使って、テトリスを作るとかそういった具体的なスキル面であったり。例えば、ChatGPTを使って、ExcelのVBAの初歩的なコードを組み込んだブックが作れるとか。あとはホームページを作ったりとか、Pythonを使ってアプリを作るとか、高度な目標も設定します。

流行りのものだと、AWSを使ったもの。例えば、AWSのCloud Practitionerっていう初歩的な資格を取るとか。もっとすごい人はすごいですよ。報告を見ても、なにをやっているのかエンジニアのスタッフ以外はぜんぜんわからない。で、最終的にはいつ頃にこういうところに就職するっていう目標になります。

花梨:最終的には就職を目標とされている?

mikuriya:はい。全員そうです。自慢ですが、超大手の外資系企業とか、AI開発に行かれたりとかするんで、可能性を感じます。

花梨:この立場になられて今どれくらい経ちました?

mikuriya:1年9か月かな。

花梨:お仕事されていて、どんな気持ちになることが多いですか?

mikuriya:周りに対する感謝の念ができたっていうのが大きいですよね。自分の今まで経験してきた辛い意味のなかった出来事が、そのまんま利用者さんの人生の役に立って感謝されることにすごい感謝を感じます。つまらない、悪い出来事が全て意味がある価値のあるものになることにすごい感謝。

花梨:どんな場面でその感謝を実感することがありますか?

mikuriya:もう常にですね。常にです、いつでもです。仕事をしているときも、仕事から離れたときもいつもです。それも、綺麗ごとじゃないです。

花梨:何が辛いと感じていたんですか?

mikuriya:自分が生まれてきたことが間違いだと思ってました。やっぱり、自分は冷たい人間だっていう気持ちとか。変な話、失敗作みたいな気持ちがあって。で、最終的にどうも発達障害グレーゾーンって診断を受けたんですけど。自分では、多分がっつりASDだと思います。そのおかげで僕は、数えてみたら40回ほど転職をして苦しんだんです。あらゆる転職で身につけた技術や知識といったものを、多分そこ(転職が多くて雑多なスキルがあること)については非常にレアな存在だと思ってて。例えば、新聞配達から、C言語での保守運用、カウンセリングとかもするし、収納アドバイザーもする。もちろん、各種生活関係の制度申請もします。そもそもそれが本職(利用者さんの生活支援)ですから。

幅広い仕事に就き、幅広い技術を身につけた結果として、それを横に組み合わせることで、様々なものに対し大体対応できる人間になって。それが結局、全く知らない難しい知識を、普段”はい”か”いいえ”しか話せない人から、その場で理解しながら対応することもできるようになると。

これは自分が賢いというわけではなくて、たまたまそこそこいろんなことが人並みにできる素質を持ってるところに、結構苦労したおかげで、多分知らないことに対応するのが上手になった。だから、いわゆるギフテッドって言われるような人が結構いらっしゃる中で、「要はこういうことかな」っていうのを掴んでズレてはない受け答えができているみたいです。

でも、その後聞き取った内容を自分で書いたものを読み返すと何書いているか分かんないんです。書いていることは正しいはずなんですが、その時は分かっていても、読み返すと頭痛がするんです。自分で書いたことなのに、自分の頭が理解を拒みます。印象的だったのは、極めつけにできる方が、「mikuriyaさんは分かってくれる」って言われたとき。正直涙が滲みました。その方はそれに気づいてましたね。ふっと見て、ふっと目をそらしたので。もしかしたらその方の孤独に寄り添えたんじゃないかって、うれしかったです。

花梨:「何でもできるみたい」とおっしゃっていたのは、どうしてですか?

mikuriya:初めてやったサービス管理責任者の仕事は、毎日のように知らない仕事ばっかりくるんです。なのに、その都度学習して、結果を出していったんです。発達障害だし、当然能力の凸凹もすごいと思っていたんで。すごく謎だった。どうして発達障害という偏った能力を持っているはずの自分が、大体何でもできるのか。足し算をよく間違えたり、ものによっては全然覚えられなかったり、できないこともいっぱいある自分が、どうしてプログラミングができるのかとか。人の心が分かりにくいはずのASDの僕が、どうして人の心を扱う仕事ができているのか。

で、怖くなったんです。”何かの病気かな”って。”発達障害だけではこれは説明できないんじゃないの”って思って、つい最近知能指数検査を受けたんですよ。知能指数検査って4つの下位項目があるんです。もうちょっと専門的な話をすると、言語理解。言葉を使ったり、ロジックを使う技術ですよね。で、知覚統合とかは直感。で、処理速度。これは、考えるスピードとか、何かをやるスピード。で、作動記憶。これは、ワーキングメモリとかマルチタスクとか。ちょっと何かをやってすぐ答えを出す暗算とかに使うやつで。これにそれぞれIQの数値があるんですよ、

中央値を100として、それぞれの4つの項目のうち10から15ポイント以上ズレがあると、発達障害の可能性が高いっていう1つの指標になるんです。この診断基準では確定じゃないんですけどね。とにかく絶対そんなん出ると思ったら、まさかのまさかで、ほぼ真っ平で。だから、えっと思って。

発達傾向はある。でも、いろんな技術を重ね合わせて補い合って自給自足してたっていうのが、多分実際のところで。それがそのまま自分の凸凹で、それがそのまま仕事に生かされてると。運命的に思うのは、福祉とITというのは水と油の仕事やと思うんですけど、父がプログラマーで母が看護師なんですよ。そしてこの人生を辿って、発達障害。そうやって生まれたなら、それはもうこの仕事をするために生まれたんだろうという気がしていて。

花梨:ご自身では、自分の性格についてどう思いますか?

mikuriya:両極端かなぁ。

花梨:両極端。

mikuriya:何て言うかな、矛盾する2つの特性が色濃く1つの人間の中にある。誰でもはあるけど、それが極端に出てると思ってます。だから、人によって僕の捉え方は結構違うような気がします。優しいって言ってくれる人もいるんですけど、血の通っていない人と言われることもありますね、優しそうに見える人とか。冷たい人とか、とか。

検査で分かったんですけど、言葉の定義が時々人と違うらしいです。

花梨:言葉の定義ですか。

mikuriya:同じものを見て喋ってても微妙にズレてるみたいな。同じリンゴを見ていても、僕はリンゴと思ってないみたいな。少しだけ珍しい視点で見る癖があるっていうのが自分の特徴かなぁ。あと寂しがり。

花梨:珍しい視点で見るというのは、具体的にはどういうことですか?

mikuriya:言葉通りに受け取るところ。ASDの人に多いんですけど。たとえばASDの人が、「時間をどうしても守れなくて困ってる」っていう人がいろいろ言ってること。誰も全然聞いてないし理解してないなっていう風に気づくときはありますよ。

何でかっていうと、日本社会だと時間が守れなかったら全く信用されない。だから、殆どの人は、時間を守らない人の話を聞くつもりがない。相手の話を否定する前提で聞いている。言葉通りに聞けば分かるんですよ。だって時間が守れな食て困っているって最初に言ってるんだったら、”時間が守れないのは仕方ない”という視点で話を聞くべきじゃないですか。そしたら僕は、「おっしゃる通りですね」と思ってるけど、周りの人は時間を守れない人間だから、言ってることをハナから信用しない。わかりやすく言えば、定型発達の人は発達障がいの人を見下してるんです。

逆もあります。こっちが全然見当違いなことを言っているとか。ありますよ。恥ずかしいです。

言葉通りに取るから明らかな嘘に騙されるんです。そんなん嘘に決まってるやろって思えるようなことに対して、僕は「そうなんですね」と真面目に聞いたりするんですよ。そんなわけないでしょうと周りが思っていても、げんなりしてあきれた表情にちょっと違和感を感じてても僕は真に受けたりします。

花梨:距離感の違いによって、言われる印象や性格に変化はありますか?

mikuriya:近しい友人からは、分かりやすいって言われるんです。それは半分正解で半分外れだと思ってて。何でかっていうと、母親は分かりにくいって言うんですよ。良さが分かるのに1年はかかるって言われましたね。最初聞き流したことが1年経ってから「あれ本当やったんや」って思うとか。そんな感じでした。たぶん、家族くらい近い人にしか見えないわかりにくさがあるんじゃないかなぁ。孤独を感じるときです。

花梨:結構極端な印象をいただくことが多いんですか?

mikuriya:だと思いますが、そもそも人の心は分からないんで。ASDじゃなくても、誰も分かんないんです、はっきり言って。そんなん誰も分かんない。

過去:なんか知らん間に僕その人のことめっちゃ好きになってて。生まれてはじめて人に理解されたって思ったんですね、その時。

花梨:mikuriyaさんは幼少期の頃はどんなお子さんでしたか?

mikuriya:あんまり人に関心を持ってなかったような気がします。

花梨:どんな過ごし方をされることが多かったですか?

mikuriya:本を読むことが多かったです。友だちと遊ぶのも好きでした。あれ?人に関心はあったのかな?

花梨:今振り返ってみると、人に関心がないと思うということですか?

mikuriya:ASDだから関心がないって思い込んで見てんのかな。いや、なんか多分ね、特に恋愛している時に思うのは、感情の出発点がいわゆる定型発達普通の人と全然違うと思う時があります。

花梨:その頃好きだったことは何でしたか?

mikuriya:いろいろありすぎて。砂場とか、戦隊ごっことか。やっぱりこだわりが強かった。黄レンジャーが嫌いとか。

花梨:こだわりは、いろんな面で出ていたんですか?

mikuriya:トマトが絶対食べられないとか。なんか毛布に付いてるタグあるじゃないですか。あれを指で掴んでスリスリってする滑らかさが好きとか。あと、人に触られるのは嫌いでした。

花梨:幼少期、ご家族との関係はいかがでした?

mikuriya:我ながら冷たいなと思うんですけど、どういう風にすれば好きなことができるかっていうことしか考えていなかったんですよ。人というより、まるでシステムみたいにとらえてた。愛される愛されないじゃなくって、こう言ったら怒られないとか、こういったら自分のやりたいことができるとか、そのためにどれだけどこを譲ったらいいかとか、そういうことをよく考えてました。宿題もこの先生は出さなくても怒らないとか、これさえやらなければ文句を言われない。そんな感じ。

花梨:それは、自分の好きなことを通したいから?

mikuriya:そうです。本を読みたいからどうやったら時間を作れるかとか。そのためにはこういう風にしたらできるだけ効率的に時間が作れるとかそんな感じ。

花梨:どうして、そう考えていたんですかね?

mikuriya:周りに難しい人がいたんですよ。なんかサイコパスみたいないじめっ子にずっと何年も目をつけられたりとか。性的ないたずらをされたりとかして、もう身動きの取れない穴に閉じ込められて、発狂するような声を出すまで出してもらえないとか。いろんな人があの人はやばいって言うような人だったんですけど。

花梨:小学校に上がってからはいかがでした?

mikuriya:保育園、小学校が一緒の学区で。生まれがど田舎だったので、人間関係がずっと同じだったんですよ。そんなに大きな環境の変化はないし、人間関係に大きな苦労はなかった。あれだけ本を読んでいたので、勉強は得意でした。

花梨:小学校の頃好きだったことは、何でしたか?

mikuriya:いろいろです。運動はそんなに好きじゃなかったんですけど、個人競技は合ってて。器械体操とか水泳とか、水泳は好きと言うか無理やりやらされただけなんですけど。集団競技とか、ボールを使うのはちょっと苦手。長距離走もペース配分が苦手だったんです。細かい調整が苦手なのかな、投げる角度とか力加減とかペース配分。あと協調性がない。

花梨:やりたいことをどうやって通すか戦略を練る性質は、そのままでしたか?

mikuriya:もうこのままでした。

花梨:勉強は好きでされていた感じでしたか?

mikuriya:好きじゃないですよ。100ます計算とか漢字書き取りが嫌で、授業中はやるけど家ではとにかくやらなかったし。ギリギリまで引っ張って怒られるみたいな感じ。でも、好奇心が強かったかも。

いろいろ興味持っていろいろ調べて、勝手に身につけていた。小学校の授業は結局、教科書に書いてることを読み上げるような内容って感じで、「これ意味があるのか」ってずっと思ってました。書いてることを、もっかい書けみたいな感じの内容が多かったんで。これが何の意味があんのかっていうのを訴えたけども。あっ、分数の割り算は大変でしたね。手計算を結構な確率で間違えるので、イライラしてました。「電卓あんのになんでこんなことせなあかんねん、意味あんの?」みたいな。

花梨:中学校に上がってからはいかがでしたか?

mikuriya:やっぱね、人間関係で苦労し出しました。今までは1つの学区内だけで人間関係完結してたのが。一気に町内の全員が集められてクラスに割り振られて、しかも10クラスとかになったんかな。40人くらいいたと思うんですけど。で、テストもやっぱり難しくなったりとか、成績も上位クラスでなくなるんです。成績の悪い教科がはっきり出ましたね。暗記科目とか、数学とかも。途中で計算間違ってんですよね。

うーん、やっぱり演繹的推理って言うんですか? 積み上げてってこうって推理するのは、得意じゃなかった。思い込みで「多分これ」って感じで、帰納的な推理をする傾向があって。で、中学校に行った時も、複雑な数学の問題になると帰納的な推理ってあんまり有効じゃないんです。

花梨:そうなんですね。

mikuriya:振り返ると自分で意外に思うのは、1番になりたいっていう気持ちがそれほどあるわけじゃなかったかも。宿題とか勉強とか、興味のないことに時間を割くのが嫌いやったんで。嫌いなことをして上の方の成績になるくらいなら、漫画読んだり好きなことやるみたいな感じ。

花梨:中学校に上がって、人とのコミュニケーションで何か変化はありましたか?

mikuriya:ありましたね。友だちを作るのが急に怖くなって。女子が急に難しくなるんですよね、中学校になると。女性がすごい苦手になりました。

花梨:どういった面で、苦手と思うようになりました?

mikuriya:理屈で説明できないですね。理解できない存在というか、もうとにかくも触らぬ神にって感じ。怯えて逃げてました。

花梨:この頃、興味のあることは何でしたか?

mikuriya:パソコンかな。当時ね、PC9801っていうパソコンが日本で売れてたんですよ。それを父が買い与えてくれて。当時はね、MS-DOS(Windowsの前のOS)っていうOSが搭載されていた。それをいじったりとか。コーディングをしたりとか。昔からITとかは好きだったです。

あと、ちょっとした違和感にあれ? って考える癖がつきました。推理小説が好きだったからかなぁ。人の話の中から、「こう言ったってことは、 裏を返せばこんなことがあったよね」って、質問していくうちに嘘だって、悪気なく皆の前で暴きだしてしまうというのがありました。いまの仕事でも、同僚がそれで立場を失くすのをやってきているんでね、悪いなと思います。気づくんですよ、昨日と今日で発言が食い違ってるとこ。それはなんか突出している。最近はやりません。少しだけ空気が読めるようになりました。

花梨:幼少期から一貫して続けていたことはありますか?

mikuriya:ないですね。強いて言えば新聞配達? 小学校低学年からずっとやってましたね。決まった時間に起きて、決まったように配って集金するぐらいなんで。それは、すごいっちゃすごいですよね。365日、ほぼ毎日働いているんで。大学の入学式の朝までやったんです。

花梨:へえ。どういうきっかけで始めたんですか?

mikuriya:なんとなく。働くとはどういうことか興味があったような気もする。よく覚えていないですけど。

花梨:同じことを何10年もやることに、抵抗は生まれなかったですか?

mikuriya:そのときは特に。疑問を持った瞬間それを止めたくなると思います。例えば、「たいしてぼくはお金も使わないし、結局お小遣いもらったらいいだけやん。時間の方が大事」と思ったら、もう働かなくなるんじゃないですか。繰り返しだったから、生活の一部として。朝早く起きなければいけない、面倒くさいとも感じなかったし、それが苦痛でもなかったし。ほぼ寝ながら自転車走らせて帰って、それだけだったんで。

花梨:高校以降はいかがでした?

mikuriya:ちょっとだけ中学校の終わりの話と被ってくるんですよ。初恋をするんですよ、中学校の終わり頃に。それで人に興味を持ち出すんですよ、人の心に。でね、フロイトの精神分析入門を読み出すんです。めっちゃ難しいんですよ。本を読むのが好きな僕が読むのに心折れそうになる本なんて生まれて初めてだったんです。もう800ページくらい、上下巻に分けて書いてて。フリガナの次くらいの大きさの文字がぎっしり。そのうえ内容が難解なんですよ。それでも何とか読みたいくらいね、人の心に興味を持ったんです、だって好きな人が出来たから。中学校の初恋は実りませんでした。

で、それから高校に行って、次の恋が始まるんです。シアトルにホームステイしてたんですよ、高校1年の夏に。町のプログラムで、12人で行ったんですけど、その中の1人に。目立たない人で。その人はね、成績がすごく良くって、めっちゃ勉強できた人なんです。その人は何でもできる人でした。
その人も他人に興味を持たないような人に見えました。でも、あるときからずっと僕のことを見てくれてた。僕は銀縁眼鏡かけて全然かっこよくないし、多分この人は僕のことが好きなんやろうけど理由分かんないって怖かったんです。

僕は基本的に、人に興味持たれない人間で、それが楽やったっちゅうとこあったし。人と深く関わるのが怖かった。だから、へまを繰り返して、その人から興味を持たれないようにしたんです。なのにずっとこっち見ているんで、興味を失わせるのはもうこれ無理やなとか思って、僕も向こうを観察しだすんですよ。この人がもし僕の敵になったら嫌やなと思って。

結局知らない間に僕その人のことめっちゃ好きになってて。生まれてはじめて人に理解されたって思ったんですね、その時。外見は似てないけど、中身は双子の姉みたいに似てたんですよ。自分で言うなといわれると思いますが、結構僕優しかったんです、僕。誰かがミスをしてみんな気づいていない時に、あれ? って言って壁の方向いて、みんなが壁を見てる瞬間にミスの証拠を隠滅したりしてたんです。いままで気づかない人ばかりだったんで、誰も気づかないと思ってて。でも、その人は、あっという間にこっちを振り向いてそれを見てたんです。そして、彼女は最後まで黙ってくれたんです。

その人は僕がそういうことをしてるの、一度だけみんなの前で言ったんです。「こういうことやったのはこの人をかばうためでしょ。でも、それを知られるのが嫌やったから、分かってないふりしてごまかしたよね」とか言って。その時僕は真っ赤な顔して頷いて、くしゃくしゃな顔をしていたのを覚えてます。知らんうちに僕はその人を大好きになって、その人も同じようにすごく好きでいてくれてたとおもいます。で、何て言うかな、その時もやっぱり駄目なことをしてるんすよ。ASD的な。

花梨:駄目なことですか。

1年間、彼女はタイミングを見ては僕に話しかけてくれていたんですけど、いい雰囲気になるといつもぶち壊しにするようなことばかりして。恥ずかしいから言えないことばかり。そういう駄目なことを繰り返していくうちに、彼女は別の人を好きになってた。

彼女とはそこからずっとまともに話したことはないですが、そこからずっと僕を成長させてくれる存在として、心の中に居続けるんです。

その後、僕はとある大学に行くんです。でも、別の大学に行くと周りの人は思ってたみたいです。そっちの方が少しだけ格上と思われていたからじゃないかな。でも、心理学を勉強したかった。人に興味を持ったから。もう一つ受かっていた格上の大学は心理学の学部じゃなかった。そして、その大学に入学したら、彼女もその大学に入学していた。新入生歓迎祭で彼女は僕に話しかけてきたんですね。いるはずのない彼女に一年振りに出会い、話しかけられて。ぼくは「???」って思って。黙っていたら、自分が所属する学部を言ったんですよ。「〇〇大学(彼女が受かっていた別の偏差値の高い大学)じゃなかったの?」と言ったら、「〇〇学部(言っている大学にしかない学部名)」って言ってて。

で、後で分かったのは、僕は彼女を追いかけて、いい大学を蹴ったってことになってたんです。で、彼女もそう思ってて。その後、彼女は僕の悪口を言いふらしまくるんですけど。彼女と僕って、遠回りな情報でお互い翻弄されて誤解し傷つけ合う関係がずっと続くんですよ。それが結局最終的に僕に精神疾患を呼び起こす。僕は幻覚や幻聴にさいなまれて、一旦退学するんです、大学を。その後1年間の休養期間を経て、単位が残ってるんで戻るんです、大学に。そして、そこでも様々な苦難がありながらも何とか卒業するんです。

そこから10年近く引きこもって、家を出て、どつかれて戻るっていうのを繰り返すんです。でもそれは、田舎町なんでね。言ったらあいつ病気やでってバレたりする時もあるし、それがただの被害妄想や、幻覚という時もある。統合失調症を発症すると、誰かに悪口を言われたと人に言ったら、全部幻聴幻覚妄想として生きるしかない。そう悟るんです。そうやって当事者として僕は10年間生きて、隣の家の生まれた時から良くしてくれたおばちゃんも僕を嫌い。

居場所がなくなったと悟り、僕はその時付き合ってた人と婚約して、その人は正社員に就職することを条件に結婚と言ったので、僕は関西空港に契約社員として就職するんです。でも、その時はリーマン・ショックで、簡単に正社員にはなれない。で、婚約は破談になります。空港業務は、一個80キロとかの荷物を何個も何十個もどんどん積んでいく。薬も飲んで記憶力なんてひどいもので、判断力がめちゃくちゃになってて。馬鹿にされながらもしょうがないやつだなって、愛嬌で生き抜く感じ。仕事のできない駄目な僕でも結構居場所はあるんだなと。ダメでもいいんだとか、今までかかわりはなかったけど、ヤンキーって結構いいんだなっていう経験をするんです。

で、そこでまた付き合った人に、こういう仕事あるよって言って、精神保健福祉士っていう仕事を教えてもらうんです。僕は臨床心理士になりたくて大学に行って、その夢を諦めたつもりが諦めきれずにいたんです。そこを退職して、資格を取るために専門学校に入学するんです。そして、彼女とは婚約したものの、僕の方から断るんです。なぜなら、僕の本質は自由人で、結婚したらお互い不幸になると確信したからなんです。

専門学校で、僕は2人のいい先生に出会うんです。1人は精神病理学の先生で、本業はお医者さんです。ものすごく博識です。その人は「人生を楽しめって」いうことをおっしゃるんです。後々先生はぼくの主治医になるんです。卒業後僕は精神保健福祉士になった後、西成の精神科デイケアで働いた後、発達障害のグループホームへ行くんです。そこで様々な経験をしつつ、憧れていた大きな病院にソーシャルワーカーとして就職しました。そこで僕はね、無理やり退職させられたんですよ、正社員だったのに。憧れていた病院に裏切られたんですね。そこの寮にいたから住むところも失って。その頃、祖母がもう残り短いのが分かってて。祖母は僕が就職したことを喜んでると思ってたんで。ずっと引きこもってたから。毎週祖母に会いに行きながらも、自分はそういう状況を亡くなるまでは隠そうと思って。

祖母が亡くなったのと病院の退職が同じくらい。その後放課後等デイサービスに就職するんですけど、施設長とそりが合わなかったっていうことかな。で、辞めて、僕はタクシー運転手になるんです。福祉に絶望して。憧れてた病院に裏切られ、酷い施設で働き。こんな世界でやってられるかと思って。その時、もう1人のいい先生と連絡を取り始めました。社会保障の先生でした。とても面倒見がよく、誇り高い方でした。その先生は、お子さんが精神障害だということを、僕に打ち明けるんです。今思えば発達障害だったのかな。先生は、僕がその子の力になると思ってたそうです。お子様のために、僕に関わろうとしたんじゃないかな。多分その先生は、僕が精神疾患を持って働いていることを知っていた。きっとそうだと思います。

その先生は、「あなたの能力は高いです」と言ってくれたんです。「あなたほど優秀なら半年で資格は取れるし、特別な勉強を教えてあげたかった」と。成績は下の方なのに、その先生にはそう映っていたらしいです。その頃は、昼夜逆転して、働きづめに働いて、ほとんど寝てなかった。そんな時に、とてもできる先生からほめていただいたことが、双極性障がいを発症する一つの要因になってしまったんです。

偶然そのタイミングで、主治医がその専門学校で精神医学を教えてくださっていた先生に変わるんです。その先生から「誤診」を言い渡されました。「統合失調症と君は言ってたけど、そうじゃない」って。「おそらく疲れてて幻覚幻聴を発症していた時もあると思うけれども、合わない薬を処方されたのは確かだから。それが理由で君は認知症の疑いが出て、病院をクビになった。処方が間違ってるのもはっきりしてるし、検査の結果認知症の疑いは晴れている。君の統合失調症の診断は誤診だよ」って言われるんです。

で、僕は嬉しく思って、双極性障害がバンと出るんですよ。認知症の疑いの時に受けた簡易知能検査の結果を、1年近く前なのに持ち出して、自分は天才だとか言うんです。「困ったときはいつでも相談して」といってくださった、社会保障の先生にいっぱい連絡しているんですよ、夜中とか。当然先生がものすごく怒って僕に電話していらっしゃいました。僕は「すみませんでした、僕はただ先生のお子さんにあなたは大丈夫みたいなこと言いたかっただけですって。ありがとうございました」って。そういって電話を切りました。

もう縁が切れたなって思っていたらすぐ、向こうから今度は電話がかかってきて。「多分あなた病気になってるから、病院行こうか」って言ってくださって。結局措置入院するんです。閉鎖病棟に入院するんです。で、僕はそこで10日間入院して退院するんです。退院後、専門学校の先生だった主治医の指示で、3か月家から出ないようにしてたんです。先生がとても腕のいい方で。「とにかく躁はテレビも見ちゃ駄目」という感じで。その指示は素晴らしかったと思います。

さらにその後、僕の診断名がはっきりします。「統合失調感情障害」です。双極性と統合失調症の詰め合わせセットみたいなものです。お得といえば不謹慎ですが、基本的な精神疾患の症状を、体験的にひととおり経験しているというのは、心理系の支援職として凄い強みです。

入院中、退院後、両親が何度も僕を訪れました。父はすごいしっかりしてて、でも母はもうすごいショックを受けたんです。あの時、父は本当にすごかった。いちども動じなかった。亡くなってから母から聞いたのは、父は僕を信頼してくれていたそうです。必ず立ち直るって。その通りに僕は回復していくんですけど、そこでね、職業訓練を受けて本格的にコーディングを身につける。で、IT業界に就職する。IT系の仕事に就いて保守運用の仕事をします。そして、コロナで雇い止めに遭うんですね。もう仕事が出来なかった。上司ともそりが合わなかった。

その次に、外資系ITのカスタマーサポートに就くんですよ。とても良い仕事でとてもユニークなプロジェクトだったんです。タトゥーの入った二十歳の女性がteamsで会議をするような、意識の高いプロジェクトでした。その2つを経験して、ITの基本的な知識なり僕の苦手を克服するんです。つまり、演繹的な論理。

花梨:あーなるほど。

mikuriya:これがITの仕事には重要な技術で。説明書を読んでから順番に再現するという技術を身につけるんです。なぜならそれがカスタマーサポートの仕事だったので。

その後、IT系の就労継続支援B型施設に就職して。でも、条件が最初に言ったのと違ったんです。で、就職活動を応援しますっていうとこで話つけたんです。喧嘩してもお互い損だから。その後今の会社の面接に向かうんです。そこで、今の上司が1次面接をして、次の面接で社長面接になって。

その時社長が、いきなり高額な給料、この業界のこの経験値でこの給料はありえないっていうのを打診してくれたんです。「僕のどこにそんな価値が?」「どこってその経歴と資格が」って言ってくださって。IT系の経験者でサービス管理責任者ならっていうことでその金額を提示した。そして、僕は立ち上げのために遠く離れた別の都市に引っ越すんです。で、施設の立ち上げに携わります。

最初から「何か精神疾患があるんじゃないか」と上司は思ってたそうです。それを承知の上で僕は会社に雇ってもらった。社長は僕に「立ち上げの柱になってほしい」っていってくださいました。「はい」って言った以上その約束を果たそうと今頑張ってる。僕の人生全てが今の仕事に就くためにあったというのはそういうことで。

未来:だから、替えの人生なんてないんです、僕に。これが1番の選択です。

花梨:未来について想像すると、どんなイメージが湧きますか?

mikuriya:旅をしてます、きっと。

花梨:どんな旅ですか?

mikuriya:行きたいところ、世界中行きたいところへ行って、やりたいことをやってるでしょう。

花梨:それはどうしてそう思いますか?

mikuriya:いろんな仕事をしたんで、なんだかんどこでも働くことも出来るだろうと。貧しい時に副業をいろいろしました。メルカリでの売買に始まり、ブログ、YouTube、観光ガイド、教師、webライター。結局、webライターがあっていました。文章を書くのが一番向いているし、仕事として現実的だった。いまは発達障がいの専門職として働いていますが、
その経験を軸にしたライターになることを実行中です。

日本でもいろんなところを旅しながら、世界中を旅して。いずれ、発達障がいのライターを本業として、旅をして 生きたい。何物にも縛られず、自由に生きたいんです。

あと、友人に「おごるからご飯食べよ」って誘ったりするんです。お金のない時に、稼ぎのいい友達がさりげなくご飯をごちそうしてくれた時、本当にうれしかった。生活に余裕ができたら、たまにでいいから、おなじことをしたかった。いろんな国に行って、友だちに会って、材料費出すから、一緒にご飯作ろう。作り方教えてとか、そういうことをしたいですね。

花梨:未来の中で、もし○○だったらという人生になっていたかっていう質問をしているんですが。

mikuriya:あーそういう考えはないですね。

花梨:どうしてですか?

mikuriya:常にね、納得することを最優先に生きてきた。納得して楽しみたいを最優先に生きてくると、人生に納得するんです。だから、替えの人生なんてないんです、僕に。これが1番の選択です。今までの記憶とか、何か1つでも取りこぼすのは勿体ない。

花梨:最後に言い残したことはありますか?

mikuriya:ありません。

あとがき

今の自分の状態に猛烈な違和感を覚えて、どうしようもない焦燥感に駆られる日があります。

向上心、と言ってしまえば、すごく聞こえはいいのですが、そんな風に肯定できる日はそれほどなく。

今の自分には至らないところが沢山ある。だから、今の自分を正さないといけない。

明確な基準もよく分からない正しさに縛られて、矢を一本一本自分に突き刺すように、自問自答してしまう日々が続いていました。

そんな中での、今回のインタビュー。

”今が正しいか分からなくとも、いつかは正解と思えるようになるかもしれない”

終わった後、そんな言葉が頭に浮かびました。
あなたは、読み終えた後、何を感じましたか?

改めて、mikuriyaさん、無名人インタビューへのご参加ありがとうございました!
次回は、どんなインタビューになるでしょうか? お楽しみに。


【インタビュー・編集・あとがき:花梨】

#無名人インタビュー #インタビュー #発達障害 #就労移行支援

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