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陳腐な一夏に(五週目)

 目覚めるとまだ眩し過ぎないくらいの光に包まれていた。窓を閉め切ってエアコンをかけているから外の気温はわからないが、きっと涼しいのだろう。そう思わせるほのかな青みを帯びた光が、今日は昨日よりはっきりと差し込んでいる。伸びをうんとするような目覚めは出来なかったが、特に眠い訳でも無いのでベッドを降りることにした。

 食卓では両親が片手でトーストを持ち食べながらテレビで流れている朝のニュースをお題に他愛のない話をしていた。母は食べている手の方の肘を机につけるのだが父はつけない。肘をつけるのは行儀が悪いような気がするが、つけないのはつけないので、特に父は畑仕事で身に着けた筋肉の鎧のせいだろうか、どこか獣っぽい趣がある。じゃあどう食べれば良いのかと訊かれれば両手で食べろと答えればよい。
「おはよー」
「あらおはよー。今日は早いのね」
「おはよう」
と座って両手で食べ始めたがどこか納得がいかないので結局片手で食べることにする。肘はつけないことにしようと思ったが、しっくり来なかったのでつけることにした。がまだしっくりこない。自分がどうやってトーストを食べていたのか忘れてしまったのか。何度も姿勢を変えても仕方が無いので結局母と同じ姿勢のまま食べ進めることにした。

 朝食を終えてからも特に何をするといったこともなくテレビをぼんやり見ていた。ご飯屋さんの特集は都市のものばかりで参考にならない。「あーおいしそー」、「これはやり過ぎだよー」、「たっっか、これで小説三冊は買えちゃうね」。ただ実際都市に出てみてもあまり感想は変わらない。テレビの特集というのはそういうものなのだろう。向こうの住処の小さなテレビを見ている自分の姿を思い出す。

 すると突然何とも言えぬ焦燥に駆られ始めた。あれ、どうしてこんなに暢気でいられるんだ。その焦燥に驚く暇も得られないままに頭がぐるぐる回り始める。テレビの画面が数えられる程の色でぐちゃぐちゃに塗り分けられたキャンバスに変わる。タレントの声が街中の雑踏を通り抜けて聞こえる騒がしい集団の内の一人が武勇伝的な何かを語っている音声になる。

 何かしなければ。理由も無く発作を起こしたようにこの議題を頭の中で繰り返す。とにかくじっとしていられなくなって自室に行く。本棚から参考書を引っ張り出す。勉強しようか。パソコンの方を見る。友人に一緒にプログラミングをやろうと誘われていたっけ。そのまま机を見る。自分も趣味を持とうということで小説を書き始めるんだった。でも違う。どれも今日やることじゃない。

 いや、正確には今日やれることじゃないんだ。それでも何かを、僕が今日やるべき何かをとかばんを探り抜き出したのは長旅の暇つぶしにと用意した筈だった、教授が講義でおすすめしていたあの小説だった。僕はそれすらもどうやって使うのかわからない道具のように思えて机に叩きつけるしか出来なかった。ハードカバーの脅迫するようなゴツンという音が響いてはっとした。我に返った、と言う状況だろうか。それすらもわからなかった。

 ベッドに飛び込んで布団に潜り込み、心を落ち着かせようと口で空気を貪った。少し布団を押し上げて新しい空気を求めようと吸った。

 少し落ち着いてきた。自分を駆り立てたものの理由もわからぬまま更に新しい空気を入れようと窓を開ける。外を見ている間に脳が勝手に考えを整理してくれている。それがなんとなくわかる。僕はそれに委ねて深呼吸をしていればいい。

 しばらくして昨日スーパーに行こうとしたのを思い出し、ならば今日行こうと準備をし始めた。寝巻から外出用に服を変え、ポーチに財布と携帯をいれてかける。実に短い準備ですぐに終わった。あと顔を洗っておけば良いだろう。先程まで何も手につかなかったのが噓のようだ。家を出ようとすると、どうやら両親はどこかに行ったらしく留守になってしまうため、家の鍵を取りにまた部屋に戻らなければならない始末だったがそれも別になんということもない。さっさと鍵を取って家を出た。

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