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陳腐な一夏に(三週目)

「あらーっ」
生まれてから聞き続けていた甲高い声がここまで懐かしく感じたことは無かった。僕を見るなり多分嬉しそうに家の奥に走っていき父を呼びに行く母。三、四か月も待たなくても修学旅行から帰れば見られた風景である。修学旅行から帰る日も、連絡をしておいた帰省の日も、既に知っている筈なのに息子が帰って来ることが意外な喜びであるような反応を見せるのは何故なのだろう。そんな下らない疑問と家の暖かさに、誰も見ていないが思わず笑みがこぼれる。
「どうした。そんな気持ち悪い顔をして」
見られていた。それにしても実の父に気持ち悪いと言われるとは、どんな笑みがこぼれていたのだろう。それ程までに僕の心は弾んでいるのだ。

 取り敢えずかさばった荷物を下ろす為に自室に向かった。狭い廊下に荷物を擦りつけながら進み自室の戸を開ける。ここを出る前に大掃除をしてまっさらにしたその時のまっさらな姿を留めている。布団の取り払われたベッドは木の板をむき出しにして柔らかな夕日を受け止めている。敷き布団さえあればそのまま飛び込んでいたに違いないが、けじめをつけさせようと僕に木目の顔を向けているベッドのおかげで荷物の整理を始められた。荷物と言ってもこっちで過ごすための衣服とノートパソコン、そして参考書くらいだが、参考書のめまいがするような分厚さと、過保護にパソコンを守る裏地がもこもこのケースのせいでとても一つのカバンに収まりそうに無かったのである。結局行きの時に日用品などを詰めたキャリーケースを動員しなければならなかった。手始めにそのケースを開けて衣服をタンスに詰めていくことから始めることにした。

 幼い時は重かったが、歳を取るに連れて段々軽くなって、かと思ったらまた重くなってしまった引き出しを開けて、形の乱れた衣服を畳み直して重ねていく。都会は当然このような田舎に比べておしゃれをしやすい場所なのだが、このタンスに初めて入る衣服は無い。おしゃれに興味があまり無い人のタンスは、たとえ外身が傷を負ったり色褪せたりしても、中身は変わらないものだ。自身の野暮さに今度は本当に誰も見ていない苦笑いをつくりながら、参考書を整理したりパソコンの導線を整理したりなどの作業も夕食前までに終わらせた。「ご飯よー」という声に応えてお腹がなる。たくさん歩いてくたびれたこともあって気付かないうちにかなりお腹が空いていたらしい。

 食卓に来てみると僕の好物がずらりと並んでいた。やはり僕が帰って来るというのは意外なイベントでは無かったのだ。うきうきした気持ちで食卓につく。夏を迎えた時のようなわだかまりはもう無く、誰かと喋りながら夕食をとるという久しぶりの楽しみに心は舞い上がっていたのである。

 両親と大学はどうか、一人暮らしは問題ないか、友人は出来たか、など平和な家庭では平均的な会話をしながら好物を頬張る時間に涙を起こすような感情が胸から湧き上がる。どうしてなのかはよくわからない。寂しかった、恋しかったのだろうと普通なら考えるだろう。でもその答えだけでは十分でないような気がしてならない。ただどれだけ考えてもよくわからなかったので、気にしても仕方の無いことはもういいだろうと、とにかく今を堪能しようと努めた。皆が食べ終わり食器を洗って片付けようとしたら「帰って来たばかりなんだから」と母が調子のよい感じで言ったのでお言葉に甘えた。きっと明日からはそのままにして食卓を離れようとしたら「洗いなさい」と言われるのだ。親というのはその気分が良いうちは甘えるに限るものである。その日はもう疲れ切っていたので風呂も湯舟には浸からずシャワーで済ませ、さっさと布団を準備して潜り込んだ。多分十分と経たずに眠りに入ったと思う。

 ベッドのそばの窓から差し込む朝日は、差し込むとは言うが頬を優しく包み今の時間を知らせてくれる。目覚まし以外に起こされるのも随分久しぶりだ。のそのそと体を起こしながら、今日は何をして過ごそうとぼんやり考える。寝起きなのに頭が疲れたように回らないので、まずは朝食を済ませることにした。

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