見出し画像

陳腐な一夏に(四週目)

 食卓に出てみると自分の分らしきトーストがジャム瓶と共に置いてある。暗かったので電気を点けて時計を見てみるともう十時半をまわっていた。昨日はよっぽど疲れたのだろう。ジャムを厚く塗ってもそもそと食べ始めた。今日は土曜日だが家には誰もいない。ということは父も母も畑に出ているのだろう。我が家では母が平日働きにここから電車で一時間ほどのところへ通い、父が先代からの畑を継いで耕している。畑はここから車で三十分ほどのところで中学生くらいまでは毎週土曜に連れられて手伝っていたが、高校生になり土曜日も部活のために学校に行くようになると、部活が休みの日でも何となくついていくことが無くなっていた。部活を引退してからは受験勉強の息抜きにとたまには手伝っていたが、それも秋あたりにはさっぱりやめてしまった。つまり一年ぶりに畑に行くという機会を寝坊によって逃してしまったわけになる。まぁ一年前と違って平日に学校に行ったりする必要が無いから土曜じゃなくても良いのだけれど。

 トーストを食べ終わったときには十分目も覚めていたので今日一日をどう過ごそうか考えることにした。向こうから参考書なども持って帰ってきていたはいたのだが、帰ってきていきなり勉強する気も起きず、かといって他にやることがあるかと言われれば全く無い。趣味の一つや二つ作っておけば良かった。家でぼーとしていても仕方がない。散歩に出ることにしよう。朝食が遅かったので向こうにいる間の休日にそうしていたように昼食は抜くことにした。両親は畑仕事の帰りに蕎麦などを啜り自分は家で適当に用意して食べるというのが習慣だったから特に連絡も要らないだろう。

 ポーチに財布と携帯だけ入れて外に出る。懐かしのスーパーにでも行くか、昨日家に向かって来た道をそのまま戻っていく。スーパーのある大通りへ向かう道に折れようとしたとき、更に向こうにある神社のことを思い出してそこに向かうことにした。ことにした、などと言っておいてそうした理由はわからなかった。何故かそこに向かった方が良い気がしたのである。折れずにまっすぐ進むと直進する道の他に右に少しそれた小道がある。そこを登っていくと木々に囲まれた小さな神社がある。あまりに小さく奥まったところにあるから放置されているんじゃないかと思いそうだが、見に行くと結構な頻度で神主が掃除をしているし新年の初詣は賑わうしできちんとした神社である。

 その小道を登り切った時にはかなり息が切れていたが、そこには更に階段があるのである。俯けて汗の垂れていた顔を上げ階段を見ると誰かが座っている。そうだ。友人のカズト君だ。彼とはよく遊んでいた。神社の脇の森はその遊び場の一つであり、よくここを待ち合わせ場所にしたりしたし、約束せずともふらっとここに来れば遊べたものだ。

「おーい、久しぶりじゃないか。帰ってたんだな」
「久しぶり~。昨日帰ってきたのさ」
「おい、早速だがアレ、やるぞ」
僕はすぐに快諾した。「アレ」とはいかがわしい響きだが、その正体は鬼ごっこである。鬼ごっこと一口には言うが、このような木々に囲まれた場所でやる鬼ごっこは開けた場所でやるものとは全く違う。木や茂みに隠れて鬼の様子を伺い、見つかったらあちこちに逃げながら別の茂みに分け入り隠れながら逃げまた様子を伺う。かと思えば鬼がいつの間にか姿を消していて逆に少し開けた場所に出て来てどこから来るかと気を張りながら居場所を探る。この緊張感とやる度に変わる展開にいつまでも飽きず、全身に傷を作りながら日が暮れるまでやっていたものだ。この日もかつてと同じように鬼ごっこをし続け、くたくたになって二人階段に座り込んだ。ここで初めて再開までの日々のことを話した。大学はどうか、一人暮らしは問題ないか、友人は出来たか。両親と同じような話題だったが昨晩よりずっと楽しく話し続けていた。
「また来るよ」
そう約束して帰った。家に着いた時にはもうかなりくたくただった。

「ただいまー」
「おかえりー。随分お疲れみたいだけど何してたの」
「ちょっと散歩にね」
今夜の晩ご飯は素麺だった。ねぎにしょうが、しそとなどの青々とした薬味と氷水の中に冷やされた素麺が乗る食卓は確かに夏を代表する光景だ。だがこの場には窓から嫌な程入り込むさんさんとした日差しが欠けている。うんざりする程暑そうな外を横目に啜る素麺を至高とする僕にとってはやはり素麺は昼でなけりゃならない。とは言っているが一人暮らしの時はかなりの頻度で三食を素麺で済ませていたので文句は言えない。夕食が素麺ということは昼は蕎麦では無かったのだろうとそれとなく訊いたら
「いや蕎麦だが。どうかしたか」
とこちらの予想を全く想定していないかの調子で父が答えた。まぁよくよく考えずとも三食素麺の息子がたかが二食が麺類だったくらいで父が何か思うだろうと想定し質問する方が変な話である。この日もよく疲れていたからシャワーで済ませてすぐに寝てしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?