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陳腐な一夏に(二週目)

 乗ってからもずっと外を見ている。いや正確には外と窓を交互に見ている。彼方まで延びていく空とそれを遮る山々。その遥かなる景色から僕を短く区切る窓。そうしてできた若干窮屈な空間の中で、僕は窓の汚れを爪で引っ掻いては外を見て、飽きたらまた引っ掻いて、というのを繰り返していた。つまり暇だったのだ。この暇を紛らせるために小説を持っていた筈なのに読む気が起きない。こんなときは手軽な暇潰しツールの代表格、スマートフォンを使おえばいい、とも思ったけれどこれも見る気にはならなかった。かといってぼんやり景色を見続けているのもどこか落ち着かず、窓を掻いたり他の乗客の様子を見たり。普通は買わないであろう機内販売のジュースを買うことまでしてしまった。

 あれこれ試す内に荷物の紐をいじくり回すのが一番しっくりきて、新幹線が一度駅に止まるまでずっとそうしていた。駅に止まってからは一度降りて買い物をしたり出来る訳でも無かったのだが手元を止め、駅の様子を見たり乗り降りして入れ替わる他の乗客をぼんやり見ていた。少ししか待たずに新幹線は再び走り出した。

 その時ふと思い出したように鞄の中を手で探る。窓枠を青々とした山が二つ三つ通りすぎるくらい苦戦して引き出したのはこれまた小説だ。だけれど小学生の時から読みなれた小説だった。初めて読んだときはあまり意味がわからなくて面白さがわからなかったが、大きくなるにつれてその面白さが次第に増えてきた。この歳に至るまでは五、六回くらいは読み返していてストーリーの展開や結末などとっくにわかりきっているのだが、それでもまた読みたくなる時が来るだろうと実家から持ってきていたのだった。そしてその時が今なのである。

 頁に完全に視線を独り占めされて、最後の文字を読み終わった時はもう目的の駅に着くところだった。本は時間を盗んでいってしまう。それも鮮やかな手口などではなくごくありふれたやり方で。そのことを実感しつつ急ぎめに降りる準備をする。お気に入りの本もしまい鞄の紐をきゅっと結んだら、新幹線の到着だ。

 またも重い荷物を背負ってそそくさと降り電車に乗り換える。久し振りとは言えど三、四か月しか経っていないから大して変わるはずもない駅を、それでもなんとなく変わったところを探したくなってしまう気持ちで見回しながら電車を待つホームに来る。変わらないホームで変わらない電車を待ち変わらないドアの音を聞きながら変わらない車内に乗り込む。地元がこの変わらない広い胸と大きな腕で僕を暖かく迎え入れてくれる嬉しさに、やっと自分は帰ってきたのだという自覚が沸いてきた。その幸福感のような、満足感のようなものと共に外を見て目的の駅を待つ。新幹線の時とは違いあっという間だった。

 駅を降りる。もう幼いときから馴染んできた風景が目前に広がっている。駅からはバスを使わないと実家まで遠いのだが、この風景を全身で味わう為に、新幹線までの苦痛に満ちた歩みのことを忘れて実家まで歩くことにした。

 そこまで田舎だという訳でも無いので、大通り沿いにはいくつか飲食店が並んでいる。飲食店自体には、幼い頃から何回も変わっていたのもあってそこまで懐かしみを覚えなかったけれど、このぽつぽつ畑を挟みながら立ち並ぶ建物の作る光景にはやはり親しみがある。ここをずっとまっすぐ行くと少し大きめのスーパーがあって、日用品も含めて殆どの買い物はそこで済んでいた。大通りの隣の隣の小さな路地にある僕の家へ行くための曲がり道は、そのスーパーより手前にあるから今日は行かないけど、こっちにいる間に行っておきたいところの一つだ。

 家のある路地の前の路地にも馴染みがある。そりゃあ幼い時から育ってきたんだ、隣の路地にも愛着があってもおかしく無いだろうと思うかもしれないが、僕の場合はむしろこの隣の路地こそが愛しき少年時代の舞台だった。

 そしてもう一つ先の路地に来れば僕の家はすぐそこだ。帰って来たのだ。今の時代では珍しいかもしれない平屋建ての、あまり整理されていない庭を前に構えた僕の家。玄関への道に敷かれた石の感触すら懐かしく、味わうように一歩一歩進んでいく。戸の前で軽く息を吐いてから、ゆっくり開けた。ただいま。

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