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踊らされるくらいならむしろ踊り狂ってやろうホトトギス(めっちゃ字余り)

『女はクリスマスケーキ』

という理論が生まれたのは、バブル期のことらしい。
言わずもがな女性の年齢(婚期)を揶揄した理論であるが、悲しいかななかなか的を得ていると私は思っている。
なんなら今は「年越しそば理論」や「おせち理論」というものもあるんですって。

老若男女問わず誰だって平等に歳を取るのに、「年齢」という抗うことの出来ないもので勝手にカテゴライズされるのはいつだって私たち女だ。
気が付けば「アラサー」や「アラフォー」という言葉が生まれ、勝手にラベリングされている。

キラキラなクリスマスケーキでも、ほっこりする年越しそばでも、ちょっと豪華なおせちでもない年齢になった時、私は何に成るのか。

歳を取ることだけは確実なこの世界での救いはなんだ。

友達か。
家族か。
恋人か。

いやいや、結局「自分」だろう。

今の私は、恋人とかその先の家族とか、そういう相手がいないことに落ち込んでは病むという日々を過ごしている(悲しい現実)。
もちろん友達や家族や恋人がいて人生の充実度は高まるけど、結局は自分が自分を認めて救ってあげなきゃ、相手に対して何かしらを期待して依存して、与えてもらえなかったり裏切られたりしてはまた病むのだ。

私のような悲しい女は、わざわざアラサーとかいうラベルを自分に貼り付け、別に入り込まなくてもいいカテゴリーに自ら足を踏み入れ、最終的には勝手に傷付いている。自作自演もいいとこ。
1番厄介なのは、自分的には、そうすることで己を守っていると思っていることだ。

書いていて気付いたけど、これって精神的自傷行為だよなあ。

こういうことでしか自分を守ることが出来ない原因はなんだろう。
いまだにこれといった答えを見つけ出せずにいるのだけど、結局傷付いてつらい思いをしていることだけは確かだ。

「自分の機嫌は自分で取る!」
なんてよく雑誌やネットで見かけるけど、私にとっては1番難しいかもしれない。
他人からの評価でしか自分の価値を見い出せない私は、自分で機嫌を取ってるつもりでも、その先にあるのは他人からの承認欲求だったりするからだ。

考え方や生き方を変えることは、なかなか難しい。
だけど私は、この方法が自分のためにならないことに、ホントは気付いているのだ。
私はもっと純粋に自分の人生を楽しみたい。
結婚だけが女(人)の幸せではない時代に突入している今、それだけに囚われて生きているのも勿体ないじゃないか。もちろん、結婚というか、人生を共に歩んでいきたいと思えるような人には出会いたいが。
結婚していてもしていなくても、生きる喜びや楽しさ、悲しみや苦しみは誰にだってあるし、そもそも「結婚していない私」が不幸な訳ではない。

年齢や性別のラベル・カテゴリーは、近年問題視され始めているが、今はまだ完全にはなくならないだろう。
私もまだまだ未熟なので、時にはそのラベルで武装して生きていくかもしれない。

私は、クリスマスケーキや年越しそばやおせちじゃない。
そんな誰が決めたのかもわからないような理論に踊らされるより、なんならその理論を逆手に取って、むしろ踊り狂うくらい楽しんで生きて、「私」を全うしていきたい。

・・・
・・

クリスマスを過ぎた辺りから書き始めて、あれよあれよという間に正月も過ぎてしまった。
アラサー・ミドサーの哀愁溢れる記事になるかと思ったら、人生の所信表明にたどり着きました。
これぞ「私」。逆にぶれない。

2022年も楽しく投稿していきたいと思います。
読んでくれた方、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。




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