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ほんの短い詩と詩。「雪みち」から「はるのはじめ」のひとひらへ。

 今年の秋に発行した詩誌「アンリエット」。
 ここにどんな詩が並ぶのかは具体的には言えないのだけれど……。
 一つの鍵となる気配のなかに複数の時間や風の流れを入れてみよう……と意識して手を動かした詩篇がいくつかある。

 第四詩集『微熱期』とは少し違う、言葉の置き方と重力と、息遣いで。
 そういう微調整は、たとえば料理をするときや絵を描くときの感覚に近いのかもしれない。食材の切り方や調味料の量を微調整し、煮込む時間も変えてみる。もしくは、パレットのうえで溶かす絵の具の数と水の量を変えてみる。
 そのように、一語一語のあいだに入れる空気や水分を変える。その小さな差によって、一篇、一行の触感や香りも変わるのでは……と思う。
 そしてそんな調理や調合を試すときには、20行以内というパレットや小ぶりの鍋が使いやすいとも感じる。

 これまで書いた短い詩には、詩集『あのとき冬の子どもたち』の冒頭の「流星」がある。
 これはもともと『文藝春秋』の詩の欄のために書いたもの。書いたときには、10行まで、という制限があった。
 詩集に収録する際には、いらない行を削除し、残した行の改行位置を変えて息の長さを調節し、16行にまで増やした。

 「流星」は、版元の七月堂さんのオンラインショップでもまるごと引用されているので、本を買わずとも読める一篇なのだけれど……引用してみる。

マッチを擦っても
新年の雪みちには犬の影もない
ひと足ごとに
夜の音が消えてゆく
冷気を炎と感じられるほど
ひとを憎むことも
許すことも できなかった

せめて
てのひらで雪を受ければ
いつまでも溶けない冬が
ふたたび訪れることはない病室へ流れていった
それを流星と呼んでいらい
わたしの願いはどこにも届かない
それでも星は
清潔な包帯のように流れつづけた

「流星」(『あのとき冬の子どもたち』より)


 そして今年のはじめにはまた10行の詩を書いた。
 だれも、自分すらも受けつけない、凍るような「冬」の詩を書いたときからだいぶ経って。ある「はるのはじめ」の一篇を。
 このささやかな作品をいま読み返してみて、10行の息遣いを少し変え、15行の流れにしたほうが、現在の自分の感覚にはしっくりくるので。
 そうしたうえでここに引用する。

 上記の「真冬」から「春」のはじまりへと。ようやく、ほころびはじめた息遣いを感じてもらえたら嬉しい。

 「仲見世」という一篇。

花の雑踏で 別れ
ふたたびめぐる
はるのはじめの仲見世で
なごりの ゆき か
花びらになったあの人が
わたしの乳飲み子の 陽の匂いの髪にふれ
吉の御籤を結ぶあいだに
眠りに落ちる幼い桃の頰と
わたしのうす紅の胸もとへも流れ
ひとめ、追えば
午後の池の 夢のおくへと隠れるまえに ひとひらは
いっせいに飛来する白鳩にあっけなく消され
見あげれば 晴天
腕のなかにはただ 日ごと重くなる子と
春眠

「仲見世」


 

 そしてこのあとに書いた詩が、詩誌「アンリエット」に載せた作品。
 自分にとっては大切な八篇。お読みいただけましたら幸いです。

 詩誌の販売については、先日も記事を書きましたが。
 七月堂古書部さん、あまかわ文庫さんのオンラインショップでは完売しています。
 葉ね文庫さん、自由港書店さんの在庫も現在あるだけになります。
 たくさんの方にお求めいただき、ほんとうにありがとうございます。
心より御礼を申し上げます。


そして、「流星」の収録された詩集『あのとき冬の子どもたち』はこちら。