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「詩の教室」Q&A【1~15】

2022年1月23日に山口市立中央図書館で開催された
「詩の教室」への質問に回答した文章です。
ご質問の文章は、基本的にご提出時のまま変えずに記載しています。
(「先生」→「さん」に変更。明らかな誤字脱字は修正)
 
また、ご質問者の個人情報はいっさいいただいておりませんのでご安心ください。ご質問のみ記載いたします。
 Q&A16~34は別記事になります(最後に貼り付けてあります)。

問1:
詩はどんな時に生まれるのでしょうか。「書こう」と思って生まれるのか、それとも自然に生まれてくるのでしょうか。
峯澤さんの詩の静けさや優しさが好きですが、静けさの中から自然に生まれてくるのか、意識して静けさを描かれるのか、お聞きできればと思っています。
 
回答1:
日常生活で味わう感情や感覚、見聞きしたものや過去の記憶、他の創作物(映画、音楽、絵画、小説)からの影響や刺激など……。
そうした「詩のはじまり」を自分のなかに集めていくと、そのなかから「これを詩にしてみたいな」と思えるものが浮かんできます。
それを具体的に言葉にして書き留めておきます。そして、実際に詩を書くときにそのメモを手がかりに言葉を広げていきます。
 
また、「静けさや優しさが好き」とおっしゃってくださり、ありがとうございます。
私は、詩を書くときに最初は音のない静かな心の空間に入っていって、そこに浮かんでくるものを言葉にしていくことが多いので、その工程を感じ取ってくださったのでしょうか。
 
けれど、私の詩に「静けさ」があるとすれば、それは私自身のものではなく、お読みくださる方のなかにもともとあった「静けさ」なのではとも感じます。
 
問2:
峯澤さんが、特に影響を受けたのではないかと思われる詩人と詩集名を教えていただけたら幸いです。
また、その詩人のどういった点(視点や身体感覚、技法etc)にご影響を受けたのかもお教え頂けたらなお幸いです。
 
回答2:
本格的に詩を読み、書こうとした高校生の頃、萩原朔太郎の『月に吠える』、北原白秋の『思ひ出』(とくに「わが生ひたち」という序文)、田村隆一の『四千の日と夜』にとても憧れました。
 
3人とも詩集ごとに作風が変化していきますが、この3冊の言葉の色艶や陰翳、五感の響きあい、無駄のない言葉選び、比喩の見事さ、そして何よりもその詩人独自の世界観に惹かれました。
 
問3:
ほそぼそと詩を書いているのですが、どこかで見たような言葉ばかりが浮かんで、上手く表現できない時があります。そういう時はどのように考えたら良いのでしょうか。
 
回答3:
私自身は、ふだん口にしたことのない言葉や変に凝った言い回しを詩に用いる必要はないと考えています。たとえ見慣れた言葉であっても、組み合わせしだいで新鮮に感じさせることはできると思いますし。
 
新しい言葉を無理に探しに行くよりも、自分にしっくりくる数語を的確に使えるように、言葉の組み合わせを何通りも試してみる。そうするうちに表したいことにだんだんと近づけるのかもしれません。
 
語彙をむやみに広げるよりも、信頼できるいくつかの言葉をまずは味方にするということでしょうか。
 
問4:はじめまして。
・詩を直接的に表現しない方がいいのですか?気持ちを動物や物に例えたりしたほうがいいのでしょうか。
・たんたんと何気なくすごす日常の視点を表現するのに、難しい表現を使った方がいいのでしょうか。
 
回答4:
「回答3」にも重なりますが、奇をてらった言い回しを用いたり、語り手を「わたし」以外のものや動物にあえて設定する必要はないのではと思います。
 
自分にとって頼れる言葉をいくつか探し出して、それらを的確に用いるほうが、その人らしい詩が生まれるのではと想像します。
 
平明な言葉を用いて私的な日常を書きながらも、それが「わたし」の感情の吐露で終わることなく、普遍的な哀しみや愛しさやさびしさなどに触れている詩はたくさんあります。
 
「詩の教室」でご紹介した詩人(金子みすゞ、池井昌樹さん、松下育男さん、小池昌代さん)のほかにも、私の好きな詩人のなかから例を挙げるとすれば、黒田三郎や辻征夫、高橋順子さんの詩などが参考になるかと思います。
 
問5:
問5-(1):
詩を書いていて、自分の詩に「広がりがない」「狭いゾーンにとどまっている」「また似たようなことを書いている」と感じることがあります。
書き慣れた詩に否定はないのですが、なんだかもう少し広げたい(主題の選び方、書き方、表現の仕方など)という気持ちが湧いてきたとき、峯澤さんならどうされますか。
 
回答5-(1):
好きな詩人の書き方を参考にする、読んだことのない詩人の詩集を読む、書いたことのない詩の形式(散文詩、ソネット、四行詩、もしくは思い切って短歌や俳句)に挑戦するなど、いろいろと試してみるのも刺激になっていいかと思います。
 
私の場合は、自分の書きたいことを何度かくり返し書いているうちに、同じことを今度は違う詩のかたちで書いてみよう、とか、「わたし」という言葉を使わないで書いてみよう、など思いつくこともあります。
 
書きたい内容が自然と詩のかたちを作っていくと思いますので、いつも行分け詩で、語り手は「わたし」で、と決めつけずに言葉を気軽に動かしてみるのはいかがでしょうか。
 
私もこれまで行分け詩中心に書いてきたので、自分の書けることや書きたいことを新たに発見するために、最近は散文詩も集中的に試みましたが、行分け詩から離れたことでかえって行分け詩の魅力に気づけたとも感じています。
 
問5-(2):
周りの人が「この詩、いい!」という詩が、私にはちっともわからない…ということがよくあります(嫌とは思わないけれど、どこがどういいのかがわからなかったり、その詩の表したいもの自体がわからなかったりします)。

すべての詩の良さをわからないといけないことはないと思いますが、「わからない詩」へのとっかかりがなさすぎると、なんだかさみしい気がします。「わからない詩」には、どう向き合うといいのでしょうか。
お考えがありましたら、ぜひお聞きしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 
回答5-(2):
好きな食べ物や音楽や居心地のいい場所も人によって違うように、詩にも直感的(本能的、生理的)な好みはあると思います。
私は、その良さがあまり伝わってこない詩の魅力を無理に見つけようとするよりも、好きでたまらない詩のことを考えて過ごします。
 
なぜこの詩が好きなのか、とてもかっこよく、美しく見えるのか。幸せな気持ちに浸りながらひたすら考え、魅力をたっぷりと味わいます。
そうすると、自分はなぜこの「良さがわからない詩」にはピンとこなかったかもわかる気がします。
「わからない詩」も、自分の好みの方向を教えてくれる一つのきっかけになる。私はそのくらいの距離から眺めています。
 
問6:
エッセイは徒歩、詩はダンス、と言いますが、わたしは歩く詩もあっていいのではないかなと思うのですが、詩との距離感についてや、どのように相手をしてあげればいいか迷うことがあります。よろしければご教授いただけますと幸いです。
 
回答6:
「詩の教室」でもお話しましたが、ある地点からある地点まで物語や内容を運ぶのが目的の詩=「歩く」のが目的の詩があってももちろんいいと思います。
 
ですが、私個人としては、言葉がゆったりと(あるいは優雅に?)歩く姿自体も魅力的であってほしい、と願っています。何度でも眺めたくなるくらいに。
 
「詩との距離感」ですが、表したいことの核をより鮮やかに表すためには、自分の直接的な感情をそのまますぐに言葉にするのではなく、言葉の行く先を書く人がコントロールしすぎず、言葉自体の動きや流れを信頼することも大切かなと感じています。
 
「詩のはじまり」をいろんな視点から眺めつつ、言葉を自由に書きつけながら想像を膨らませてゆく。
するとその想像とともに、ある一語が意外な一語とつながり、書く私を思いがけない行へと導いてくれるはすです。
自分の狭い主観や思いよりも、言葉自体の自由な動きを信じる。詩の言葉とはそんな距離を持ちたいなと思います。
 
問7:
おすすめの詩集は何でしょうか。
 
回答7:
おすすめの詩集を数冊にしぼるのは難しく、できれば、思潮社の「現代詩文庫」全部、といいたいところですが。
「問2」で高校生の頃に影響を受けた詩集を挙げましたので、ここでは、その後読んだ詩集のなかで、衝撃を受け、かつ長く読み続けている数冊を挙げたいと思います。
 
松浦寿輝さん『冬の本』、松下育男さん『肴』、池井昌樹さん『晴夜』、粕谷栄市さん『世界の構造』、小池昌代さん『もっとも官能的な部屋』。
(どの詩集も、現在は各詩人の「現代詩文庫」で読めます)
 
詩を書くことの奥深さや多様性、そして言葉やものを意識的に観察することを教えてくれた詩集ばかりです。
 
最近では、糸井茂莉さんの『ノート/夜、波のように』という詩集にとても惹かれました。
思考と直感が美しい言葉の流れとイメージのふくらみのなかで溶け合う、上質な織物にも似た一冊です。
密かな宝物を眺めるように愛読しています。
 
問8:
ご自身以外の方の詩を読むときに心掛けている、気を付けていることなどは、どのようなことでしょうか?
私は詩を読むときに、ついさらさらと読んでしまうのですが、もっと引っかかりながら読みたいと思うことかあります。なにか気をつけられることがあれば、教えていただければと思います。
 
また、ご自身の詩を作るときに完成したという区切りは、どういう状態になったときに手を入れるのを止めるのでしょうか?
 
回答8:
私も一読者として読むときは、さらっと読み流すことがほとんどです。
けれど書評や感想を書くときには、「なぜこう書いたのかな?」など、できるだけ作者の立場になって読みます。
 
これは「私に関係すること」だと想像して読んでみる。
すると、より深く言葉が入ってくることがあります。
「この詩集について何か書けと言われたら、どこを切り取ってどう書こう?」。
そう仮定して読んでみると、いつもと違う読み方になるのではないでしょうか。
 
詩が完成したかどうか。その目安は、書き終えた詩を何度も音読して(ときには食事をしながら道を歩きながら頭のなかで暗唱して)、引っかかる箇所がなくなった、と思えるかどうかです。
 
問9:
作品ができてから、どのように推敲されますか? 他者の意見を聞かれたりしますか?
詩集に編む段階で、手を入れられたりしますか?
 
回答9:
「回答8」でも触れましたが、ざっと書いたあとに、言葉の結びつきや全体の流れに違和感がなくなるまでくり返し声に出して整えます。
 
提出の前に、だれかに詩を見せることはありません。
自分のなかになるべく他者の眼を持ちたいと思っています。ときどき、過去の「私」が読んだらどう思うかな? 気に入ってくれるかな? と想像することもあります。
 
詩集に載せるときに、一冊のなかで同じ言葉が何度も出て来る場合には、別の言葉に差し替えることはありますが、大きく修正することはありません。
 
問10:
小説では私小説と言う分野がありますが、自分の体験ですでにあった事を書くのは詩とは言わないのでしょうか?(生活詩も含めて)
 
回答10:
「詩の教室」で紹介した池井昌樹さんの詩も「私詩」と呼べるかもしれません。
 
実際に体験した出来事をもとに書く。「回答4」でも触れた高橋順子さんの詩集『時の雨』もそういう詩集です。
小説家である夫の病のことや夫婦の日々の暮らしが赤裸々に、けれど落ち着いた眼差しで描かれています。
とても個人的な、ときに絶望的な状況ですら、高橋さんは冷静に見つめ、抑えた語り口で表しています。
だからこそ一語一語に重力があり、読む人に他人事と思わせない静かな迫力がそこにはあります。
 
私的な出来事を扱いながらも、単なる事実の報告や日記で終わらない詩は、何が違うのか。
「私詩」を考えるうえで参考になるかと思います。
現代詩文庫「高橋順子詩集」にも、このすばらしい詩集『時の雨』は収録されていますのでぜひご覧ください。
 
問11:
物事はいくつもの言葉のバリエーションで表すことが出来ると思うのですが、峯澤さんはそういう時にどう言った基準で言葉を選びとっていますか?
 
回答11:
ふだん使わない言葉を選んだり、頭で考えて選ぶことはあまりなく、自分の感覚にとって一番しっくりくる、信頼できる言葉を選ぶようにしています。
 
その一語を見ているだけで想像がふくらむか、心地よい温度を感じるか、も選ぶときの決めてとなります。
 
問12:
詩作に取り組む時間帯(タイミング)はだいたい決まっていますか?
それとも、書きたい気持ちになったときに書きますか?
もし、だいたい決まっていたら、どんなタイミング(早朝、寝る前、など…)か、またその理由など知りたいです。よろしくお願いします。
 
回答12:
騒がしい喫茶店だとかえって集中できる人もいるようですが、私は周りが寝静まった頃に詩を書くことが多いです。
 
周囲から物音が聞こえない時間帯が一番自分の内側に入っていける気がするからです。
静かなときのほうが、言葉が生まれる気配をとらえやすいとも感じています。
 
問13:
近代詩から現代詩に至るまでの詩を知っておくというのは、これから詩を書いていきたいと思っているものにとってどのような意味があると思いますか?
 
回答13:
たとえば、服でも食べ物でも住まいでも、自分に合ったものをたった数個のサンプルから選ぶよりも、数百、数千のバリエーションから選ぶほうが、心から惹かれるものが明確にわかるのではないでしょうか。
それは詩の場合でも同じはず。
 
近現代のさまざまな詩作品を読み、多様な言葉の表現を知り、数多くのサンプルを集めたほうが、自分がほんとうに書きたいものや惹かれるものがよりわかるのではという気がします。
また、いろいろな作品を読んでおくことは、詩を書くうえでの無意識の糧となるのではとも思います。
 
問14:
どうしたら峯澤さんのようにやさしいまなざしで詩を深く読めるようになりますか? 
ひとの作品を読むときに心がけていることなどあればお聞かせください。
 
回答14:
やさしいまなざしとおっしゃってくださり恐縮いたします。
もし、ある作品について意見を求められたときには、なるべく書いた人の立場や気持ちになって詩を眺めようと試みます。
だれにとっても自分の詩は、かけがえのないもののはず。だからその詩を渡されたのなら、できるだけ大切に扱いたいと思うからです。
 
そしてもう一つの理由は、作者の眼を借りて読むことで、自分の読む領域と書く領域も広がるかもしれない、と期待するからです。
 
問15:
短い言葉に思いをのせることが難しいなーと思います。
峯澤さんは、どんなふうに言葉を紡がれるのでしょうか?
 
回答15:
「詩の教室」でもお話させていただきましたが、自分にとって気になること(詩のはじまり)についていろいろと想像しながら言葉をメモしていきます。
 
その一語一語が結びついて文章になったとき、その背後に何かの気配や風景が見えてきますので、そのなかに入っていき、見えてくるものをどんどんと書いていくという流れです。
 
思いをあえて短い言葉のなかに収めずに、散文詩というかたちもありますので、どんどんと言葉が生まれるままに書いてみるのはいかがでしょうか。


「詩の教室」Q&A【16~34】は下記の記事へ。

※この「詩の教室」Q&Aについて:
2022年1月23日に行われました、
山口市立中央図書館「詩の教室」の終了後、
参加者のみなさまに配布しましたQ&Aを転載しました。
(図書館からも転載の許可をいただいております)