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「おっぱい」について真剣に語る

 冒頭のタイトルからキモさ振り切りすぎて三日後の自分が見ると投稿を躊躇う姿が容易に想像できるので、勢いで二日以内に投稿するべく走り書く。
 というかnote+って「おっぱい」って書いていいのか?確かYouTubeって規制対象になってたよね?僕はnote+を最も表現の自由なSNSだと思っているんですが、間違っていたらごめんなさい。もし「おっぱい」が規制対象で僕がnote+から締め出されようモノなら、日頃募る僕の変態性の受け皿がひとつ減る事になり、メンヘラがマッハ5に加速する。

 最近30歳という節目も超えて、キリのいいタイミング。自分の人生をコンビニでトイレ借りてる友達を店内で待つ際に流し読みするヤンジャンくらいのテンポでサササーっと30秒くらい振り返っていたら、ある重大な事に気がついた。

 僕は「おっぱい童貞」なのである。

 いやいや、「おっぱい童貞」は普通に童貞だろって思うかもしれないが、そんな他人の心にローラースケートで滑走する勢いの無礼な人間には、こちらからも全力で「はっ、はあ?ふざけんな!どどドーテーじゃねーし!」と反論させてもらう。
 「おっぱい童貞」という言葉の真意。それは僕がこの30年あまり、性行為の経験はあれど女の子のおっぱいを揉んだ経験が一度もない事にある。
 僕の周りには性欲に特化したバンドマンが多いので、そこら辺と比べられると正直ちっぽけに見えるが、僕の女性経験は30年間で3人だ。それなりに性行為も重ねたが、僕の女性の好みが原因なのだろう、全員もれなく胸のカップ数がAカップ以下だったのだ。言うなればAAカップといったところだろうか。揉めるわけがなかった。
 言っている意味がわからないって人もいるだろう。「Aカップが一番小さいでしょ?」と。

 Aカップのブラサイズでもぶかぶかになる。正直ブラに入っているワイヤーがマジでいらない。ティーカップよりも小さい。これがAAカップだ!

 ここまで読んでくれた奇特なスケベ紳士淑女に言いたいのは、僕は貧乳をディスっているわけではない。貧乳はステータスだ。誇るべき存在だ。体の成長に困る事の無い豊かな食生活が当たり前になっている昨今。日本国内のAカップは最も人口が少ない存在らしい。
 それよりもさらに小さいAAカップなんて希少を超えた希少。「揉む」という概念が入り込む余地は一切ない。胸の辺りに少し多めに着いた皮下脂肪と一緒に求肥のような柔肌を「つまむ」が精一杯であるという尊さ。
 僕は3人しか女性の体を知らないが、その3人全てが希少種である。これは天文学的確率と言っても差し支えないだろう!

 興奮してしまったが、話を戻して、僕は人並みに女性経験を積んだつもりで30歳を迎えたが、未だ女性の「おっぱい」を揉んだ事がないのである(摘んだ事、手を添えた事はある)。
 自分以外に同じ境遇の人がいないか話してみるが、誰にも理解は得られない。みんな「知っている人」なのである。

 ここまで書いておいて隠せるわけがないのでハッキリ言うが「おっぱい」に興味がある。街を歩いている時も豊かな人とすれ違うと意識を引っ張られそうになる。
 理想を言えば、こんな些細なことで心がブレたりしない、落ち着き払った大人な30歳を迎える自分をイメージしていたが、実際に30年生きてみると随分と不恰好な男に成長してしまった。

 夏になると外を歩く女の子はTシャツに鞄を斜めがけしたり、短パン着用して全身で健康体を表現している。眼福です。

 しかしながら、すれ違い様、人に不快感を与える意図はないので、31歳を迎える今年。自分を律して、よそ見をせず、自分の人生を真っ直ぐ見つめていこうと「おっぱい」。あじゃない、思う。 



#創作大賞2023 #エッセイ部門


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