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三十路の斜陽|メンバーを緩募と緩探ししてる

 今年で三十路になるが、途端に体の変化が生活していて目立つようになる。
 褒められる事ではないが、二十代の間は発汗量が異常に少なく、Tシャツを脇汗で湿らすこととは無縁の体質で、もちろん汗の匂いなども気にしたことがなかった。しかし、今年の夏になって自分の汗の匂いが自分で気になるようになり、クサイかどうかは不明だが確実に体臭が濃くなっている実感がある。
 髪の毛についても生まれつき若白髪が目立つ方だったので、今更チラッと見える白髪程度ではほとんど気にならないが、今年に入って白い鼻毛が目立つようになってきた。幼い頃、祖父の鼻の穴から覗く白い鼻毛を注視していたこともあり、風呂上がりに自分で引っこ抜いた鼻毛に既視感を覚え震えた。

 老いによる体の変化は年々訪れるものかと思いきや、ある時突然顔を出すものであると感じる。しかしながら、老いと共に変化していく自分に対して、焦燥といった感情は少なく、純粋に楽しみでもある。

 二十代後半に差し掛かるにつれて、様々なことが楽しめるようになったと感じる。二十代前半までは評価されず燻っている自分を俯瞰的に認識出来ていたにも関わらず、拗らせに拗らせ倒していた為、他人に対しては不寛容で、今になって少し厳しく断じるのであれば、「不遇な状況にあるのは周りの価値観がおかしい」と慰めていたように思う。
 ところが25歳になった頃には、方々から「丸くなったな〜」と言われるようになっていた。自分としては以前の様な他責的な思考や、自分本位な行動は鳴りを潜めている実感があり、あらゆる物を素直に受け入れることが出来ていた。これを世間では「大人になった」って言うのかも知れない。

 付き合いの長い友人の中には、すっかり表に出さなくなった反骨精神を呼び起こそうとする人もいた。彼は「なんかさびしい」と言っていた。
 だが僕は自分が大人になった気なんてちっともしていない。思考回路に関しては中学生の頃から大して変わっていないと感じる。いろんな事に腹が立ったり、イライラしたりする機会は減ったが、結局は目に着いて不快感を滲ませる事はままある。

 最近の自分の言動に付随する感情を思い返してみると、大半を占めるのが「面倒くさい」と言う感情である。
 ムカつく人がいても「怒るのが面倒くさい」。酔って説教を繰り返す先輩に対しても「反論するのが面倒くさい」。何をどう伝えても分かって貰えない状況に対しては「伝えるのが面倒くさい」。トラブルに繋がりかねないあらゆる物事に対して、実直に立ち向かうのではなく、「面倒くさい」と匙を投げて通り過ぎていくのを待っている。

 これって純粋に体力がものすごく衰えているんじゃないかと思う。他人ととことん向き合う様な行為はものすごい体力を必要とする。例えばバンド活動とか。

 昔、渋谷にライブしに行った時の話だ。
 当時僕以外のメンバーは運転が出来なかったため、関西と東京間の往復900キロメートル程を一人で運転していた。そんな中、東京でのライブ終わりに泥酔したメンバーが記憶も飛ばした状態で情緒不安定に陥り、僕の脇腹を殴ったり、手の甲に爪を立てて出血するまで薄皮を抉る様な事態になった。僕はそいつの体が吹っ飛ぶぐらいの力でブン殴り、車に積んで京都まで運転して帰った。
 こんなこともあった。
 例によって東京にライブをしに行った際。その日東京では何十年に一度と言われる程の大雪に襲われた。「これは帰りの運転地獄だな〜」と思っていたが、その日のライブ後は僕を除いて3人のうち、ひとりは「ライブついでに東京の実家に帰省する事にします」。もうひとりは「雪も危ないしテストもあるから新幹線が動いている間に切符買って帰ります」と言って、各々大雪のタイミングを避けて帰っていった。

 今もし当時と同じ状況になれば、相手をブン殴るよりももっと前の段階で置いて帰っただろうし、大雪の中16時間不眠で運転し続けた後には、彼らとは絶縁していたと思う。
 しかしながら、当時はそんな事にはならず、それから一年以上共にバンド活動を続けていたし、絶縁もしていない。まさに若い力、溢れる体力の賜物である。
 がしかし、やはり今は彼らとは共に活動は出来ていない。幾つ歳を重ねようと良くも悪くも彼らは自分らしさを貫き通していた。そんな彼らと当時のまま向き合い続ける体力は僕にはもう残っていなかった。

 しかしながら僕自身もなかなか変われない所がある。音楽を聴いていればすぐに自分の作る曲のために盗めるところは無いかと探し始めるし、近しい人の作る傑作に対して嫉妬心を覚えたりもする。正直その辺の感情も静まって欲しいと願っているのだが。
 いまだにバンドで曲を作ってレコーディングをして、不特定多数の人々に聴いてもらいたいという欲求が収まらないのである。

 だから今ここで主張しておきたいのはメンバーを探しているということ。ただバチバチに価値観をぶつけながら殺伐としつつ音楽を作りたいのではない。あくまで楽しみながら、それでいて完成度を追求しながら各々の知的好奇心を刺激し合える関係でありたい。
 正直他人に求め過ぎなのは重々承知である。だから僕も積極的に勧誘なんかもしない。というか出来ない。面倒くさいから。この人と一緒に居たいな〜とか、楽しそうだな〜って人を軽く誘ったりして、ダメならまた旅に出る。

 そんなのらりくらりで生きたい。


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