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夏祭りやカレー祭り、小規模イベント..イベントばかり運営していた私..中止になって今思うこと

仕方がわからないから、仕方ない

こんなにも、「仕方ない」と言う言葉がしっくりくるシチュエーションはこれまでになかったと思う。

本当だったら明日は、大規模なカレーまつりという地域のイベントをする予定だった。

毎年自分を奮い立たせてから取り組んでいた

大規模なイベントを運営するには、それなりの覚悟とか、マインドを整えるとか、そういうことが必要になる。

ある程度のレベルまで、「自分がやりたいから」という気持ちを高めないことには、着手できない自分がいた。

「このイベントでこんないいことがある」「自分はこういうことが得られる」「チームはこういうことが得られる」「お店はこういうメリットがあって」「参加者はこういうメリットがある」「地域の人たちの思い出になる」「とにかく盛り上がる時間が楽しい」

ある年は、自分自身の経済的な余裕もなく、チームの仲間に「今年はやめとかないか」と言った年もあった。けれど、どこかから「諦めるのか?」と自分の声が聞こえてくるようだった。

結局その年も、周りの勢いに押されて、開催したのだけれど。

やるとなったら、自分を鼓舞するんだけど。

私は、20歳の時から、商店街でのイベントに関わってきた。

20歳というと、バイトしたり、自由なお金で好きな遊びをしたりしたらいいのにという年齢だ。

なのに、私は、朝から晩まで商店街のことをしていた..

今から考えても変な学生だと思う。

でも、そのころは色んなことに悩みすぎていてフラフラしていて、

それに自分が気づいていたから、浮ついた遊びをしたら、余計悩みが増えそうな気がしていたんだと思う。

そこで、私は修行させていただく場として、商店街を選んだ。

その世界を追求しまくろうと決意した。

そうして、始まったイベント活動は15年も続いてきた。

マンネリ化していたかもしれない

それなりに一生懸命やってきたから、街の人との信頼関係も少しずつ築けていた。

他に依頼する人もいないから、私たちに依頼するという状況にもなっていたような気もする。

私たちも、程々の成果を出して、維持継続を正当化していた部分も少なからずある。

2020年、こんなことになって、こんなことになったから、色んなことを見直したり、仕切り直したりするきっかけをいただいたと思う。

押し込めている感情

私は、イベントをして、どんな欲求を満たしていたのだろうか。

私は、「驚いた!」とか、「ほーそんな楽しみ方があったか」と思わせることが好きなんだと思う。それで、イベントを続けてきたんじゃないかと思う。

その、周りが「おー!」とか言ってくれるのが、中毒性があって、達成感があって、その活動が「好き」になって、続けてこれたんじゃないかと思う。

天井に届くような炎で、お肉を焼くようなパフォーマンスではないにしても、「パフォーマンス」というものへの憧れがあって、それを体現する機会となっていたのだと思う。

それに、商店街のおじちゃんたちは、もう最近なんか特に「好きなようにやっていいよ」っていう状態だから、余計自分たちの表現の場として機能していたんだと思う。

去年くらいから、これはアートに近い感覚なんだろうなと思い始めていた。

芸術家じゃないですけどね。

今後について

こればっかりは、なんともわからない!

けれど、パフォーマンスの場を作らないと私は、腐ってしまいそう。

だから、このnoteにもアウトプットさせていただきたいと思う。

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