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大学入試に失敗したと思ったが人生を変えていった人の話

わたしが卒業した地方の県立高校は毎年400人程度の生徒のうち150人くらいが国公立大学へ、残りの大半は私立大学・専門学校へと進学していた。
高2から理系・文系のクラスにわかれる。そのため通常文系クラスの生徒はいわゆる理系の学部・学科はハナから進路としての選択肢からは除外するのが通常だった。

卒業して十余年たったとき、学年での同窓会での話。

文系クラスの彼は第一志望の国公立に不合格となり、家族からは浪人はできないので進学をあきらめ就職するか、どこでもいいから国公立の2次募集を受け合格するかの二択をせまられた。
不合格なだけでも十分落ち込んでお先真っ暗な気分なのに、2次募集という超狭き門で受験するところを探すなんてそうそううまくいくもんじゃない。

進路指導に熱心な担任が、二次募集でみつけてくれたのは、試験科目が小論文だけ、の、なんと水産学部。
え、そこ?と思ったそうだが、背に腹は代えられない。
後先ない崖っぷちの彼は、ダメ元で受験したところ、見事合格。
晴れて大学生となった。

しかし、みなさんもお気づきのとおり、水産学部、理系の分類にはいる。
入学するなり、理系の洗礼を受けたのか、「やっぱりだめだ。とても無理。ついていけない」と激しく落ち込み、GWに帰省して親に交渉した。
「辞めたい。無理。辞めさせて。
来年ちゃんと行きたかったとこ受験させてくれ」

親もさるもの。
子どもの懇願に対して返した言葉。
「欲しがってたバイク買ってあげるから、頑張って続けるのはどうだ」

あっさりと陥落。
彼はバイクを選び、学校を続けることにした。

そこからの学生生活は、他の学生や教員に360度サポートしてもらいながらも、(多分本人も教科によっては高校レベルの一から学びながら)大変な状況はずっと続いたそうだ。
苦労の甲斐あってか、入った研究室の教官の紹介で、就職活動で困ることなく、日本でも有数の有名ブランドをもつ食品メーカーに入社した。

現在もメーカーに勤め、人事の管理職にまでなった彼は、今や新卒採用活動で母校も含むあちこちの大学を飛び回るほどだそうだ。

第一志望に落ち、文系なのに理系の学部に入ってしまい、辞めたかったのにバイクにつられて続けた結果、なみなみならぬ苦労はしたものの、就職もその後の会社員としても順調に過ごしている彼。

チャップリンの言葉を思い出す。
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇である。

あるいは、人間万事塞翁が馬、とでもいうべきだろうか。

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