見出し画像

はなしてらくになる、を考える

一緒に仕事をしているメンバーから、具体的な相談事があるのではないのだが、いろいろ重なって心因的に危険信号の兆しがあり、なんとなくモヤモヤを聞いてほしいとお願いされた。

最近プライベートでも負荷の高いことが続いているようで、頭もうまく働いておらず、悪くなっているとのこと。
更に話は続く。
プロジェクトのスケジュールを見通してコントロールしないといけないとわかっているけど、目の前のことばかりをやってしまい、それもうまくいかず自信喪失している。人がいないので、あれやこれややっているうちに、自分の役割は何だっけ?ってなってしまい、驚愕している。

どこが一番問題と感じているのだろうか。
それすらも考えてみる気も起きないほど目の前のことや、進まないタスクの心配や、仕事の出来ないダメな自分(と勝手に自分で思い込んでいる)を責める脳内自己対話で、思考は占領されてしまっているのだろうか。

どうやらモヤモヤに一条の光が差すように、思考に余白をつくると、方向が変わるかもしれない。

まずは、大変な状況を教えてくれたことにお礼を伝え、今の苦労ぶりと一生懸命なんとかしようと毎日頑張ってくれていることもさりげなく称える。
少し質問をしたり、相手の中で起きているのではないかと感じていることに「かもしれない」前提で状況を解きほぐしてみる。

そのうちにここが特に大変だと感じているとか、こんな気持ちで自分がいたとかをいくつか話しだした。

では、どうなりたいのか?
ちいさなことでもおおきなことでも何でも完璧にしたいと思う自分がいるという。
それをすべて完璧にしている人はいるのか、例えばだれがそうなのか、とカウンターの問いを、柔らかく差し出してみる。

頑張っていることがやりがいと感じているようにも思えたが、「楽したい人間なんです」という言葉もでてきた。
とすると、今は、楽と正反対の状態をまっしぐらに思える。
完璧VS楽のギャップ。
完璧でありたい気持ちが困難な状況になってもなかなか手放せず、本来の楽を求める気持ちに対しての大きなストレスとなり、心因的危険信号をともしてしまっているのかもしれない。

楽に仕事をしている人って誰か、こんな風に仕事してみたいと思う人はいるのかをきいてみた。
一緒のチームで、コンサル会社から来ているシニアコンサルタントさんの名前がすかさずでてきた。
目標とする人を思い描けると、モデリングの目でも一緒に仕事ができる。
加えてその人も、決してすべて完璧ではないことの認識を合わせる。

つらつらと話をしていくうちに、メンバーは明るい声で「話してスッキリしました。」とクロージングを始めた。
「すぐ、明日朝一で大変身ってことはないと思いますが、気持ちが上がりました。大丈夫です。」

時にはカウンセラーのように、時にはコーチのように、時にはメンターのような展開だった。
いささかこちらが話しすぎて、傾聴できてなかったかもと思ったので、「またいつでも聴くので声かけてね」と伝え、終わった。

例えば壁打ちみたいな相対であっても、きっと、
親身に自分の話をきいてくれる誰かがいるということだけでも
救いにつながる。

「話して、楽になる」とは
手「放して、楽になる」ことでもあり、
自己を「離して、(客観視して)楽になる」ことでもある。

「はなす」時間でみんなもっと楽に生きられる。

サポートいただいたならばコーチングやカウンセリングの対人支援の準備・活動に使わせていただきます。