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いくつになっても「14歳」の感覚が好き

今年初め、『成熟脳: 脳の本番は56歳から始まる』黒川 伊保子 (著) 友人から教えてもらった。
7の倍数の歳ごとで成長段階となり、14歳でおとな脳、様々な経験を経て、ようやく56歳で成熟脳・最高潮に達し、進化していくものというもの。平均年齢の高齢化に加え、人生100年時代と言われる昨今はなおさら、身体の成長(老化ともいうか)とは異なる精神・思考的な成長についての一説としては、未来に希望と抱負を抱かせてくれた。

会社勤めなどしていると60歳定年、65歳定年といった社会的雇用システムの先入観で、そこから先のLifeの健康・お金・家族関係・社会貢献(仕事)のことで、色々と立ちいかなくなる可能性やマイナス面に気懸りをつくりがちとなる。だが56歳から人として生まれてきて備え持つ「脳」を最高に自分の味方としていけるのであれば、悩んで止まっているよりも、ベストを尽くし柔軟に考えて動くことに振り切ってシフトする方が、何倍も人生を楽しむことの可能性を手に入れることができるような気がする。

そんなふうにいくつになっても、脳を活用していくことができるとき、自分の感性や価値観・強みといった資質のおおもとは、おとな脳と関連深い14歳(中2~中3)のことにさかのぼるのだな、と感じる。
あの頃に夜空や星を見上げて感じていた感覚や、夢中になって見・聴きした映画・音楽・本からの感動やナレッジ。学校と家族くらいの狭い関係性のコニュニティーの中であっても、複雑で多様で多彩な人間関係・他人の感情にふれ、自分の中の感情に出会い、笑い・泣き・怒り・おそれ・戸惑い、不安や優越感・劣等感、癒し/癒されるやすらぎ、和みといった体験。

それらは骨格のようなもので、その後の生活体験でつながりの強さや太さを変えて育て、筋肉のようなストレス耐性をつけたり、神経回路の発達のような感性の細分化で感情を豊かにしていったりしてきた感じだ。
体験は一瞬は失敗や成功といったラベルを付けてしまっていても、その後の経験で意味づけが変わって、段々「人生の肥やし」「リソース」を積みあげたようなもので脳にインプットされていく。
14歳のわたしは、決してなくなっておらず、脈々と受け継がれる。

図書館で『14歳からの個人主義~自分を失わずに生きるための思想と哲学』(丸山俊一著)を思わず、手に取ってしまったのも、14歳からわたしの個人主義も始まっているような気がしたからかもしれない。
14歳のわたしとオトナのわたしが行きしつつ、読んでいるような感覚になるのもおもしろい。


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