勝手に決めるテーマ
約一年前に思ったこの事。
>他人に興味を持たない。
人が何をしようが、人がどんな反応をしようが
興味を持たない。
興味を持つのは自分でいい。
自分の人生。
自分の楽しみ。
自分のことだけでいい。
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自分を洗脳するようにして思った事。
ずっと仙人、僧侶のように小難しく考えて、
実践しないと!と思ってた。
でも、そんなに難しくじゃなく、しなやかに考えていくのがいいなと思った。
興味を持たない。じゃなく、自分の中に取り込まなくてってもいい。
に、自分の中でちょっと変化した。
自分以外の人の気持ち行動はわからないから興味を持たない。
ではなく、
理解のできない人の言動も否定しない。
私は、人から否定されるのがイヤ。
でもね、そうじゃなくて、や、あれがいや嫌いと
ゆうのを聞くのも好きじゃない。
嫌いなものなど、敢えて主張する必要ってあるの?と思う。
だから、私は人にも否定しないでいたい。
私は、なんでもオッケー!!それもアリ!!
不必要なものは取り入れなければいいだけ。
だけど、苛立ち、悲しみ、などの他人のわからない言動に出会ったときに
私は、勝手にその人の作っている現実テーマを“勝手に”つけている。
・怒っている人、怒られている人
怒りたいから怒れることを自ずと探して、見つけたんだ。
怒られて無力を味わいたいから、怒られる何度も同じ状況を作ってるんだ。
だから、両方の希望で成り立って、WIN , WINな関係。
・時間と労力と愚痴があってこそ、成り立つ仕事。お給料。
な生活を送っている、自ら自ずと奴隷人生をしてる人。
私にはどうしてそうしてるかはわからないけど、
それが今のその人にとって心地悪くても、手放せないものだから
やっている、ストーリー。
と、勝手にストーリーにテーマをつけると、
一緒に共感したり悲観したり、周りの感情に巻き込まれなくなった。
そして、なにこれ?!と思った出来事があっても、
帰って好きなYou Tube見れば寝れないくらい楽しくなれるなんて!
(今、いちばんアガるのは、Fear, and Loathing in Las Vegas
すごいカッコいいし、あれだけの曲の中で色んなメロディになるのスゴい!!)
共感しやすい私は、人の感情環境を読んで行動し人の目を気にしてた。
それを否定せずに、それはそれ。
私には、楽しく幸せにおもしろく生きるテーマがある。
自分のテーマを勝手に決めて生きていこっと。軽ーくね。
やっぱりなんでもどんなことでも、まず自分で「決める」ことから。