ホームステイ暗黒日記

月のめぐりのせいか、プレゼン発表のために言語処理能力が一時的にとぎすまされてるせいか、
なんかイライラしてる気がする。

ので、このイライラ・ウェーブにのっかって、
目下おもいだすたびに腹立たしくなる、ホームステイの思い出をかたってしまおう。

わたしは語学学校と同時にホームステイに申しこんで、
学校の仲介する家庭にすむことになった。

これは割と一般的だとおもう。
現地に知り合いがいたりとか、個人で宿泊先を用意できるひとはホームステイしなくてもいいけど、
現地のひとと生活を共にすることで得られることは多いし、学校以外でも英語をつかう環境(日常の英会話)にふれられるので、
ホームステイっていう選択自体は英語学習にとって有益だとおもう。

ただ、環境は運しだいなところがあるので、
よくある留学体験記の「帰国するときは離れるのが寂しくて…」みたいなのは、かなり幸運な例だとおもった方がいい。
当然ながら実際の家族メンバー優先だし、おふろも食事も気をつかうことになるので、けっこう気疲れする。
まぁそれも学習の一環だとおもうことで、我慢すればいいんだけど。

ステイ先に子どもやペットがいたり、成人してるけど同居してる家族がいる場合ももちろんある。
(学校によるけど、ある程度まで希望は出せる。)
そういう時、食事をはじめ主なホスト役をつとめることになるマザー以外は、あんまり干渉してこない。
家族全員がそろって食事をしない(ご主人はトレイに食事のっけてTV観ながら、子どもは帰宅後すぐに自分の部屋で)ケースも多いから、
食卓に顔をだす時は気をつかって話題ふってくれたり、家のなかで行きあえばもちろん挨拶してくれるんだけど、
基本的には「われ関せず」モード。
向こうも気をつかってるつもりなのかもしれないけど、プライベートには踏みこまない感じがある。

わたしは語学学校もホームステイも3ヶ月で申しこんだ(日本人の感覚だと3~6ヶ月の語学留学って妥当だとおもうけど、ヨーロッパ圏のひとは1~2週間の短期で申しこむケースがおおい。ホリデイ・シーズンのアクティビティのひとつ、って扱い)けど、
これはけっこう長期なので、長期で受け入れられる家庭はけっこう限られてくる。
逆にいえば、
複数人の受け入れが可能で、学校とのつきあいも長く、実績・評判ともに条件のいい家庭である場合がおおいかもしれない。
そういう意味で、わたしのステイ先はまぁ条件のいい家庭だったとおもう。

大きめのSemi-detached Houseで、裏手に成人・独立した娘さん(40代?)のモダンな家があり、奥さん(ホスト・マザー)とご主人(ホスト・ファーザー)は家の脇庭にある小さな小屋(シャレー)で寝泊まりしてた。
このシャレー内にお風呂とかひととおり揃ってるらしく、
夜中は、家にいるのはステイ中の生徒だけになる。
といっても、イギリス人はけっこう夜ふかしするので、深夜22~23時ごろまで1階のリビングでTV観ながらしゃべってる声がきこえてた。

ホームステイの内容としては、朝食と夕食が用意されて、週に1回はベッドのシーツ交換。
英語学習の観点からも、原則として夕食はホスト・ファミリーと一緒にたべる。

最初の1週間がすぎる頃に、学校側にステイ先の評価シートみたいなのを出すんだけど、
それがあるから、最初の1週間だけは待遇がよくて、その後は態度急変、みたいなケースもあるらしい。

わたしのステイ先はそこまでじゃなかったけど、
最初の1週間は朝食にもホスト・マザーが同席して「なに食べる?」って用意してくれてたのが、
冷蔵庫のなかのもの好きに食べていいから、って菓子パンと食器だけ用意して本人は起きてこなくなったりとか、
料理好きなひとだったから、けっこう豪勢な料理をだしてくれてたんだけど、娘さんとの会話で「こんな豪華なの最初の1週間だけよ~」って冗談まじりに言ってたりとか(そこまで急激な差はなかったけど)。
最初の1週間、ってのは、けっこう評価シートを意識したポーズなところがある。

で、2階にある3×ベッドルームが生徒たちの部屋になる。
わたしが住みはじめた時にはフランス人の男の子が先にいて、
その子の部屋がバスルームと隣りあった広めの部屋(ダブルベッド備えつけのダブル・ルーム)で、
わたしの部屋はあいだのダブル・ルームを隔てたシングル・ルーム。

これが結構、日本人からしてもどうかと思うようなせまい部屋で、
やすいビジネスホテルのシングル・ルームよりも気持ちちょっと狭いぐらいだった。
入ったときは、まぁこんなもんか、ぐらいで気にしなかったんだけど、
あとから他の部屋みて、その差にちょっと愕然としたね。

たぶん元は物置かなんか、余りスペースを部屋にしたところなんだとおもう。
ホームステイはけっこう、そういう家族のメンバーが住むには狭いスペースを部屋にして貸してるとこが多いとおもう。

ひろい部屋あいてるのに、なんでここ?と思ったけど、
まぁ男の子と隣りあった部屋だとあれだから離そうとしたとか、そういう気づかいなのかな、
どうせその子はあと1週間で帰国予定だし、そしたら自分もひろい部屋にうつるのかも、って考えることにした。

ちなみに、異性の同居はわりと普通にある。
シェアフラットでも、特に性別の制限はしてないところが多いので、
男性女性がふつうにバスルーム共有の共同生活を送ることになる。

で、しかも、ステイ先はふつうの一般家庭なので、
各部屋にカギはついてないことが多い。

さすがにシェアフラットは各部屋に最低限のロックはある、とおもう。
Airbnbとかで各部屋にロックつけるかどうかは、オーナー次第。

日本人からするとちょっと不安になるところだけど、
まぁ特にトラブルは聞かなかったし、
さすがにバスルームにはカギついてるし、
どこまでほんとか分かんないけど、イタリア人やフランス人の友だちの話を聞くかぎり、
恋愛感情抜きで異性の友だちの部屋に泊まったりも、普通にあるっぽかった。

まぁ結局、住みはじめちゃうとどんな環境でも慣れるもので、
のちに移るかどうかホスト・マザーにきかれた時も、
別にいいやとおもって「ひとりじゃダブルベッド持て余すし、せまい部屋のほうが落ち着く」って言って断っちゃったんだけど。

それより何より驚いたのは、
ホスト・ファーザーが数年前に脳梗塞かなにかで倒れたらしく、
今でも呼吸器のチューブを身につけて生活していること。
それ自体はべつに、車いすの人だったりと同じで、べつに驚くことじゃないんだけど、
そんな状態の家族がいる家庭にホームステイの生徒を受け入れることが驚きだった。

これは、あとから来たイタリア人のハウス・メイトとも話したんだけど、
やっぱりそういう人が食卓の場にいて、
後遺症から記憶が保てないので、おなじ質問を毎日のように繰りかえすし、
感情がたかぶると目にみえて呼吸が乱れて、ホスト・マザーが宥(なだ)めなきゃならなくなったりしてると、
生徒側もおちつかないし、色々と気をつかうわけで。
旦那さんがそんななのに、なんでホームステイの受け入れを続けてるんだろう? 彼にとっても、そうやって他人が出入りする環境はよくないのでは?
って、ハウス・メイトと話した。

ちょっと、こういう異常な環境もまぁあり得ることなのかな、って思いかけてたから、
おんなじようにおかしいと思ってる人の意見がきけて良かった。

その時はまぁ、治療費とかでお金がいるのかも、
ホスト・マザーは外国の学生と交流するのが楽しいみたいだし、
ご主人にそういう若いひとと交流する機会をつくってあげるって意味もあるだろうし、
彼女自身が、そういう旦那さんと2人っきりで介護づかれとか、閉塞感を感じてしまう状況から逃れるために生徒を受け入れてるんじゃないのかなって、
そういう話をした。

私たちはそんな、本人に面とむかって「ご主人がこんな状態なのに、なんでホームステイを受け入れてるの?」とは訊けなかったから。
その頃は娘さんも仕事がいそがしく、海外出張とかで家にいないことも多くて、ほとんど食卓に顔をださなかったけど、
どうやら母親に過大な負担を強いるホームステイの受け入れには反対らしかった。

その後、ホスト・ファーザーが亡くなった。
その前から短期の入退院をくりかえして、家に救急車がきたこともあったし、
もういつ亡くなってもおかしくない状態だったんだけど、
その日がついに来た。

見るからに取り乱したホスト・マザーが私たちの部屋まで来て、
「わるいけど今朝はリビングで朝食をとらずに、まっすぐ学校に行ってもらえるかしら?」と伝えた。
そんなはっきり喋ってない。
ふるえながら、焦点もさだまってない感じで、
彼が死んだとは一言もいわなかったけど、そうだろうことは分かった。

そのあと学校で、彼女から連絡をもらった校長によばれてホスト・ファーザーが亡くなったことを聞き、
わたしともう一人ステイしていたスイス人の女の子は急遽べつの家庭へうつることになった。

正直、前からわかっていたことなので、
こんな急にうつることになるのなら前もって移らせてもらいたかったけれど、
ホスト・マザー自身も信じたくなかった、まだ大丈夫だと思いたかったのかもしれないと思って、
急いで荷物をつめ、涙目のホスト・マザーと娘さんに別れをつげ、手配してくれたタクシーで別の家にうつった。

わたしはその時点でまだ1ヶ月ちかく滞在期間がのこっていたので、
急にそんなに長く受け入れられるところがなく、
とりいそぎ週末の数日間をある家庭ですごし、その後べつの生徒が帰国して空いたところへ移ることになった。

事情が事情なので、みんな同情的で、急なことだけれど暖かくむかえてくれた。
それは本当にありがたかった。

そうして家をうつる前に、見送るホスト・マザーが涙目でわたしを抱きしめながら、
「こんな急にうつらせることになって申し訳ない。
あなたは本当にいい子だから、この4週間の滞在後に住むところが決まっていなければ、ぜひうちへ戻ってきてちょうだい」
と言った。

これだけ聞くと、非常に美談におもえるが、
いやまた戻らせるなら、そのままここに住ませてくれよ、と思わなくもない。

ともあれ、3ヶ月の語学学校修了後も、
住むところと働くところをさがして、2年間有効のワーホリ・ビザでイギリスに滞在するつもりだという私の事情を知っているホスト・マザーは、
おそらくは迷惑をかけたお詫びと純粋な厚意から、
わたしを下宿人としてあらためて受け入れる意思をつたえてくれた。

お葬式のドタバタもあるし、そのまま住ませるのは忍びない想いもあるのだろうと、
まぁ突如追い出されることに関しては恨まないことに決めた。
もちろん、ご主人を亡くされたことを純粋に気の毒におもっていたし、
意思疎通のむずかしい病人相手にそれほど思い入れが育たなかったとはいえ、
ちかくに生活していた人が亡くなるのは、わたし自身にとってもショックだった。

後にこの家にもどってからきいた話では、
友人知人にわたしの話をして、「そんなにいい子なら、一旦出てもらわなくても、そのまま残ってもらえばよかったんじゃ?」と言われたこともあったらしい。
でもホスト・マザーはこんな悲しい空気の家に他人をおいて、不快な思いをさせたくなかったらしい。

この一見善意にみちた思いやりがクリスマスの騒動に発展するのだが、
それはまた次回の記事に書こう。
おもった以上に長くなってしまった。
あんまり続けたくもなかったけど、また続きかきます。

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