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【短編小説】水たまりの向こう側

あ。あ。あ。

転がり落ちるように、いとも簡単に終わってしまった。

赤。緑。白。紫。黄色。
水たまりの輪を飛び跳ねて。
水玉。しましま。ぶちの猫。
水たまりの輪を飛び越えて。
ついて行ってはいけないよ。
水たまりの輪の向こう。
ついて行ってはいけないよ。

誰に?

水たまり跳ねは一番好きな遊びのひとつだった。
一人が二人に。二人が三人に。
跳ねる子どもが増えていくのがこの遊びの特徴だった。
子どもが増えるたびにその子どもに名前をつけていく。赤とか黄色とか、水玉とかしましまとか。
でも誰もこの遊びの終わり方を知らなかった。
飛び跳ねているうちに誰かが靴を汚したとか泥がはねたとか言い出して、そこで終わりになってしまうのが常だった。
今日もそんなふうに一人二人と子ども達が帰っていって、いつの間にか最後の一人になっていた。
足元の小さな水たまりの表面に軽く靴の先を当てて、薄い波紋を眺めていた。
“ついて行ってはいけないよ” 誰に?

「僕も入れて。」
真っ黒な服を着た、真っ白な男の子が立っていた。透き通るように白い、人形のように綺麗な男の子。
「僕も入れてよ。」
驚いて黙っていると、男の子は続けて言った。
「さっきから見てたんだ。僕も水たまり跳ねに入れて。」
「ああうん、いいよ。でも私たち二人しかいないから…」
「大丈夫。僕の友達が来るよ。」
そうして二人だけで水たまり跳ねが始まった。

ひとつ。ふたつ。
水たまりの輪を踏んで。
白い。黒い。
水たまりの輪を越えて。

「ねぇ、友達っていつ来るの?」
「もうすぐ来るよ。」

くるり。ひらり。
水たまりの輪の中へ。
影。光。
水たまりの輪に溶けて。
行ってしまってはいけないよ。

「ねぇ、水たまりの数減ってない?」
「減ってないよ。」
「うそ。大きくなって数が減ってる。」
「気のせいだよ。」

浅い。深い。
水たまりの輪を越えて。
溶ける。消える。
水たまりの向こう側。
戻ってきてはいけないよ。

「ねぇ、何か変だよ。おかしいよ。」
「おかしくないよ。」
「もうやめようよ。」
「駄目だよ、ちゃんと最後までやらないと。戻ってこられなくなるよ。」
水たまりの数は確かに減っていた。
寄り集まりながら大きくなり、もう一足で飛び越えるのがつらくなっていた。
「もう無理だよ。跳べないよ。」
「跳べなくなったらそこで終わり。君は君でなくなるんだよ。」

どんぐり。柿の木。桃のたね。
水たまりの輪を踏んで。
いちょうにもみじに松のとげ。
水たまりの中、深くまで。
転んで落ちて、消えていけ。

子どもの数が増えていた。
皆がくすくす笑いながら、残り少ない大きな水たまりの上を飛び越えていく。
そのたびに水たまりはさらに少なく、大きくなっていく。
とうとう残りあとひとつ。
公園の真ん中に広がる深く暗い穴を見つめながら、押し出されるように踏み出した。

さんご。水晶。真珠貝。
水たまりの輪に飛んで。
跳べないは言っちゃだめ。僕が僕に戻れない。
溶けろ。消えろ。
水たまりの奥深く。
僕が僕を失って、だから今度は君の番。
君は君を失って、もう戻ってはこられない。

背を押されたと思った瞬間、つまずいて転んで、私は私を失った。私は私でなくなった。

くすくす。うふふ。あははのは。だからだめって言ったのに。
水たまりの輪を越えて。
ついて行ってはいけないよ。
君から僕へ。僕から君へ。
水たまりのこちら側。
ついて来てはいけないよ。

こちら側と向こう側。
今でも時折のぞき込む顔は、“私”の顔でニィッと笑う。

くすくす。あはは。
水たまりの顔踏んで。
うふふのうふふ。
水たまりの輪のこちら側。
君は今でも出られない。

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