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Fire and Hemlock

”Fire and Hemlock”、イギリスの偉大なファンタジー作家Diana Wynne Jonesの作品で、
『九年目の魔法』という邦題で東京創元社から日本語版がでてる。
装画は佐竹美保さん。作中に挿絵はないので、表紙のイラストだけなんだけど、
佐竹美保さんの原画展に行ったときにこの絵も展示されてて、そこにこれが初めて出版社に持ちこんだ絵だって書いてあっておどろいた。
(記憶ちがいだったらごめんなさい。
 その時すでにこの作品の大ファンで、わたしが持ってる文庫版には装画のクレジットがなくって、誰の作品かわからなかったから、佐竹美保さんだって知っておどろいた。)

ファンタジー/児童文学ファンにとって佐竹美保さんのイラストはおなじみで、
ほかのDiana Wynne Jones作品の挿絵もおおく手がけてるし、日本人作家でわたしの大好きな柏葉幸子先生の作品にもよく登場するので、
彼女のイラストの特徴はよく分かってるつもりでいた。
その中で、この『九年目の魔法』表紙絵はちょっと異質。
全体的に色調が暗いし、人物の描き方も、ほか作品のコミカルでスタイリッシュなものとはちがう、重く陰のあるかき方。
原作小説を読んでから描いて持ちこんだのかな。それとも、元絵を作品にあわせて描き直した? 持ちこみっていうのは私の勘違いで、出版社からこの作品用に描いてくれって依頼されたのかな? あぁ、あの時もっとじっくり考えればよかった。
というのも、この絵はこの小説の内容ありきで描かれているから。「物憂げな瞳の少女」とか「青空バックにほほえむ人影(シルエット)」みたいな、使いまわしきくような絵じゃないんだ。

Diana Wynne Jonesは『ハウルの動く城』(原題”Howl's Moving Castle”、オムニバス的な続きものとして”Castle in the Air”、”House of Many Ways”がある)のジブリ映画化をきっかけに日本でも人気が出て、
それまで未訳だった作品もほとんどが日本語で読めるようになったんだけど、
それの一番いいところは、装丁のレベルが高いことだよね。
海外では一般にでまわる本はペーパーバックが主流で、ハードカバーは専門書とか、コレクション的な立ち位置にあって、値段もお高くなりがち。
日本でもビジネス書とか、ペーパーバックにカバー装丁だけの本が増えてるとは思うけど、文芸書とか、それなりにしっかりした造りで出る、気がする。
革表紙みたいな大層なものじゃないけど、とりあえずハードカバー(単行本)で出して、そこそこ売れるものは文庫本でも追っかけ出される、みたいなのは日本特有じゃないかな。

で、アニメ・マンガ大国の日本は総じて装画のクオリティも高いんだよね。
↓ は原題”Fire and Hemlock”で画像検索したものだけど(ちなみに私がもってる英語版は左上3番目のマジカル・チックなもの)、
全体的に絵画っぽいというか、作品世界の戯画化としての「イラスト」としてあるわけじゃない感じがする。
いや、どれもちゃんと作品内容をふまえた絵なんだけどね、
なんというか、それを凝縮するミニアチュア性というかカリカチュア性というか、が足りない気がする。

画像1

それもあってか、Diana Wynne Jonesをふくめ、海外作家は各国言語で出版された自著について、日本のものが一番好きだと言うことがおおい。
誇らしい。これは誇りにおもっていい。
Diana Wynne Jones作品の大ファンなので、”Fire&Hemlock”以外にも何冊か英語版のペーパーバックを持っているが、やっぱり日本語版最強。本として、作品として美しい。
翻訳の質はまた別のはなし。

で、数あるJonesの傑作ファンタジーの中でも、わたしが最も熱狂しほとんど憑りつかれたようになっているのがこの本、”Fire and Hemlock”。
実は学部生のときの卒業論文はこの本について書いた。
学部時代は英文科じゃなくてべつの研究室にいて、比較文学とか翻訳論をやってたから、
ほんとはこれ一本じゃなくて日本の作品との比較とかすべきだったんだけど力不足で、
児童文学(Children's Literature)を概括したうえで、この作品にフォーカスした分析論を書いた。
「児童文学」というジャンルそのものが伝説・神話・寓話とならび横断的(普遍的)なものなので、その研究室に所属して書く論文としてはぎりぎりセーフ・・・か?

まぁそれはさておき、もちろん書くからには壮大な一大巨編を仕上げる意気込みでのぞんだんだけど、
まぁ一介の学生にできることなんてたかが知れています。
当初の目論見からはとおくはなれた、まぁそれなりにまとまった、それなりにそれっぽいことを書いた、まぁ卒論として単位はもらえるという出来に。

その中でいちばん嬉しかったのは、教授がこの作品そのものを褒めてくれたこと。
「これだけ良質なファンタジーっていうのは・・・」とかなんとか。
その一言だけで、この論文を書いた意味があった。
※教授陣は当然、論文指導をする上で学生の研究対象作品を読みます。直接の指導教官でなくても、口頭試問をふくめ査読者の立場にあるので、基本的には研究室所属の全教員が作品それ自体を読んでくれます。
 当該研究室に所属する以上、論文主題が教授陣の研究領域と重なることもままある、というか、そっちの方が普通なんだけど。わたしみたいに、誰も「児童文学」の専門家がいない場所でそれを主要研究対象にする方がまれ。
そう、これだけの作品がここにあって、
それなのにカノンでないとして視界からはずれ、埋もれていく一冊にしてしまうのは耐えられなかったんだ。

あまりに難解で、長大なバックボーンを持ち、
どれほど注意深く、幾たびも読み返しても、けっして100%の理解に辿りつかないような、
だからこそ余計に惹きつけられてしまう作品で、ずっと永遠に人生の道しるべとなり得る作品なんだ。

現在の生きがいというか、夢としては、
いつかこの作品を脚本化して、細田守監督にアニメ映画化してもらいたいな。
細田監督が『ハウル』を担当するはずが、突然の変更ではずされたというのは、細田監督ファンは知っていても、一般のひとはあんまり知らないよね。
原作小説の大ファンとして、また宮崎駿作品のファンとしてもジブリ版『ハウル』は最低の出来だっただけに、
細田守監督が手がけていたらどうなっただろうと夢想してしまう。

あぁいつか、実現したらいいな。
この作品については思い入れが強すぎて、ほかの誰かの解釈で幻滅したくない。
わたしの目の前にある、わたしに見えた”Fire and Hemlock”の世界を視覚化して世に出したい。ほかの人にもみてほしい。
こんなにも美しく、あやしく鈍い光をはなつような、けっして見通すことのできない深遠。
あぁ早く、はやく、わたしの生きているうちに。
実現できる力がこの世界に存在しているうちに。

修士の後どうするかはまだ考えてないけど、
先生には当たり前に留学するんだろうと期待され、わたし自身は田舎でちいさなカフェを開きたいとか思っているんだけど、
博士課程まで進むなら、また改めて、修士での研究を礎に、きちんとファンタジー研究したいなぁ。

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