ただの日記

金曜日に更新しなかったのは、なんかだるかったから。

書きたいこと、しゃべりたいことはまだまだたくさんあるのに、
じぶんの口からこぼれる言葉がじぶん自身を裏切っていくようで、躊躇してしまう。

大学院生になって、学部生と共通の授業も受けたりしてるんだけど、
学部生とくらべるとしゃべりが達者になったなぁと思う。

わたしは読書量も知識量も足りないんだけど、
学部生のころから、いや中学とか高校のころから、それらしいことをそれらしく言いつくろうのが得意で、なんかそれっぽく聞こえるしゃべりとか書き方が身についてしまったと思う。

実際、文章の5割方くらいはそういう技巧によって読ませているものだと思う。
みんなが思っているようなこと、感じているようなこと、当たり前の風景をどう彩って言葉にするか。
みんなが形にできないでいることを、どれだけまっすぐ、それでいて煌びやかに描きだすか。

写実絵を描くひとが、なんで写真じゃなくて絵で描くかって、
写真家がフィルターだの露光だのポジションどりだのこだわるのは、
そのまんまをぶつけることが、それを描くことにならないから。

たとえば夜中に月を見上げて、きれいだと思って写真を撮ろうとする。
カメラにもよるだろうけど、普通のスマホのカメラ機能じゃぜんぜん写らない。
なんかぼんやりした光の影が、うす暗い闇のなかに滲むだけ。
目に見えるものと写真にうつるものは違うんだよ。

私にとってきれいに見えるものが、あなたにも同じように見えるとはかぎらない。

だからそれを、私にはこう見えた、こう感じたっていうのを表現するために、
私たちはあらゆる手段をつかう。
そのうちに、手段が目的を追いこしてしまうこともままあるわけで…。

日本語ではめちゃくちゃ早口でまくしたてる私は、
自分でも思ってもみないうちに、自分でも思ってもみない言葉を吐いてることがある。
それは、悪口とかそういうことじゃなくて、
よくも悪くもなかば無意識のうちに自分の声と言葉がじぶんの意思をこえて飛び出してしまう。

書いててもそうだね。
あとから読み返すと、わたしこんな事かんがえてたっけ? わたしってこんな事いう? ってなったりする。

日本語だとかんがえなくても喋れるからなー。
聞くときだって、意味なんか意識しなくても頭にとおるように、考えなくてもわかる。ので、つい流してしまうことも。

英語だと単語の意味とか文法とかかんがえながらでないと喋れないし、
集中してきかないと簡単にノイズになっちゃう。
だから疲れるんだけど、意識しながらしゃべるっていう練習にもなってるかも。

慎重に、慎重に、ことばを選びながら話す。
ことばに置いていかれないように、ことばが例えば100%わたしの言いたいことを伝えてなかったとしても、わたしの想いが乗るように。

それらしく、格好つけてしゃべるクセがついちゃった私には、それもまたいい経験かも。
英語もペラペラしゃべれるようになれたら格好いいけど、
言いたいことをうまく言葉にできなくて、でも不器用にもがいてる自分はけっこう好きだよ。

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