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いわきFCの「正しさ」に打ちのめされた話。



先日8/20に今年3回目の福島ユナイテッドvsいわきFC、いわゆる「福島ダービー」が開催された。

これまで2回の福島ダービーについて、僕がどう感じてきたかについては下の記事を読んで欲しい。(予想以上の反響をいただき、今でも感謝と恥ずかしさが半々で渦巻いている)
僕は福島ダービーを見るのが怖かった。|連絡橋|note



この記事を書いたタイミングで僕はダービーが「怖かった」と過去形で書いたが、ダービーが近づくたびに再び怖さが僕の中でムクムクと沸き上がった。

あぁ、これがダービーなのか。誇りをかけるとはそういう意味なのか。
誇りを賭けるのはいつだってこんなに怖いのか。


そんなことを思った気がする。


とはいえ過去2回の時とチームの状況と、自分の心持ちが違っていた。

僕の愛する福島ユナイテッドは以前のいわきとのダービー時点では上位争いをしていたが、その後9戦勝ち無し期間もあり、あれよあれよと順位を落とし現在はほぼ真ん中の10位
対するいわきはその後も好調を維持し首位


自分としても上の記事の通り、今のいわきFCという存在はライバルでありながら切磋琢磨していく相手、そしてともに福島県のサッカーを盛り上げる存在だった。


いわきFCがそんな存在だったので自分の中で今回のダービーは「楽しもう!盛り上げよう!」と動いていた。
(↓盛り上げようとしてスペースでの両サポの交流会を企画した。その節ではいわきサポに大変お世話になった)





ある程度の盛り上がりをみせたものの、肝心のサッカーは思い通りにはいかなかった。

1-4。

誰が見てもはっきりとわかる完敗だった。





試合終了のホイッスルを聞いた時、そういえば勝負ってこんなに残酷だったな、と乾いた笑いを出すのが精いっぱいだった。



完敗での悔しさ・脱力感・羨ましさなどいろいろな感情が頭をめちゃくちゃにして、布団に入っても全く眠れなかった。普段は5分もあればすぐに爆睡できるのに。


気づけば布団の中でその感情を言語化することに必死になっていた。




翌日、僕は試合の振り返りスペースをするため、試合を改めて見返した。

結果と失点した時間を覚えていたから、冷静に見返すことができた。


冷静に見返した結果、僕はいわきFCの「正しさ」に打ちのめされた。

なぜなら、福島ユナイテッドのサッカーが技術・戦術的には通用していたからだ。



通用していたからこそ、いわきとの差が

「お金と、それを正しく使うことによって得られたフィジカル」

というスポーツ界では当たり前で、なおかつ1サポーターの力ではどうしようもないものだと気付いたから、僕はいわきのサッカーに打ちのめされたのだった。


福島はJ3の中では少ない予算を上手くやり繰りし戦っているクラブだと思う。予算規模はJ3の平均にも及ばないが、昨シーズンは過去最高の5位でフィニッシュ。少ないリソースで頑張って回し、またそのリソースを増やそうと頑張っていることはサポーターは十分に分かっている。


でも、「福島のやり方では、ここが限界ですよ」といわきFCにそう教えられたような気がして、そしてそれがとても説得力を持っていたから、僕は挫折に近いものを感じた。




サッカーに「正解」はない。もしあるなら今頃全世界のクラブがCLを優勝したレアルマドリードのサッカーをしているはずだ。


でもいわきのサッカーは「正解」だ、と思わせられた強烈な体験を上手く消化する術はまだない。いくら言語化して発散させても拭いきれるものではなかった。


おそらく、消化するのは自分ではなく、いわきとの差を見せつけられた「福島ユナイテッドのサッカー」なのだと思う。サッカーで受けた思いは、やはりサッカーでしか変えられないのだ。



福島ユナイテッドが出す「解」はなんなのか。

早く週末が待ち遠しい。





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