久しぶり

先日、久しぶりに人と会話した。僕はバイトもしているし、大学生だから、広義の意味での会話は少なくない。ただ、バイトでは業務外の話はしないし、大学ではいつも一人だ。だから人と話す機会はほとんどない。家族ともほとんど話さない。父親は寡黙な人で、母親も特に会話を僕にしようとは思っていないみたいだ。僕も求めていない。だから実際に人と会って話すのはとても久しぶりだった。

その友達は中学からの友達で、ずっとサッカーのチームが一緒だった。今でも付き合いのある数少ない人の内の一人だ。

その日僕は寝不足だったのだろう。朝の目覚めは特によくなかった。まるで遠足を待ち遠しくしていた小学生みたいだが、きっとそんなことはない。たぶん。たまたまオードリーさんのオールナイトニッポンを聴いていたら、寝るのがとても遅くなってしまっただけだ。ラジオは睡眠導入剤にはよくない。特にオードリーさんのラジオは。ラジオを寝る前聴くのは邪道だ。それは奈良の大仏の前で聖書を朗読するくらい邪道だ。その時の僕に言いたいくらいだ。「お前は今奈良の大仏の前で聖書を読んでいるのと変わらないぞ」と。

兎に角、目覚めが悪かった。あれは国語の時間に起こされるくらいだったな。
それでも友達の家に行かなければならなかったので、徒歩で出発した。

家に着くまで、僕には何の障害もなかった。

家に着くと、扉があいた。友達が開けてくれた。

僕は友達の家に着くなり、友達の部屋のヨギボーの偽物(偽ボー)に倒れこんだ。そして僕は彼と会話をして、ゲームをして、ご飯を食べた。普通に楽しかった。

ここまでは普通、よくある事。どれくらい良くあることか…まぁ言わなくてもいい事だろう。それくらい普通だから。

しかし普通ではないことが一つだけあった。僕は頭がとても痛かった。今はコロナの季節(季節と言ってしまうと習慣的な一過性の物のように感じてしまうが、それ以上に当てはまるような言葉を僕は知らない。強いて言うなら戦争、もしくはモラトリアムだと思う、だがしっくりこないのでやはり季節かもしれない。)だからすごく焦ったが、ただ頭が痛かっただけだ。家に帰ると頭の痛みがなくなったくらいだ。

これはなんだ。なんなんだ。もしかしたら深層心理では、僕が人との交流を拒絶したかったのか?だとすると、僕の小学生にも似た期待はどう説明すればいいんだ。ユング教えてくれ。答えが出そうにもない。

僕は絶望したのかもしれない。でも楽しかったんだ。それだけは偽りではない。

この事を彼には話さなかったし、それを悟られまいと努力もした。実際彼は気付いていないと思う。(彼は意外と洞察力は鋭いものを持っているので気付いていて黙っていたのかもしれないが)

だとするとやっぱり人との交流を拒絶したかったのかもしれないとも思った。

正直、このことはその日中僕を悩ませたことでもある。片時もこの問からは逃れられなかった。蜷局を巻いた蛇に捕まった鼠のように。

つまり人間とは真意とは裏腹に別の”真意”を持つ。そしてその真意の対立は大抵が二律背反を生み出すのだ。そして大抵が表層が善で、内面が悪であることが多いのではないか。これは間違っているわけではないと思う。ましてや二重人格でもない。そもそも人間だれしも多極的な内面を持っているが。

僕はこれで少しだけ分かった。善人でいたい僕も、区別をつけたい僕も、友達と過ごしたい僕も、一人でいたい僕も、すべて僕であり、正しい思考なのだ。頭が痛かったのは、その結果であり、楽しかったのもその結果だ。


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