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ほんの小さな反発とほんの小さな便利のはなし

「使う意味ないじゃん」「いや、なんで使わないといけないのかわからないし」と使ってこなかった道具を、ある日何かの拍子に使ってみたらなんだこれすごいじゃないか!いくつもの問題が一気に解決したよ!!!みたいな出来事にここ数年複数回遭遇している。

わたしが雑なうえにめんどくさがりやなせいと、貧乏育ち貧乏生活&汚部屋暮らしが長いせいもあるのかもしれないが、若い頃は「もっていない」「もっていてもみつからない」「なくてもまあいい」で物を買わずに代用することが多く、おかげさまで応用力と工夫力には自信があるのだが、この、「持っていないものを買わずに済ます」という習慣はそれだけではなくどこかしらやっかみも含んだ「モノの価値を甘く見る癖」のようなものも含んでいたようだということにも最近気づいたのです。「それを手に入れないことでなんとかする優越感」「それを手に入れない反感/批判欲」そんなものを、ほんのりと味わって楽しんでいたんだなと思わせる節がありました。


さすがにわたしも年を重ねて若さもいい感じに峠を越えて下り坂になってきたし、心のまろみとゆとりがでてきたのかもしれません。家庭を築いて子を持ったそのことにより、「料理する」という言葉の意味が決定的に変わったことの影響も大きいでしょうし、若かりし頃にはパッツンと張っていた目元もいまでは緩んで、もういいカンジにちょっとほぐれてたるんできてるから、そういうのはもういいのかもしれませんね…素直に料理本や動画、器具売り場でよく見かけるけれども家にない道具を「これだけオーソドックスにみんな使ってるんだから一度試してみようかな…」とフラットな気持ちでいうことができるようになりました!


そして、大抵そのチャレンジは「なにこれ超便利じゃん!」ってびっくりする結果になります。なんだ俺おバカさんだな!そして新発見楽しい!


正直すんごい損してた気分です。効率が段違いになったり、できなかったことができるようになったり…ああ、若さって、思い込みって、「損をとること」なんだなぁなんてしみじみしますが、とりあえずはその損を取ったが故に学べることもあるんだけどね!疑問も持たずに最初から持ってる奴らには見えない世界を俺は知っているんだぜ!とかいって誰もいないところに正当化ドラゴンブレスをゴーっと吐いて、そのもやもやを散らしておきます。「愚行なき賢者は真の知へ至ることは能わないのだ!」などと偉そうなことを両腕と胸をひろげてわははははといいながらさけんでおけばスッキリするはずです。いや、今作ったんだけどね、この言葉。っていうかあのポーズって、俺の胸ぐらに攻撃していいよ⭐︎ってかんじだよね。えーい、巨大火球ぶっ込んじゃうぞー?俺のバーカバーカ


「避けてきた道具を使おうチャレンジヽ( '∀' )ノ」の結果

最強にびっくりした道具は実はコレ。

ゴムベラ。
ゴムベラです。

ゴムベラ。
ゴム(シリコン)でできたへら

今はシリコンべら
昔からの名称はごむべら。
(いつの間にかシリコンにバージョンアップしててこれもびっくり&納得)
進化してても用途は同じ、ゴムベラ。

ない家も多いんじゃないかなゴムベラ。
っておもってたこともあって甘くみてましたよゴムべら


数十年ぶりに使ってみたらマジで感動しました。

パンケーキや卵焼いたりするときのドロドロのものを入れたボウルやフープロ、ヘラでいくらやっても、落ちるのを待ってもとりきれないなもったいないなぁとおもってました。ケーキ焼くときの表面ならし、かなり丁寧にやっても雑な感じになるよなとおもってました。

そして特にこれ。「底からすくうようにしながら切るように混ぜる」
…そんなん無理じゃん!っておもってました。普通にヘラでやってもどうしても」すくいきれないところが底にのこるし、僕ひとりのちからじゃ、皆をすくいきるなんてむりだ!むりなんだ!!なんておもってました。あたりまえなんだよね、それ、木べらだし。「きのぼう」で魔王が倒せるかっつーの。でも、奥さん!ほら、ゴムベラならこーーんなにきれいに簡単に!!

「ゴムベラ」の利点は「しなる」こと。
つまり、器の底に沿うことができるのです。木べらみたいな硬いものとは全く用途が違かったのです。ごめんね、木べら。あんまりにきみが有用で万能だったからいろんな役目をおしつけようとしすぎていたね。そしてもうひとり、ごめんよ、木べらでは使ってあげられなかったボウルに残ったタネ達よ、、、わたしが木べらにできないことを押し付けてパワハラしてた間、君たちの尊厳も踏みにじっていたことになるんだよね…多分、パンケーキ4回で小ぶりなのが1枚焼けていたくらいは無駄にしていると思う。本当に、本当にごめん。


使ってこなかったものを使うようになったきっかけとは?


一番後悔しているのは長女ぽんさんの離乳食作成時期にまだゴムベラ様の真の威力に気付いていなかったことです。離乳食作るのにこれ使わないとかどれだけ無駄作ってきたんだ俺。指で書き出すとかするより断然ゴムベラだろうよ俺。

なかったんじゃないの。あったのよ、うちには。ゴムベラ、あったの。あったのに使う習慣がなかったから使ってなかったのよ…なぜあったかって、ハンドブレンダーの付属品であったんですよ。

だいぶ前に買ったのでこれについてるかどうかはわからないのですけど↑
これよりももうちょっと無骨な感じの旧型で、ポタージュを作りたくて買ったものです。こういう細いカップ用のゴムベラなのでヘラ自体も細くできていたので、専用品かなーとか思いながらなんとなく食器棚に突っ込んだままでいました。

そして、ある日、発揮されたのです。
冒頭にもあったようなわたしの特性が…

「あれ?パンケーキ焼きたくて生地作ったのにおたまがない」

どこを探してもありません。さあ困った。
食器棚も漁ります。ありません。つかえそうなのは…この、ゴムベラだけ!
まあ、使えそうだし本来用途に近そうだしいいか。つかってみよう。
→なんじゃこりゃめっちゃ便利!!残さずかき出せるし、生地切れもいい!→考えてみたらあたりまえか!!

というながれです

この性質、たまにいい仕事するので侮れません(基本は迷惑)
今回はとてもいい仕事をしてくれました。


思い出してみると…

ゴムベラとの出会い、あまりいいものじゃなかったような覚えがあります。
今考えると使い方がよくわかってなかっただけなんだとわかるのですけど、当時は使い勝手の悪い木べらの劣化版としてしか認識できていませんでした。

ケーキ混ぜるなら(もしかしたらクッキーだったかも)ゴムベラだろうということで使ってみたら腰が入らないし、曲がっちゃって隅っこのかけらは取れないしみたいな使い勝手の悪さを感じていた記憶です。

まだ10台の頃だったと思うのですけど、いま考えてみたらこれ「今まで使っていなかったものを使ったときに、今までできていたことができなくなったことにばかり目がいってしまう」という現象です。初めてのその場で困ることは確かなのですけど、そのときのそのことしか見えておらず、お陰で利点と可能性を抽出することができなくなっています。うん、子供らしいいい失敗だ!でもそれを撤回できるまでこんなにかかるのはとてもよくないぞ!

同じことは、日常の中で多く起きがちだと思います。引っ越した家の玄お風呂が使いづらい、会社のシステムが刷新されてどこになにがあるかすら分かりづらい、シャーペン変えたら握りが細くなって書きづらい…などなど

何かが新しくなったとき、今までと比較してしまうとある程度の不満は絶対出てきてしまうものです。完全上位互換のものを買ったとしてもどこかの変更点で引っかかってしまうかもしれませんし、全く同じものを買い換えたとしても使い込んだものとはちょっと違うものとなってしまうかもしれません。でも、そこで嫌なことは少し横においておいてちょっとだけちゃんとみると「その先」が見えるんじゃないかと思うんです。


引っ越した家の風呂が使いづらいけど、前の家が広かったから物置きすぎてたんだよな、少し断捨離したらつかいやすくなるだろうし、この窓が欲しくてここにしたんだし、昼風呂こんなに気持ちいい…

会社のシステムが変わってなんもかんもPC上でやることになっちまったから使い勝手悪いけど、書類送るのに封書じゃなくてスキャンしてポイだし、スキャン済みのがあればめちゃめちゃ早く作れるようになったなー

シャーペン、細くなったら使いにくくなったけど超絶かわいいからいいの!使うの!!

ね。ちょっといい感じになりました。


新しいものを取り入れるとき、いいところを見るコツはちょこっと離れた視点から見ることなのかもしれません。ひとには「愛着」という感情が備わっていますので、どうしても「今まで」に沿って「いままで」側の立場で物事を見がちなのでそこを一歩引いて、冷静に「いままで」と「これから」をみて「新しいもの」に「君はここが違ってここがすごいんだね?わかった、いっしょにやっていこう、これからよろしくね!」といって、「古いもの」に「君はここが凄かったし、こういうところがずっと好きだったよ」を再確認して、「新しい子と分業してこらもっと楽しくやって行こうぜ!」と伝えるか、もしくは「いままでありがとう!君には君の良さがあったけれど悲しいけれどお別れだ」と言えるようなモノの取り入れ方と使い方ができれば、ちゃんと物を大切にしていると言える気がしています

あのとき、ゴムベラさんをもっとちゃんと観察したり、適当なシーンで使うのではなく、ちゃんと目的と特性を知った上で用途に合った使い方をしていたら、ゴムベラさんとわたしはもっと早くに和解できていたはずなのです。パンケーキだねもこんなにも打ち捨てられなくてもよかったはずなのです。

最初に仲良くなれなかったからって「あんな奴いなくたって俺はちゃんとやれるし、充分だ!」「あんなのと付き合ってるなんてろくな奴じゃねぇぜ」とか思うのは、ほんのちょっとの優越感は「創造」できるやり方なのかもしれませんけど、人生をその快感よりは明らかに大きく損なう行為なんだよなぁ、わかってるはずなんだよなぁ、と、こんな小さな損はまだまだたくさん気づかれずに生き残ってるんだろうなぁと、面白いようなめんどくさいような気分になりました


あ、ゴムベラだけど「クリーナー」って書いてあるやつは炒め物とかすると溶けるからご注意ねー(やったことがある)


きみたちへ

ぽんちゃん、ぽこちゃん。
君たちは、自分たちと大人の違い、ってなんだかわかるかな?
もうそれだけ大きくなっていたら、自分たちは大人の入り口にいるくらいのことは思っているだろうし、言われ始めてもいるんじゃないか、と、思う。

でもね、かーさんの意見は違う
きみたちは、大人になっていく人たちなんだよね。
そして、おそらく…30代になっても、さらにその先ももう少しの間は「自分が大人だ」という自覚は持てないものなんだよ。うん、いまここでこれをかいているかーさんもたぶん、まだ大人になりきれていないんだ。

なぜかっていうとね、大人、っていうのは「じわじわじりじり完成させていくもの」だからなんだよ。自分が描く「大人」を、自分で、生涯をかけて作り上げていくんだ。

君たちは、大人になるための準備をし始めて、どんなおとなになりたいかをえがきはじめる、そんな時期にいるんだとおもう。そして、大人と子供の決定的な違いは「知識と経験の差」。これだけだ。

もちろん、これらが絶対正義なわけじゃない。知識や経験があるから間違うこと、見えなくなることもあるんだよね。それが、今日のお話。


きみたちにはまだ「いままで」が少なすぎるから、ひとつひとつの「いままで」が絶対のように思えているんじゃないかと思う。大人はね、それを山ほど持っているから、ひとつひとつが、そんなに大きなことには見えなくなってしまっているんだよ。でも、まだ、ひとつ一つが大事だった頃の記憶はのこってる。そんな厄介な存在でもあるのさ。

それに、経験が増えるほど、新しいものに興奮することは難しくなるんだけど、君たちはそれをまだまだたくさん持っているはずでもあるんだ。

だから、きみたちよ
新しいものが来たら、全力でいいとこ探しと違うこと探しをするといいよ。楽しんで。そして、必ずいままで、のいいとこ探しも忘れずにしておくこと。それができるだけで、君たちの暮らしは絶対的に楽になるし、楽しくなることは、かーさんの経験上、正しいと思うんだよね。そうやっていろんなものやことを受け入れたり弾いたりして、自分の世界と自分を形作っていっておくれよ。かーさんみたいにこうやって、そのはっずかしいエラーをちょこちょこ修正したりしながらさ。結構それも、楽しいけどね!


かーさんは、そんなことを、今日の卵焼きのボウルを前にしながらゴムベラ握って、かんがえていたのでした。

今日の卵焼きはぽんちゃんの大好物のケチャップ風味のミンチ入りオムレツだよー♪

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