罪人達の船 第十一章
罪人達の船 第一章
罪人達の船 第十章
苦痛には限度があるが、恐怖には限度がない
プルニウス
『異常』に一番最初に気付いたのはニコラスだった。
いつもならニコラスが起きる頃には既に暖炉に火が入っていて皆が集まるフロアは暖かくなっており、レジーナが「おはよう」と挨拶をするのだが今日はそれがない。
部屋の中はしんと静まりかえり、冷たい空気が辺りに満ちている。
窓の外を見ると昨夜からの雪で辺りが白く、鉛色の空からはまだ白い物が降り続いていた。風も強く、窓やドアがガタガタと不安げな音を立てる。
レジーナは一体どうしたのだろう。
ニコラスがそう思っていると、リーザがドアを開け起きてきた。部屋が寒いせいか一生懸命手をこすり合わせている。
「リーザ、昨日はレジーナと寝なかったのか?」
「うん。一人で寝てたの。お部屋寒いね」
そう言いながら、リーザは自分の心臓の高鳴りを押さえるのに一生懸命だった。レジーナはもう起きてくることはない。何故なら昨日自分が襲ってしまったのだから。だが、それを気付かれないようにしようとすればするほど、心臓は高鳴り手先や足が震える。
気付かれてはいけない、気付かれてはいけない……!
そんな様子に、ニコラスがリーザを見る。
「寒いのか?」
「うん、お部屋に戻って何か着てくるの」
今の震えをニコラスは寒さのせいだと思ったらしい。だが部屋が暖まっても、このまま黙っていられるだろうか。そう思うとリーザは不安で仕方がない。
『ディーターお兄ちゃん、神父様……ごめんなさい。リーザもしかしたら、人狼だって、みんなにばれちゃうかも知れないの』
部屋に戻ったリーザは、必死に二人に呼び掛けた。
レジーナが自分の部屋で襲われたことに気付かれるのはすぐだろう。多分ニコラスは暖炉に火を入れた後でレジーナの部屋に行く。そして全員が集まったときに、ディーターのように平静を装っていられる自信がリーザにはない。
『リーザ、落ち着け』
『大丈夫ですよ、リーザ。あなたは一人じゃないんですから』
ディーターの低い声に続き、ジムゾンの優しい声がリーザの耳に聞こえる。
だがそう言いながらも、ディーターは考えていた。
レジーナが襲われたことに気付けば全員がまた集められるだろう。その時、果たしてリーザが平静を保っていられるか。
おそらく答えは「否」だ。ただ襲撃するなら誰にも出来るが、その後どうやって乗り切るかは経験を積んでいくしかない。まだ七歳のリーザにそれを課すのはあまりにも酷だ。その行動如何によっては全員が吊られる恐れがある。
「…………」
事を早まったか。いや、そんな事はない。ディーターは笑いを押し殺すように、歯を食いしばる。
何のための同時襲撃だ。何のための大勝負だ。
もう引き返すことは出来ない。これをきっかけにして邪魔者を排除するためわざわざ危険な橋を渡ったのに、ここで怯えてどうする。
「…………」
部屋の外を誰かが歩く音がする。暖炉に火を入れたニコラスが、レジーナの様子を見に行こうとしているのだろう。
『ごめんなさい。でも、絶対二人のことは言わないの』
『今から死ぬ気でどうする!』
その凛とした声は、人狼達にしか聞こえなかった。
風の音しか聞こえない中に、ディーターのはっきりとした声がリーザとジムゾンの耳に響く。
『それとも、今から尻尾振って許しを請いに行くか、リーザ』
『ディーター』
今なら、もしかしたらリーザであれば、処刑を免れることは出来るかも知れない。しかしそうしてしまったら、既にそれは人狼ではない。飼い慣らされてしまった、ただの犬だ。
「…………」
ディーターが何を言おうとしているのかを、ジムゾンはよく分かっていた。今怯えているリーザは少し前の自分の姿と同じだ。いくら生粋の人狼とは言え、今日を耐えなければこの先人狼として生き残ることは出来ない。
『嫌、リーザは人狼だもん。ママにそう言われたもの』
涙をこらえるようにリーザが囁く。それを聞き、ディーターはふうっと溜息をついた。
『だったら、落ち着いて俺の言うことを聞け。ジムゾンもだ』
「皆起きてくれ!」
レジーナの部屋を開けたニコラスが見たのは、ベッドに横たわったまま息絶えたレジーナの姿だった。シーツは血で赤く染まっており、冷え切った空気に血なまぐさい香りが混じっている。噛み傷は首元だけではなく、腹部や腕などにも残されていた。
その声に全員が部屋から出て、レジーナの部屋を恐る恐る覗こうとする。
「そんな、レジーナが。嘘だ……」
そう呟いたのはヨアヒムだった。
何故レジーナが襲われたのかが全く分からない。人狼が襲うとしたらニコラスかペーターだと思っていたのだが、レジーナを襲うことで何らかのメリットが人狼にあったのか……だが、その理由が思いつかない。
「宿に皆いたのに、それでも襲われるの?」
ヨアヒムの隣では自分で編んだピンクのストールを肩にかけたパメラが真っ青な顔をしている。ここに集まっていれば夜に人狼が動いても大丈夫だと思っていたのに、それすらも無駄だというのだろうか。ストールの端を握る手は、力を入れすぎて白くなっていた。
ディーターとヴァルターは、部屋の中を見て眉間に皺を寄せ首を振る。
「体が冷え切ってるから、夜中に襲われたんだな」
「しかし、誰が」
ヴァルターの言葉に全員が顔を見合わせる。ジムゾンはレジーナの元に近づき、十字を切りながら祈りを捧げ、リーザは目に涙を溜めていた。ペーターはそんなリーザを慰めながら、何かに気付いたように顔を上げた。
「ねえ、カタリナ姉ちゃんは?」
その言葉に弾かれたように、パメラが廊下を走る。
「カタリナ! 起きて!」
お願いだから無事でいて欲しい、もうこれ以上誰かが死んでいる話など聞きたくない。そんな思いと共にドアを思い切り開ける。だがその部屋の中には誰もいなかった。
「カタリナ? どこなの、カタリナ?」
パメラは既に半狂乱だった。そんなパメラを落ち着かせるかのように、ヨアヒムは肩を抱く。
「パメラ、落ち着いて」
「だって、だってカタリナは人狼じゃないって。どこなの? カタリナ!」
はらはらと涙をこぼすパメラを見て、リーザがその場にしゃがみ堰を切ったように泣き始めた。
「うーっ、うわああーん」
それはディーターの作戦だった。
不安になったなら、いっそ泣いてしまえ。混乱しているうちならそれを不審に思う者はいないだろう。泣くのをこらえておかしな態度になってしまうぐらいなら、いっそ泣いてすっきりした方がいい。それは間違っていなかったようで、ヴァルターやヨアヒムは泣いている二人を見て困惑している。
「カタリナを探しに行こうぜ。もしかしたら羊どもに餌でもやりに行ったのかも知れないからな」
「私も行こう。ヨアヒムとペーターは二人についててやってくれ。ニコラスは神父様をレジーナの部屋から呼んできてくれないか? 私達二人で探しに行くには心許ない」
そう言い沈痛な面持ちで息を吐いたヴァルターに、ニコラスは無言で頷いた。
カタリナは人狼ではないはずだ。人狼は人狼を襲わない。カタリナが人狼であるなら、自分が人狼を殺した事を告白する意味が全くない。
「パメラもリーザもこっちにおいでよ。何か暖かいものでも飲もう」
ヨアヒムはパメラを支えるようにフロアの方に連れて行く。ペーターはしゃがんで泣いているリーザの横で、自分の着ていた上着を肩にかけてやっていた。
「無事でいてくれりゃいいんだけどな」
そう言いながらディーターは煙草に火を付けた。
無事でいるはずがない。カタリナは昨日自分とジムゾンが殺してしまった。昨日から降り続いた雪で凍ってしまっているかも知れないが、今頃天国でオットーと再会を果たしているだろう。
「全員なるべく離れずにいよう。神父様もディーターから離れないように」
「は、はい」
ニコラスにヴァルター、ディーターとジムゾンが上着を着て外に出て行こうとする。
荒れ狂う天候の下、宿の入り口付近でモーントの首のない死体が見つかり、それで四人はカタリナが襲われたことを知った。
カタリナが倒れていたのは、自分の家よりももっと奥の道だった。降り続いた雪でほとんど姿は隠れていたが、フードの一部が見えて何とかそれが分かったぐらいだ。
「………」
この雪で埋葬も出来ず、カタリナとレジーナ、そしてモーントの遺体は宿の裏口に置いてある。あのまま道にカタリナを置いていたら、凍り付いて地面に張り付き動かせなくなると言って、ディーターが宿まで運んだのだ。
フロアにいた皆は誰もが無言だった。
どうしたらいいのか。まさか、一晩に二人も襲うなど考えてもいなかった。そしてこの中に、それをやった人狼がいる。そう思うと何を言い出していいのかが分からない。
パチパチと薪が燃える音と、風の音が沈黙を満たしていく。そして宿の隅にはヤコブが使っていた鋤や、トーマスの斧などが武器代わりに用意されていた。
「一体、誰が人狼なんだ」
パイプの煙を吐きながら、ヴァルターが苛立たしく呟く。だがその言葉に続く者はいなかった。パメラは台所で虚ろな目をしながら軽食を作り、ヨアヒムはテーブルに肘をつき頭を抱えている。リーザとペーターが困ったように皆を見、ニコラスは帽子で表情が見えない。ディーターは先ほどから煙草に火を付けては、落ち着かないように少し吸ってはすぐ消し、ジムゾンは両手で聖書を抱きかかえている。
皆の間の緊張感は、限界に近づいていた。
この中に人狼がいる。村にいる限りどこにも安全な場所などありはしない。宿にいようが家にいようが、それを嘲笑いながら人狼は村人を襲い続ける。
ここで沈痛な表情をしている者の中に、確実に人狼がいる。
『今だ!』
ディーターの囁きが響いた。それを合図にリーザが顔を上げる。
「……ごめんなさい。リーザ、みんなに黙っていたことがあるの」
そう言った瞬間、ニコラスの隣に座っていたリーザが、緑の帽子をいきなり取る。
「リーザ!」
真っ直ぐと伸びた金の髪と共に現れたのは、右目が青で左目が赤の左右異なった色の瞳だった。ニコラスは左目を慌てて隠したが、それは全ての者にしっかりと見えていた。
リーザは震える声で、帽子を持ったまま話をし始める。
「リーザ知ってたの。ニコラスさんの目の色が違うって。でも、黙って欲しいって」
「違う、リーザ!」
ガタン! と、椅子を蹴り上げるような音がした。その音がした方向にいたのは、ヤコブの鋤を掴んだヴァルターだった。その目は怒りに満ちており、近づきがたい雰囲気を漂わせている。
「リーザに近づくな、貴様が人狼だったのか」
何て滑稽な悲劇なのか。
緊張感が高まったところにリーザにニコラスの話をさせることで、こうなるだろうとは予想済みだったがあまりに上手く行きすぎだ。リーザの声が震えていたのは、この作戦が上手く行くかどうかという不安もあってのことだろうが、この緊張感の中では怯えているように見えたのだろう。
『悲劇と喜劇は紙一重だが、こんなに上手く行くと笑い出しそうだぜ』
ヴァルターの剣幕に、リーザとペーターが逃げるようにヨアヒムの方へ行く。
「違う、私の話を聞いてくれ!」
「黙れ!」
ニコラスの言葉をヴァルターは全く聞かなかった。そしてそのまま手に持った鋤を、ニコラスに向かって真っ直ぐ突き出す。
「ヴァルターさん!」
ジムゾンの叫びは一歩届かなかった。
まるでそこだけ時間が切り取られてしまったかのように、尖った先がゆっくりとニコラスの体に突き刺さる。自分の左目を隠していた手で、ニコラスがその柄を強く持つ。
「違う……私は、人……狼、じゃ……」
ごほっと咳をすると、ニコラスの口から血が流れた。そして、リーザの姿を目で追いかける。
黙っていたことが罪なのか。
自分が処刑されるのを恐れアルビンの潔白を言わなかった事への罰が、自分の身に来ただけのことなのか。
だとしたら、何故突き刺された痛みよりも心の方が痛いのだろう。
「人……狼……では、な……」
遠く聞こえる悲鳴は一体誰なのか。リーザの姿はだんだん霞んでいくのに、その後ろに立っているリーザの母親の姿が、はっきりと見え始めてくる。そしてニコラスの耳に女性の声が聞こえた。
「よくやったわね、リーザ」
リーザの母親は、今まで見せたこともないような笑顔でリーザの頭を撫でている。
「リー……ザ」
そうか、リーザが人狼だったのか。
自分の罪は黙っていたことでも恐れていたことでもない。
一番の罪はリーザを人狼だと全く思っていなかった、自分の浅はかさだ。だが気付くのが遅すぎた。もう声が出ない。息を吐く音すら、途切れ途切れだ。
「…………」
リーザの目から、涙がぽろぽろと落ちるのが見える。
完全に自分の負けだ。すっかり騙されていた道化は、舞台から下りるしかない。
それでも今のリーザの涙は自分だけのものだ。ニコラスは何とか笑顔を見せながら、そっと目を閉じた。
「きゃぁぁぁあっ!」
沈黙を切り裂いたのは、甲高いパメラの悲鳴だった。台所にあった包丁を持ち、目を見開いたまま、震える手でそれを全員に向ける。その悲鳴で我に返ったように、ヴァルターが掴んでいたいた鋤から手を放す。
「ニコラス、ニコラス!」
ヨアヒムは、倒れたニコラスに一生懸命呼び掛けていた。目を開けて欲しい、今ならまだ助かるかも知れない。たとえ人狼だったとしても、こんな最期は惨すぎる。
「パメラ……」
「こっちを見ないで、来ないで!」
近づこうとしたヴァルターに、パメラは刃先を振り回して威嚇した。既に恐慌状態で、顔色は青を通り越して白くさえ見える。
「パメラ! 落ち着け!」
「パメラさん!」
ディーターやジムゾンの声を、パメラは全く聞いていなかった。いや、その姿すら見えてはいない。パメラが見ているのは、ヴァルターの姿だけだった。ペーターはすっかりその様子に怯えたように、リーザの手を強く握っている。
「そんなのお父さんじゃない……人狼と同じよ!」
レジーナとカタリナが殺されもう誰を信じていいのか分からなかったところでの出来事に、パメラの精神は平静を保てなくなっていた。母親が四年前の流行病で亡くなってから自分を育ててくれた優しい父親はそこにはいない。自分の目の前にいるのは、人を問答無用で殺す人狼と同じ生き物だ。それが自分に近づこうとしている。
そしてそれは、ヴァルターも同じだった。
リーザの告白に自分は発作的にニコラスを殺してしまった。それが人狼なのか人なのかも確かめもせず、今までのことも考えず、気が付いたら鋤を手に取りニコラスを刺していた。まるで化け物でも見るかのような目をしたパメラに、何とかヴァルターは近づこうとする。
「私の話を聞いてくれ、パメラ」
ヒュン! と風を切る音がし、ヴァルターが一歩下がった。
ニコラスの話を聞かなかったくせに何を言っているのか。そう思っていると、ヴァルターが包丁を奪おうと手を出す。
「来ないで!」
時間が止まったような気がした。
パメラの持っていた包丁の先がヴァルターの脇腹に刺さり、その肉に突き刺さる感触にパメラがはっとし、包丁から手を放す。
「私、私………いやぁっ!」
倒れかけたヴァルターをディーターが支えた。傷はさほど深くないようだが、ショックで顔が真っ青になっている。それを見てヨアヒムが、パメラに向かって駆け出した。
「パメラ、落ち着くんだ。落ち着いて!」
「私……お父さん、を」
「ヴァルターさんは大丈夫だから」
倒れているヴァルターをそっと床に寝かせ、ディーターはジムゾンに声をかける。
「洗濯してあるシーツを持ってこい。傷は浅いから、血を止めるのが先だ」
「は、はい!」
ヴァルターの怪我は、思っていたよりも浅かったようだった。だが動かすことは出来ず、ベッドに横になっている。
「私は、何て事を……」
痛みに耐えながら脂汗を流すヴァルターに、ディーターは溜息をつく。
「仕方ねぇ、こんな状況が狂ってるだけだ。ひとまずあんたが無事で良かったよ」
「パメラ、は?」
それを聞き、痛み止めの薬を持ったジムゾンがそっとヴァルターを覗き込んだ。この薬はアルビンが持っていたもので、ニコラスの荷物の中からディーターが探し出した物だ。
「ヨアヒムさんが側についてます。ペーターとリーザも一緒ですから大丈夫ですよ」
「そうか。こんな事をしてしまった私が言うのも何だが、ニコラスをちゃんと弔ってやってくれないか?」
「ああ、分かった。薬ここに置いとくから、飲んで寝とくといい。血は止まったが動くとまた傷が開く」
そう言って、ディーターはジムゾンを連れて部屋を出た。そしてジムゾンと共に死体になったニコラスを宿の裏に移動させる。
すっかり暗くなった空を見上げると、闇の中からわき出るように雪が降ってきていた。空には厚い雲がかかり、どうやらしばらく止みそうにない。
「…………」
ディーターは考えていた。もうここで狩りをするのは終わりだと。
全員を殺す必要はない。フリーデルが異端審問官であることは事実だし、あまりのんびりしていると連絡が取れなくなった事に気付いた審問官達が来る。それまでにこの村をを出なければならない。
『今日で狩りは終わりだ』
そう言ったディーターに、誰も返事をしなかった。リーザも分かっているのだろう。ここで狩りを続けたとしても意味がないことを。
だがジムゾンは違っていた。
ニコラスを運んだ手に血が付いている。それはまだ生々しく、粘りけを帯びた赤を残していた。
「…………」
思わずそれを口にしようとした瞬間、ディーターがその手を払い飛ばす。
「…………!」
「ジムゾン。お前血に酔ってるな?」
「血に?」
そうかも知れない。昨日から目の前で何度も繰り広げられた惨劇にジムゾンの心は高揚していた。人狼が人を殺し人が人を殺す。その血が流れるたびに自分の中の深く暗い部分が揺さぶられる。
だがディーターはそれを見て、苦々しい表情をしながら煙草をくわえた。
「ここにいたのが俺じゃなくてヨアヒムだったら、お前は今ので処刑されてたって分かってるのか?」
「でも、もう残りはペーターを外せば三人です。今日で全員を襲うことも」
そう言うジムゾンの胸ぐらを、ディーターが掴んだ。
「腹も減ってないのに、狩りをする必要があるのか?」
ぎり……と首元が締め付けられる。まるで初めてディーターに出会い殺されかけたときのように。その時と同じ冷たい目が、ジムゾンを見透かすように見つめる。
「やめっ、苦し……い」
その言葉にもディーターは力を緩めない。
「いいか、ここでの狩りはもう終わりだ。分かったな?」
「分かり……まし……た」
緩められた喉に冷たい空気が入り、ジムゾンがゴホゴホと咳き込む。無言で去っていくディーターの後ろ姿を見ながら、ジムゾンは考えていた。
どうして、ディーターは全員を殺そうとしないのか。
ディーターの言う通り、自分は血に酔っているのかも知れない。それでもしばらく動かすことの出来ないヴァルターと、精神的に疲労しているパメラを襲うのはすぐ出来るだろう。ヨアヒムだってさほど苦労するとは思えない。
横たわるニコラスを見ながらジムゾンはごくっとつばを飲み込んだ。
血を見たい。生きている証がなくなるところを、この手に感じたい……。
皆が寝静まった深夜、ジムゾンはベッドの中で落ち着かないまま起きていた。まだ雪は降り続いているようで、窓からすきま風が入り込んでいる。
「…………」
そっとベッドから起きあがると、鼓動が高鳴るのを感じた。
今日襲うなら一人で眠ったままのヴァルターだろう。パメラにはヨアヒムがついているが、ヴァルターなら痛み止めを飲んで眠っている。もう死にかけている者にとどめを刺すのは簡単だ。
「怒られるかも知れませんね」
ディーターはなんと言うだろう。これが上手く行けばパメラとヨアヒムは三人で何とかなる。そうしたら、きっとディーターだって「よくやった」と言ってくれるはずだ。
ジムゾンは部屋をそっと出た。音もなく歩くのにももう慣れた。廊下を歩き、ヴァルターの部屋のドアを開ける。傷の痛みで熱が出ているのか汗を掻いてはいるが、ぐっすりと眠っているようだ。
「ヴァルターさん、恨みはありませんが死んでください!」
血を!
吹き出す命の証を……!
首元めがけ、右手を振り下ろそうとしたときだった。手の甲と肩口に、音もなく鋭い痛みが走る。
「…………!」
「もう誰も殺させない……殺させはしない!」
雪明かりの中現れたのは、投げ矢を構え、肩に銀の弓を持ったヨアヒムの姿だった。
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