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罪人達の船 第七章

罪人達の船 第一章
罪人達の船 第六章

 正しかろうが間違っていようが、自分らしく生きよ。安易に服従してしまう臆病者よりずっと立派だ。
 アービング・ウォレス

「シスターは、嘘をついてます」
 カタリナはとても静かにその一言を言った。静かだが心の内には秘めた物があるのだろう。宿にいた村人達はその迫力に圧倒されていた。
「ちょっと待ってくれ、カタリナ。その前に言った『十年前にオットーと一緒に人狼を殺した』とは、どういう事だ?」
 そんな事件が村で起こったという記憶はない。この村に起こった大きな事と言えば、四年前に病が流行ったことぐらいだ。それにその頃村にいなかった者達もいる。
 ヴァルターの質問に、カタリナは祈るように指を組みながら、少しずつ十年前のことを話し始めた。
 十年前にこの村にいたゼルマルという男が、呪術によって人狼に化した事。そしてその時、たまたま森に薬草を取りに行ったカタリナがそれを見てしまった事。
 恐ろしい記憶を少しずつたぐり寄せながら、カタリナは真実を皆に伝えようとする。
「村長さんは覚えているでしょうか。あの時、私の側にはシュテルンと言う名の牧羊犬が、いつも側にいた事を」
「ああ、ペーターぐらいの歳だったパメラ達が触ったりしても、絶対に吠えない良い犬だった。急な病気で死んだと聞いていたが」
 額に星のような模様があるからシュテルン、そう皆は聞いていた。隣村からやってきたばかりでなかなか皆になじめなかったカタリナがこの村に溶け込んで行ったのも、オットーとシュテルンのおかげだった。オットーはカタリナを連れ村を案内し、シュテルンはいつも後ろをおとなしくついてまわり、そんなシュテルンに子供達がじゃれつく。そんな光景が、ヴァルターやレジーナの脳裏に蘇る。
「ごめんなさい、それも嘘だったんです。シュテルンは人狼から私を守って死にました。その後必死に逃げている途中、ちょうど隣村から帰ってくるところだったオットーにぶつかったんです」
 カタカタとカタリナの指先が震える。パメラはその隣に座り、心配するようにカタリナの肩に手を置いた。
「ゆっくりでいいのよ。そんな事があったのに、私全然気づかなかった……」
 そう言ったパメラに、カタリナは軽く首を振った。
「いいの、隠す事を選んだのは私達だったんだから」
 その言葉に皆が沈黙した。
 ゼルマルの事は知っていた。手癖が悪く、口汚い罵り言葉をすれ違いざまに浴びせてくるような男だった。村の子供達にもゼルマルに関わってはいけない、話しかけられても答えてはいけないとよく言っていた。
 そして忽然と姿を消したのに、誰もその事を気にしなかった。誰かがその事にもっと関心を向けていたら、こんな事にはならなかったのかも知れない。
「カタリナ、一つ質問していいかな」
 ヨアヒムの質問にカタリナが無言で頷く。
「『人狼を殺した』って言ったけど、オットーと二人で? だったらどうやって……」
「ヨアヒム!」
 それに激しく反応したのはパメラだった。いつも仲の良い二人なのに、パメラはよほどその質問が癇に障ったのか、いつも出さないような大声でヨアヒムに向かって言葉を吐く。
「いくらヨアヒムでも、そんな事を今聞くなんて無神経だわ!」
「パメラ、落ち着いて。ヨアヒムも話を急ぎすぎないでください。まだ夜は明けたばかりなのですから」
 間に入ったジムゾンの言葉にヨアヒムは小さく謝る。
「ごめん、カタリナ。神父様の言う通り、僕は話を焦りすぎてたみたいだ。今一番辛いのはカタリナなのに」
 自分で言った言葉の通り、ヨアヒムは焦っていた。
 退治したと思っていた人狼が、それを嘲笑うかのようにオットーを襲った。もし本当にカタリナとオットーが二人で人狼を倒したというのなら、やり方によっては変身した人狼にも立ち向かえるの知れない。そう思った瞬間、あまり考えずに言葉が出た。自分が人狼の襲撃から人を守る力があるからと言って、無神経な事を言ったのには変わらない。
「いいのよ、ヨアヒム。パメラもヨアヒムを許してあげて」
「うん……ごめんね。この中の誰かが人狼なんだって思ったら、何だか急に怖くなったの」
 パメラは精一杯強がっているが、本当はアルビンのようにここから逃げたい気持ちで一杯だった。こうやって話を聞いている中に、ゲルトやヤコブ、オットーを襲った人狼がいるのだ。そして、普通の村人のように振る舞っている。そう思うと恐ろしくて仕方がない。
「ま、ヨアヒムの気持ちも分かるんだよな。カタリナがそれを全部話さない事には『シスターが嘘をついている』に繋がらねぇ。辛いかも知れないが、時間が惜しい。単刀直入に言ってくれ」
 ディーターの煙草は二本目になっていた。カタリナはディーターの言葉に目が覚めたかのように、自分がやらなければならない事を思い出す。
 そう。言わなければならないのは、これだけではないのだ。
 フリーデルが嘘をついてる事を、皆に伝えなければならない。それがオットーが最後にカタリナに託した約束だったのだから。
「お水を一杯いただけますか?」
 一番水差しに近いところにいたリーザがコップに水を入れ、こぼさないようにそっと持ってくる。カタリナはそれを飲み、大きく息をついた。
「話を戻しますね。人狼を倒せたのは私達の運が良かったからかも知れません。オットーが投げた石が、ゼルマルさんの顔に当たったんです。私達は倒れたゼルマルさんが起きあがらないように、必死で彼を石や杖で殴りました。そして気がついた時、私達は人狼を殺していました」
 シン……と辺りが静まりかえった。
 もし自分達が同じような目に遭ったら、カタリナ達と同じ事をしていたかも知れない。その時の恐怖などを思うと、一体どう声を掛けていいのかが分からない。
「オットーと私はその事が皆に知られるのを恐れ、誰にも見つからないように人狼をシュテルンと一緒に私がいつも放牧をする丘の上に埋める事にしたんです。きっとこの事を皆に言えば、大騒ぎになると思って」
 カタリナの目から涙が落ちる。
「そして私達は約束をしました『毎日同じ時間に、あの樹の下で逢う』と。それが続く間は、お互いがお互いを信じられると。でもこんな事になるのなら、人狼がいると分かった時に、この事を皆に言うべきだったんです、ごめんなさい……」
 それがカタリナの限界だった。後は何か言おうとしても、こみ上げる涙で声にならない。パメラがそれを抱きしめ優しく背中を撫でる。
 だがその静寂を、フリーデルが引き裂いた。
「それが、私が嘘をついている事に繋がるとでも? 嘘をついているのはカタリナ、貴女かも知れないのに!」
 フリーデルは、何についてカタリナが自分が嘘をついていると言うのかが理解できなかった。カタリナは、オットーが襲われれた事を利用した人狼かも知れないのに。
 思えば初めて出会ったときも、人狼の話に対してカタリナは過敏に反応していた。そういえば人狼に魅せられて、人狼の襲撃を手助けする者もいるという。もしかしたらこれは、異端審問官である自分を陥れるための罠なのかも知れない。
 ややしばらくの沈黙の後、トーマスがゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、カタリナが嘘をついているのか、確かめてみようじゃないか。カタリナ、あの樹の下を掘り返してもいいか?」
 カタリナはそれに涙を拭きながら何度も頷く。
「墓荒らしをする趣味はないが、シスターも今のままじゃ納得できないだろう。これが一番いい方法だと思うんだが、どうだ?」

 白樺の根を傷つけないように、トーマスはディーターやヨアヒムと一緒に穴を掘っていった。側ではカタリナとパメラ、フリーデル、ジムゾンにヴァルターがその作業を見守っている。
 最初「村人がバラバラになっているうちに、誰かが襲われるかもしれない」と、全員がここに来る予定だったのだが、レジーナが「十年昔の話とはいえ、子供達にその作業を見せたくないよ」と言ったため、子供達二人とレジーナはニコラスと一緒に宿で待っていた。
「結構深いな」
 冬なのに汗だくになりながら、トーマスは穴を掘り続ける。これだけの穴をオットーとカタリナの二人が掘ったと言う事は、相当恐ろしい思いをしたのだろう。人狼が蘇ってこないようにと、必死に穴を掘る様子を想像すると背筋に冷たい物が走る。
「おい、骨みたいなのが出てきたぞ」
 ディーターはそれを手に取り、丁寧に土を払う。ヨアヒムもその辺りの土を箒を使って少しずつ避けていく。
「犬の骨のようだな。カタリナ、この下に人狼を埋めたのか?」
「はい。私が使った杖は朽ちてしまっているかも知れないけれど、オットーが使った大きな石と人狼の骨は残っているはずです」
 鉛色の空の下、黙々とその作業は続けられた。カタリナは十年振りに再会したシュテルンの遺骨をそっと撫でる。その隣で、ジムゾンが祈りを捧げようとしたときだった。
 カタリナの隣に着いているモーントが、ジムゾンの顔を見る。
「…………」
 ……ここで吠えられる訳にはいかない。
 自分がオットーを襲撃した人狼だと気づかれてしまう。ジムゾンは無言でモーントを威圧した。誇り高き狼が、飼い慣らされた犬になど負けるはずはない。
「モーント、どうしたの?」
 何かに怯えるように頭を垂れ、モーントはカタリナの陰に隠れた。普段ならカタリナを守るために前に出るのに、今はまるで子犬のように甘えている。
 その瞬間、ガツン! と、何かがぶつかるような音がした。それを突き当てたのはヨアヒムで、右手を痛そうに振っている。
「痛っ! 何かにぶつかったみたいだ」
「ヨアヒム、もしかしたらそれが、カタリナの言っていた石なんじゃねぇのか?」
 ディーターの言う通り、それは子供の頭ほどの大きさの石だった。カタリナが朽ちているかも知れないと言っていた杖も、まだなんとかその形を残している。トーマス達は緊張しながら少しずつ辺りを掘っていった。
「おい、これは」
 朽ちてはいるがまだ残っている毛皮、人間のようだが明らかに歪んだ形の頭骨。
 そこにはカタリナが言ったとおり、人狼の遺体が無惨に横たわっていた。

 オットーとシュテルン、そしてゼルマルに対して追悼のミサが行われた後、村人達は神妙な面持ちで宿に集まっていた。ゼルマルは人狼だったが、人間と変わらずにミサをして欲しいと言ったのは意外な事にカタリナだった。
「ゼルマルさんに何も出来なかった私に出来る、唯一の懺悔です」
 少しでもゼルマルに手を差し伸べていたらと思うと、悔やんでも悔やみきれない。カタリナはゼルマルを憎んではいなかった。
 真に憎むべき敵は他にいる。それが終わるまで崩れ落ちる訳にはいかない。
「さて、カタリナが言った事が本当だと分かった訳だが、最初に言っていた『シスターが嘘をついている』と言う理由を教えてはくれないか?」
 ヴァルターはアイリッシュコーヒーを飲みながら、持っているパイプをテーブルに置いた。コトリ、という音が静かなフロアに響く。
「はい」
 カタリナは返事をした後ややしばらく下を向いていた。何かを決意するかのように目を瞑り、小さく呟く。
「オットー、私に力を貸して」
 そう言うとカタリナはしっかりとした表情で顔を上げ、フリーデルの方を見た。
「シスター、ケルンに行くというのは嘘ですね?」
 ざわっと村人達が動揺した。その中でペーターが素直な疑問を口にする。
「カタリナ姉ちゃん、ケルンってどこ? ここからは行けないの?」
「ごめんなさい、ペーター。私も実は分からないんだけど、昨日オットーが教えてくれたの。『この村を経由してケルンには絶対行けない』って。オットーは子供の頃ケルンに行った事があったの」
「……………」
 フリーデルは無言で下唇を噛む。
 あの時オットーが突然妙な質問をしたと思ったが、この為だったのか。『人狼が退治出来て、そこまで無事に行けるといいな』と言ったのは、その時に口から出任せを言った事を気づいていたからだったのか。
 油断していた。あの時アルビンを処刑した事で、人狼が退治できたと思っていたのだから。
「それは本当なのかい?」
 レジーナはそれを知っていそうなニコラスやジムゾン達の顔を見る。自分はこの村の近辺しか行った事はないし、それが本当のことなのかが全く分からない。ニコラスが、緑の帽子を深くかぶり直しながら頷く。
「カタリナの言うとおりだ。昨日アルビンの遺品を分けていたときに、私もオットーにケルンに行ったことがあるかと聞かれた。ここからケルンは逆方向で、この村を経由して行くのは不自然だ。巡礼の途中に寄るということはあり得ない」
 皆がじっとフリーデルの顔を見た。フリーデルは青い顔をしながらテーブルの一点を見つめている。
 もうごまかすことは出来ないだろう。ジムゾンに助けを求めようにも、これではフォローが出来ない。明らかに自分のミスだ。本当は最後まで明かすつもりはなかったのだが仕方がない、自分の身分を明かさねば人狼に自分が処刑されてしまう。
「……確かに私は嘘をつきましたわ、それは認めます。でもこれには訳があるのです」
「どんな訳ですか?」
 カタリナはフリーデルをしっかりと見つめていた。
 やはりオットーの言うことは本当だった。それなのに、嘘をついたのには理由があるとごまかそうとしている。アルビンはフリーデルに追求されたときに、あんなにはっきりと自分の罪を認めていたというのに。
 多分アルビンはオットーの言ったとおり、普通の人間だったのだろう。そうじゃなければ、あんな正直に自分のことを話す必要はない。そう思うと、余計フリーデルが許せなかった。
 フリーデルは、何かを決意したかのように大きく息をつく。
「私が嘘をついていたのは、私がこの村の近辺に現れたという人狼を殲滅するために派遣された、異端審問官だからですわ。神父様にも聞いてご覧なさい、教会に密書が届いているはずですわ」
 異端審問官と言う言葉に、ニコラスが明らかに不審げな表情を見せた。何の罪もない者達に魔女だという濡れ衣を着せ、すべてを焼き尽くす者達。それは神の審判などではなくただの暴力だ。だが、その言葉すら信用できない。
「…………」
 ディーターがチラリとジムゾンを見た。あえて囁きは送らず、代わりに無言で煙草に火をつける。
 ジムゾンは皆の顔を順々に見回した後、静かにはっきりこう言った。
「シスターフリーデル、私はその手紙を受け取っていません」
「嘘よ! そんなはずないわ! 証拠が欲しいというのなら、部屋から正式文書を持ってきてもよろしいですわ!」
 ジムゾンの静かではっきりとした否定に、フリーデルは思わず激高する。それは今まで見せていた冷たく優雅な姿ではなく、酷くヒステリックでもあった。それを見てディーターが溜息をつく。
「その文書が本物かどうか、誰が証明できる? ニコラスが言ったことは本当だ、ここからケルンに行くには相当時間がかかる。教会に地図があるだろうから、それを見せりゃ皆に説明出来るだろう。だがあんたの言葉は信用出来ねぇ」
 皆がそれに沈黙する。ニコラスだけでなく、ディーターまでもがそう言うのならそれは真実なのだろう。だがディーターの言うように、フリーデルの言葉を信用できる材料はない。
「私を信じてはくださいませんの? もしかしたら郵便配達人が人狼に襲われたりした時に、その手紙を奪ったのかも知れませんのよ」
 青い顔をするフリーデルに、レジーナがゆるゆると首を振る。
「シスター、確かに郵便配達人が人狼に襲われたことがあったよ。でも、手紙には手がつけられていなかったんだ」
「そんな……私の話を聞いて! これは人狼が私を陥れるためにやったことだわ。私は人狼を狩る側なのに、どうして私を信じてくださらないの?」
「シスターフリーデル、それは貴女がアルビンやオットー達を信じなかったからです」
 ジムゾンの言葉もフリーデルには届いていないようだった。
 誰か、誰か自分を信じてくれそうな者を味方に付けて、自分の処刑を回避しなければならない。
「ねえ、パメラ。貴女なら私を信じてくださるわよね?」
 この村に来たときに色々と自分に教えてくれ、寒いからと言ってマフラーを渡してくれたパメラ。パメラだったら、自分を信じてくれるかも知れない。フリーデルは一縷の望みに賭けた。フリーデルにじっと見つめられ、パメラがそのまま固まる。
「貴女は、私を信じてくださるわよね?」
「わ、私……」
 怖い。
 助けを求めているような薄笑いを浮かべたような口元と、射るような瞳。それは今までのフリーデルではない。
「…………」
 パメラは目を逸らし、ヴァルターとヨアヒムの後ろに隠れ俯いた。このまま見つめられていたら、視線で殺されてしまうのではないかと思うほど恐ろしかったのだ。
「……っ!」
 この村には、誰一人賢明な者はいないのか。
 フリーデルは自分の部屋へ行き、教会からの文書を持ってきて机に叩きつけ、自分が本物の異端審問官であるとまくし立てた。しかしその言葉は、村人にはもう届かなかった。
「シスター、もういいです。何を言っても私は貴女を信じられません。貴女が嘘をついていた事は真実なのですから」
 カタリナがフリーデルの言葉を遮る。
「それは、私が人狼だとでも言いたいの?」
「その通りです」
「このっ!」
 フリーデルはカタリナの目の前に足音を鳴らしながら近づき、その手でカタリナの頬を打とうとした。だが、カタリナは予想していたかのように、それを自分の腕で受け止める。
「異端者め……こんな愚かな村、滅んでしまえばいいのだわ!」
「説得できなければ暴力ですか、シスター。私はそれに屈しません」
 その迫力にリーザが怯え、ニコラスにしがみつく。
『……女は怖えぇな』
 その様子を見ながら、ディーターが嘲るように一言囁いた。

 フリーデルを処刑することに反対する者は、誰もいなかった。
 昨日のオットーとフリーデルのやりとりやケルンへ行くという嘘、そして今日オットーが襲われた訳などを考えると、どうしてもフリーデルが人狼に見える。モーリッツが死んだときに言った冷ややかな言葉も、彼女の信用を落とすのには充分だった。
 アルビンを処刑したときは、アルビン自身がそれを受け入れていたのでその場に連れて行くだけで良かったのだが、フリーデルは最後までそれに抵抗した。トーマスやディーターが暴れるフリーデルの手足を縛り、ようやくその準備が出来た頃には、日が沈み夜風が吹き始めていた。
「シスター、アルビンを見習ってください」
 カタリナのそんな言葉にも、フリーデルは憎しみの目を向ける。それがますます最後にあがこうとしている人狼に見えて仕方がない。
「私に人狼を見習えと? それに私を処刑してもこれで終わりじゃないわ。私が死んでも、異端審問官達はこの村に来る! その時にせいぜい命乞いをなさい! そして自分の愚かな行動を悔やむといいわ!」
 抵抗するフリーデルの首に縄が掛けられる。
 アルビンの処刑時と違い、この場にはカタリナとディーター、そしてトーマスしかいなかった。ジムゾンは皆にケルンへの地図を見せ説明するために、リーザと共に教会に行っている。だがそれは表向きの話で、本当はリーザにオットーを食べさせるためだったのだが。
「何か遺言はあるか? 俺でよければ伝えといてやるよ」
 ディーターが煙草の煙を白い息と共に吐き出しながらそう聞くと、フリーデルはディーターにこう聞いた。
「貴方は、私をどう思ってまして?」
 そう言うとディーターは、フリーデルに近づき耳元でこう言った。
「ああ、人狼でも人間でも嫌な女だと思ってる。爺さんが死んだときも、ヤコブが占うことを拒否したときも、自分のことしか考えてねぇ女だってな」
 無理矢理顎をつかみ、ニヤッと笑ったディーターの口元はフリーデルにしか見えなかっただろう。そこに見えたのは、鋭く尖った犬歯だった。
「…………!」
 何か言おうとしたが、あまりの驚きに声にならない。人狼はずっと目の前にいたのに全く気づかなかった。それどころか自分がモーリッツやヤコブに言った言葉に対して、一番最初に感情をぶつけていたこの男が人狼だったとは!
「おい、ディーター! こんな時に悪ふざけか?」
「ディーターさん、よろしいですか?」
 トーマスやカタリナからは、ディーターがフリーデルの顎をつかみキスをしたようにしか見えなかった。最後だからとはいえ、こんな悪ふざけをするところがトーマスは気に入らない。
「ああ、悪い。あんたはいい女だよ、修道女じゃなければな」
「きさ……ぐっ!」
 貴様、と言おうとしたそれは、声にならなかった。自分の首に掛かった縄が喉に食い込み、かすれたような声にしかならない。
「地獄に、堕ちろ……」
 ディーターを縄の上から見下ろしながら、フリーデルがかすれる声で最期に出せたのは、この一言だけだった。

罪人達の船 第八章


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