見出し画像

考えさせられた事

表記ゆれ(ルビの揺れ)のデメリットには
以下のようなものがあるとされる。

(上役に)仕事ができなさそうな印象を与える。
読み手に混乱を与える。
正確に意味が伝わらない。

あたりまえっちゃそうですけれど、あたりまえな事ほど急に口頭で質問されると意外なことに気づくものです。

「個人」の資質やビジネスマナーではまぁそうでしょう。
契約内容の履行範囲や対象に含まれるのか対象外なのか表記に揺れがあっては約款にならないし

これを集団に拡大すると逆にメリットの方が目立ってくるのは気のせいだろうか?

1、仕事ができなさそうな印象を現状与えている

→統一しただけで首尾一貫した印象を与えられる。
(読み替え能力と想像力の欠如につけ入るスキがある)

2、読み手に混乱を現状与えている

→統一しただけで理路整然、無謬感を与えられる。
(唯一無二感、無謬性の「演出」)


3、正確に意味が(現状)伝わっていない

→正確に意味が伝わっていないのは揺れの非統一のせいなのだと「責任転嫁」できる。(中身は旧態依然であっても新テーゼの提案をしているように見せかけられる?)


面談でのアピールのなかで(圧迫面接ではなかったですよ!)表記ゆれが許せない心理について、引っかかる言い淀みが見られたかたが過去にいました。

いろいろと考えてみたが個人と組織でやや異なる?うまく纏まらなかった。この時代、今ココの採用担当者がわたくしだったなら、わたくし自身も不採用ですね。

許せないというよりは「商機」のウェイトが大半を占めているのではないか?との疑念が深まった。
そんな前職は、本当はパートタイムの事務職ではなかったことだろう。
(かなり他罰的なパーソナリティでもある。少数と言ってもヨコが乱れるし、そこが一番困る)

「為にする批判」にはトクしかない。
それはそれで纏まる商談になるとは思えないけれど。
実年齢にはとても見えない、お綺麗なかたでした。