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ニュークロスの悲劇(下)

ニュークロスの悲劇(下)
 11時きっかりに製材所に着く。120人もの作業員を擁した、一見大きく見える製材所であった。そこでは、木材加工から建設、アイデア製品の企画から、他の製材所へ経営コンサルタントまがいの社員を派遣として送り込み、別で収入を得る等、オールラウンドの商法を携えていた。その為か、幾多の貿易会社の信頼を得ており、今後の発展を期待される側面がある。トムソンは、次の生活が決まるまでの小遣い稼ぎのつもりで仕事を探していたのだが、これ程の大企業に身を委ねるとなると、少々気おくれする焦燥のようなものを感じ、緊張が走った。そこの所長は他の従業員から「キャプテン」と呼ばれており、人の良さそうな体裁を見せてはいるが、その手腕は一定の評価を崩すことがなく、彼は10年間、一様の勲章を以て、その役職に努めているという。日中は機械の音が連動的に鳴り響き、騒音にも聞え、周囲に住宅が無いのをいいことに、深夜の作業を厭わない習癖が、いつしか丈夫に成り立っていた。

 作業場を抜けて、歩幅の狭い階段を上って行くと小さな事務所に辿り着き、デストロイと「キャプテン」は何度か顔を合わせヒソヒソと喋りながら中へと入る。トムソンは二人の跡に付いてゆっくりと入った。煙草の匂い、花の匂い、皮の匂い、作業服の匂いが鼻をつく、ただブラインド少し開けたままで下ろした窓から差し込む斜陽は、少し埃をかぶったソファを照らしており、日常の空間を思わせるその光景だけが、トムソンに安堵を与えていた。何故か所長代理のデスクの上には、スーパーなどで使用されるレジスタが置かれてあった。

「よう、そのお方が新入りかい?デストロイ」

少々の沈黙の後、急に入って来た作業服の男が陽気な声調で問い掛けた。

デストロイは、「ああ」とだけ返答し、それ程相手に調子を合わさないまますぐに又振り向き、所長と話し始める。

「時間はきっかりだった。面構えも良い。それ故か手腕も気になる。暫く預かってみて、彼の度量を拝見しよう」と所長は落ち着きながら、買って来たばかりのボトルなのか、ラベルが美しく光るウィスキーの瓶に口を付け、グイ、と二口呑んだ。中身はラムネソーダである。

「そっちのお前さん、ダンボールにガムテープを貼ったらさっさと出て行け。真面目な仕事の成果で昇進を狙うんだな」と、さっき入って来た作業着の男に、所長は顔も見ないままで忠告している。その日からトムソンは、ここで働くことになった。

 先ほどの陽気な男、名はディーラーといい、その男にトムソンは仕事のいろはを教わった。意気投合した。のっけから調子良くいっていた。昼休みは午後1時に始まり2時に終わる。昼休みの開始まであと20分だった。キャプテンが、各職場を巡回する。これが昼休みに入って良し、の合図である。予め、キャプテンが用意しておいたコーヒーの入ったポットに皆が集まり、各自、昼食を取り始める。製材所の近くに小さなストアが在り、そこへトムソンは昼食を買いに行った。トムソンがそのストアに来た時、二、三人の作業員が既に来ていた。その二、三人は、何やら小声で話をしていた。耳を傾ければ、デストロイのことらしい。どうも、仲間内で評判が良くないらしく、避けられている節があった。暫く聞いていた。

A「本当かい?」
B「ああ、話によるとな。で、デストロイの奴、それどうするんだろうな。」
C「細かいことは知らねえよ。ただ近日中に奴が金を必要としているのは確かだ。え..と、あと確か10日で給料日だったな。...だから、その日は特に
注意しといた方がいいぜ、俺達もよ。」
A「まさかあいつが、俺達の給料を盗むとでも言うのかい?盗んだって幾らにもなるまい。桁を飛ばす借金を抱えているんじゃないのかい、あいつはよ?」
B「考え過ぎだぜ、幾ら金に困っていると言っても、そんなことすりゃここでお陀仏だぜ。次の職場だって失うことになんだろ。どこ行ったってお払い箱だぜ。それこそ警察に捕まって袋小路じゃねぇか。それはねぇんじゃねぇか?」

何のことだか見当がつかない。金に困っているデストロイ、暴力行為を働いて作業員の給料を横取りしようと企んでいる、警察に捕まっても構わない程の自棄に駆られている?何か切羽詰まった状況が元で...。その辺りについては聞き取れた。しかし、真相がつかめない。実際はどのような状況に在るのか、デストロイ本人には聞ける筈もない、かたわれだけが空論を飛び交う次第については、詰らぬことだとトムソンは気付いていても、尾鰭は後から後からやって来る。そして、「二、三人」がサンドを買って、その帰りしなに、又、囁く。

C「ほら見なよ。あそこに立っている二人のとっぽい男。あれ、デストロイに金を貸した奴等だぜ。追われてるんだよ。いつからかは知らねえが、あの分だと結構以前(マエ)からだな。奴等、取り立て屋さ。」そのCが指差した先には、黒ずくめの男が二人、立っていた。どうやら、やばいことにデストロイは巻き込まれているらしい。しかし、デストロイの姿はさっきから見えない。トムソンは、とにかく、訳を訊き出そうと、いなくなったデストロイを捜した。とっぽい、黒ずくめの男達二人組は、キャプテンが奥の(事務所へ通じる)階段から降りて来るのを見付け、一人が合図し、近づいて行った。トムソンは、遠くから見ていた。そして、よく会話を聞こうと近づいた瞬間に、二人組は話し終え、引き上げて行った。トムソンは、二人が行ってから、キャプテンに駆け寄り、先程していた話の内容を訊こうとした。しかし、キャプテンは首を横に振り、「いや、お前さんにゃ関係のないことだよ。」と言ったきり、その後は取り合おうともしなかった。トムソンはキャプテンから訊き出すことは諦め、さっきの「二、三人」から直接訊き出そうと、勇気を奮って、作業場へ向かった。しかし意外なことに、その「二、三人」は、初から取り合おうとはせず、全く関係ない話ばかり始めて、さっきのことはなかったかのように、トムソンには何も話さなかった。所長の目が光っていたからである。仕方がなく、最期の手段、デストロイに直接訊こうと、躍起になって捜し始めた。旧友ながらに見え去る許容は自分達を繋げると、自分勝手に思い込み、彼は完全に、青年の時代の淡い記憶に埋没していた。しかし、一向に、デストロイの姿はない。過去のデストロイの姿を見つめながら、必ずここに居るはずだ、と確信を以てトムソンは捜した。やがて昼休みは終わった。デストロイは消えたままである。2時、仕事が始まり、機械、作業員、はさっきまで通り、通常に、動き出している。仕方なく、軍手をはめて、木材を肩に担いで「木材加工」と見出しを出したサインに向って歩こうとした時、デストロイは作業場入口の柱の陰から、片手をポケットに突っ込んだままの姿で現れた。見付けた..、トムソンは、急いで駆け寄り、さっきまで頭と心情を占領していたモヤモヤについての内容を訊こうとした。話してみると、デストロイには話が通じていない様子だった。

「何のことを言ってるんだ?おれが金を?冗談言うなよ。何故、おれが取り立て屋に追われなくちゃいけないんだ。あ、お前、さてはここの連中達のおれの噂でも聞いたんだろう。無視してなよ。ここの連中は人一倍給料の高いおれを恨んでやがるからな。おれはこの中でも、一応、年長の方の工夫なんだ。だからおれのことを悪く言う奴はたくさんいるんだよ。気にしない、気にしない。」プイと、自分の作業場にデストロイは消えて行った。暫く、ぼうっとしていた。しかし、次第に、そのデストロイの言葉に妄想は消え始め、トムソンも仕事場に戻った。それから暫く、そのことを考えるのをやめた。

 それから5日が過ぎた。給料日まであと4日。その日、トムソンは、木材の運送を頼まれた。車の運転ができる彼(トムソン)は、その木材をニュークロスから少し離れたレイトンストーンという隣町の支社まで運ぶように頼まれた。その支社までは、調子良く進んでも2時間は掛かり、往復で4時間は掛かった。彼が帰って来るのは、昼休みに入る頃である。彼は、車の中で食べる昼食を持ち、車に乗った。どんどんどんどん、走って行く。やがて、貧民街は遠ざかり、ニュークロスからも出た。

 県境を越えて、レイトンストーンに入る頃、トムソンは車の中で一枚の紙切れに目が止った。まだ少し、時間が余っているのを確かめ、彼は車を停めた。レイトンストーン支社は、県境を越えて、少しである。その紙切れには、何かメモらしいものが記されていた。『10.......、01677833』”10”という数字と、少し下に、電話番号らしい数字が在った。彼は辺りを見回し、少し先に、公衆電話を見付けた。直様、エンジンをかけ直し、その公衆電話まで走って行った。降りて、その白紙に記されてある番号をかけてみた。暫く、否、ひどく長く思われる間、呼びだし音が鳴る。ようやく出た。

「hello...」。金貸し屋だった。ふと、デストロイが、トムソンの脳裏を過った。又、車に乗り込み、次は、この”10”という数字について考えた。何のメモか、この車を自分の前に使ったのは、そして、この”10”という数字の意味するものは。ふと、時計を見ると、いけない、もう時間が経っている。急いでアクセルを踏み込み、車を走らせた。白紙は助手席に放った。

 木材を下ろし終えて、トムソンは帰路についた。もしかすると、この紙切れはデストロイのかいたものかも知れない。この”10”という数字、もの思う内に、給料日の10日という数字が出てきてついかいたもので、この電話番号はうってつけだ。もしも、デストロイのものならば、あの「二、三人」の言っていたことはまんざら冗談とはいえない。それに、あのデストロイの自分へ言った言葉、それもあやしい。とにかく、もう一度確かめてみる必要がありそうだ、そう考えながら車を飛ばしていた。又、帰り道に、昼ながら、霧が出始めていた。トムソンは、少しスピードをおとした。

 やがて、霧が徐々に晴れてきたのは、ニュークロスに入った頃である。とは言っても、まだ、少々の霧が残っている。戻りは行きよりもゆっくりだったので、少々、時間をくった。昼休みの終わり頃に、貧民街には辿り着いた。そして、車を降りる時トムソンは、助手席に放ってあったそのメモを、自分の胸ポケットに入れた。それを持って、デストロイのところへ行くつもりだったのである。製材所の車庫から木材場は向き合って見えるところに在り、結構、距離はあった。そこで、トムソンは、その木材場にキャプテンと、四、五人の黒ずくめの男が立っているのを見た。以前、黒ずくめを見た時は、二人だったのが、人数が増えている。トムソンは直様、駆け寄ろうとした。しかし、走ろうとした途端に、黒ずくめの四人組は引き上げて行った。昼休みは終わりである。その規則は守られている。キャプテンは、ゆっくり奥の階段を上って行く。他の作業員達も、何事もなかったかのように、働き始めた。しかし又、デストロイの姿が見えない。彼(トムソン)はディーラーのところへ行って、デストロイのことを訊いてみた。しかし、知らない、という。何度、詰め寄っても応えは同じであった。又、仕方なく、自分も仕事に就いた。そして、木材を肩に担ごうとした時、又、柱の陰から、デストロイが現れた。彼(トムソン)はデストロイに近寄って言った。

「今までどこにいたんだい?何故、君はいつも昼休みなると、姿を消すのか。その訳を聞かせて貰いたい。」真剣に問い質した。

いささか慎重な面持ちを見せているデストロイは、今度は何も言わず、ただ黙って、じっとトムソンの目を見返した。そして、そのままポケットに片手を突っ込んだままで、奥の階段を上り、事務所の方へと足を進める。まて、とばかりに、トムソンは又駆け寄り、デストロイの肩をつかんで振り向かせようとした。見ると、デストロイの姿はなく、いささか年を取った老年の作業員が、従順な体裁を整えてそこに立っていた。

「君は...」とトムソンが言った瞬間に、後方から刃が飛んだ。備え付けてまだ新しい、木工作業用の機械のノコが、デストロイの胸に吸い込まれるようにして、飛んでいった。他の作業員達はデストロイのまわりに集まり、様々に噂をしている。所長は外出中であり、しかし、彼の車はガレージに停められてあった。作業員達はまだ噂をしており、次第に人気はまばらになった。壁に備え付けられた、空調用の換気扇は静止していて、その隙間から差し込む斜陽が遺体を照らしており、その肩に付いた塵と血を、あざやかに光らせている。彼が死んだことを二度知ったトムソンは、二度と彼について、思いを深めることはしなかった。


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