10代から20代の時に書いた詩(17)
僕は独り芝居が多い。
一方的に思い込む若者よ、それが一人芝居だとは思わないのか。男の恥さらしめ、女などに負けやがって。死に様晒しやがれ。
生き方だけは誰にも憧れたくない。〝あの人みたいに…〟なんて。
「生工場」
この先、この繰り返しで生きて行くのか。芸能界なんて入る所じゃない。今のあの世界に、表面的、生き残る事に何の価値もありゃしない。生きて行く連続で、もうシリアスは嫌だ。かと言って堕落で滅びを見るのも嫌だ。正直者と偽善者、この世の頂点、どちらが生き易いか。これは神と悪と、どちらが生き易いか、という事だ。無論、神は何と言おうと生が止まりはしない。生が止まるのは、得てして人間だ。欲望、進級、安定した暮らし、真面な知恵をした常識人にそれらは絶対条件だ。まだまだ偽善は続く。人間が生き続ける以上、複雑で、この世は繰り返しを好む。間違えた行き先には果して、何が待つのか。
「孤独」
好き、と言う感情が要らない。それが人間の必要条件なら、俺は人間を捨てたい。
あぶれ生れて来て、生き抜ける程、この世は甘くない。
さぁ、明日は長い一日、帰って来て又アルバイトだ。6月11日(水)
あの場所に女が居なければいいのに。そうすれば勉強が出来るんだ。いっその事、別館で、こっちへ入って来れないようにすればいいんだ。〝入って来るな〟と言いたい。女という輩が居るから詰らない光景と漢を見なければならない。鬱陶しくてしようがない。誰も勉強はしていない。〝してる〟と言い張る奴も、実は出来てはいない。いつものようにあの場所はこの世間に似て下らないのだ。
言葉を選んだからとて、言いたい事は変らない。
生れて、精一杯の負け惜しみ。
ちきしょう、無傷の青春だ。
皆同じか、しかし僅かな所で違う。決定的な所で違うんだ。
――徹底的に愚列(ひと)に嵌められた。昨日しこたま便所で吐いた。吐いても吐いても吐き足りず遂に、便器にへたりしゃがみ込む。――
何故、弱い者の前に寄って集(たか)って悪者が現れるんだろう。ちきしょう、殺せばこっちが悪くなる腐った世間。そして自殺すれば追悼エピソードに熱を入れる。
ここに書く字、もう殆どが罵りの言葉だ。この世間に対する憎しみ、堅い話はおよしとナンパに行く男女への諦め、この馬鹿らしさ。〝人間とはこんなものなのだ…〟と神を呪ってしまう。本心は嫌なのに。
俺には何も背負うものは無い。これは幸福(しあわせ)な事だ。
人と話す時、会う時が無性に煩わしい。世間の俺と同じ世代がしている事、どうしても俺には出来ない。真面に暮らす事が、何故刺激が無い等と平凡さに拘るのか。馬鹿な思い方が頭から離れない。それがこの街の平和に対しての憎悪になっている。すると眠り続けたいと思う程、一人の時と誰かと居る時の自分が違い過ぎる。骨が折れる程、歯を食いしばり、街の男という男、女という女に反吐を吐いた。この気分で、女の甲高い声は無性に虫唾が走る。人と話すこの口が、悲しい。
右腹の痛み、嫌な痛みだ。
ある好きでもない女と付き合った。その女と寝て、偽りと分かる愛を演じた。その時に、その自分の全てが死んだ。今はもう女と居る自分の姿は無く、今も延長線は続いている。その自分が愚かなのかどうか、それさえ分からずに。これが野暮な生き方か。
何故、生きなければいけないのだ。死の苦しみがあるから、死が怖いのだ。生きる事の苦しみより、すぐに分かる死の苦しみを怖がる人間。そこに天国という国とこの地上の距離がある。
雪菜 雪名
夏は少し陣を張ろう
夏の陣
昔、ラジオを聴き始めてから暫くそのラジオに夢中になった時があった。明日が美しく見え、楽しみがあるような気がして、寝る時が眠れない程嬉しかった。でも、今、そういう日々を何度も繰り返して来たせいか、明日を勝手に想定して少し暗い方向に持って行く。これは現実に強い事か、弱い事か。どうすれば強く生きる事が出来るかは、自分なりに分かっている。尤も今の時代、そうでなければ丈夫に生きてはいけない。現実に強いとは、夢の持って行き方にある。時にその形は変わる。目まぐるしく変わる。現実は夢を嫌うもの、正反対のものだ。現実に強いとは二つ。現実と掛け離れた所に理想というもののように無傷で置く、もう一つはこの現実を夢と見る事。夢は所詮夢、この現実の色が、どうしてもその夢のフィールドに降り掛かる。人の中で生きれば、同じような事を考える故、思い通りには行かない。DJの人達も番組が終われば家に帰る。その帰る途中、現実の中を通る。現実から離れる事など、一人で居る時以外出来はしないのだ。孤独に打ち勝つ事は至難の業、〝人間は一人で居るのは良くない…〟―――そういう事なのだ。―――昔と気持ちは違えど、今もラジオは聴いている。
「回想」
今日、以前行っていた教会の人達が来た。懐かしい思いがして、幹夫君が居なかったのが少し寂しかったが。それでも楽しいひと時だった。その家庭集会の中で、証というのがあった。一人ずつ証して行くのだ。僕は言葉が少なくて、その時何も思い付かず、黙っていた。〝はい、次の人…〟と言う真向かいの人の声が時を刻んで行く程に冷たく感じた。そう感じるのはいつもの僕の思い込みだが、それだから僕なのだ。結局、僕は何も言えずに黙っていた。僕を合せて8人の教会の人が家に集まり、家庭集会をした。〝深く考えるな〟と言い聞かせながら一つ、ちらっと母親を見た。母親は真面目に黙って聖書を見ていた。母親は証をし、その内容は世の終わりの事を含んでいた。僕に少しの同意を求めながら、お終いまで証していた。未知先生の証は、栄子ちゃんの学校でのレポートの事だった。〝誕生〟と題して書くというそのレポートの内容に掠めて、栄子ちゃんの昔を話していた。不思議なテンションを覚えながらその時間を過ごした。時間が過ぎて皆が帰り支度を始めた。車は2台で家の前と少し離れた所に置いていた。最後に、〝さよなら〟を言い、〝また来て下さい〟と伝えて、別れた。懐かしながら、とても楽しいひと時だった。
髪が抜けてゆく。白髪も見えないまま、年老いてゆく自分があからさまにわかる。恰好を付ける必要がなくなった僕は、女の前にいる時、抜殻のように無関心を装う。一人の時は理想の女を欲しがり、街中へ行けば現実から離れたこの世に居ない女を欲しがる。その裏通りも時に十字路に行き着き、表通りに出る事がある。白くない髪を街行く皆に見られながら、僕は一方向に歩いて行く。橋に差し掛かった時、人に釣られ下を見た。
もうすぐAM1時。明日はAM8時過ぎに起きねばならない。何かに背中を押されながら起き、一日を自分のものにする。明日も朝一番、新鮮な牛乳を飲んで一日を見る。その為にもう寝なきゃいけないんだ。
〝刑務所暮らし〟嫌だ。人を殺せば、親と、神様を裏切る事になってしまう。それだけは絶対に嫌だ。何も背負ってない今のこの時を、感謝したいのに。
「足跡」
それは足跡だ。あなたが砂地から帰った後に残っている筈の足跡をもう一度捜しに行ったら跡形も無く消えていた。あそこは人通りが少なく、暗いから女・子供も通らない。況してや夜には。さっきまで一緒に居たのが僕一人なのに、その足跡が消えているなんて、不自然過ぎるだろう。
もう寝なければ、早く寝なければ。
あいつに間違われ、あの子に間違われ、遂には君にまで間違われるのか。
人一人生きる事はそれで才能であり、芸術である。だから他人を羨む事は無いのだ。
放浪できる身分。今の身分とどちらが楽か、と言えば、生活を続けて生きて行く以上、今の常識から離れる訳には行かない。だから僕の放浪は、この白紙の中にある。
彼は自分の顔ばかり鏡で見ていたので、他の人からどう見られているのか判らなくなっていた。―――
書いても意味は無いが、きっとこの字も、見ている事だろう。先に逝っちまった奴が居た。でも何故か悲しくない。僕は罪な奴か。6月20日(金曜日)
日常、どいつこもいつも偽りの恰好で生きてるのさ。
あいつが逝っちまった後、俺も潔く…等と馬鹿な事を考えた。この世に価値が無い、と言う事は昔から思っていた。生きていて大した意味が無い、と思えば、僕の人生はそこで終わりだ。この世間のこれから起こるソドム、性欲地獄に身を投げてしまう前に、愛する事も憎み合う事も、悲しむ事も、すべてこの世に置いて居なくなろうと。
人を殺す前に、僕はどうしても人を殺したいと思ってしまう。そう言う自分が消えない。
愉しむ事が、一瞬であるなら、その楽しみに一瞬だけ浸ってすぐに次の楽しみを持つ事をやめて、この世から離れたい。癪な事はあいつが俺よりも先に死んだ事だ。俺一人でこの地球が回っていたとするならそれは寂しい事。この地球には最後の最後まで人間(ひと)が居る。居なくなる事は先ず無い。自然が神と信じるこの俺(人間)は、天川裕司と言う個人に与えられた人生をこの身体を借りて生きて居る。下らない色んな妄想が頭の中を過(よぎ)る。男と女、世間、俺には一切関係無い事だ。6月20日(金)。
欲望が嫌い。女を欲しいと言う欲を失くしたい。この世を生きてあらゆる欲を失くせば生きては行けない。欲望が嫌いだ。生まれて来て、何故欲望があるのか。
生れて来て俺に出来ない仕事(こと)、それが才能でもある。
「欲望嫌い」
欲望は悪の中にある。その欲望を人は好むのだ。ふと思う。生まれて来て何も無いのなら、生まれたくはない。
成功、不成功。
生れて来た理由は絶えず2つある。自分なりの理由と、神が言う理由。その2つは欲が人にある以上、得てして一致しない。
死んだ後に気付いた。長い間、母親の顔に触った事が無かった。
さっきまで信じていたが、今は信じてない。でも、またすぐ信じるだろう。
明日、良い事があるといいのにね。(笑)人生とはそういうものさ。
おいお前、今は幸せかい?日頃、いろんな話をしてた。でも今は何も話せない。お前が選んだ人生、何も言えないけど、でも、親にはちゃんと謝れよ。天国で会える事は知ってる。いつか会えると信じている。誰も信じないとしても、お前はどこかで生きている。しかし、それも聞きたい。今はどこに居るんだ。今一人か?暑いのか、寒いのか?明るいのか、暗いのか?狭いのか、広いのか?本当に、今はどこに居るんだ。分かってはいても、その存在の有無の壁があまりに儚いのは、まだ信じられない。6月22日。
人間は最強の肉食動物だ。
どん底には何も無い。
「付き纏う影」
親の前で〝死〟の戯言は一切言わない、と誓った。でも、この世を生きて行く現実、僕の目の前にある世間はあれ以来一つも変わらない。幾ら僕の心の中が生気に満ちても、生きて行くベースのこの現実が、本当に価値の無い世の中なのだ。いっそ死んだ方が自分はましだ、と思わされるくらいの、ソドムとゴモラの街なのだ。皆、自分の事で精一杯。生きて行くには一人の幸せを見付ける事だ、と、現実は暗黙に語る。今まで好き放題やって来たこの世間に、僕はやり場の無い怒りを覚え、夢を嘲笑う悪、女、性欲に、絶対陥るまい、と、プライドに誓うのだ。詰らないプライドだと女は言うが、そう言う女も五十歩百歩なのだ。人間は人間を救えない、神のみが救える。好き放題やって来たこの世間が、僕は我慢ならないのだ。そして、〝生きていかなきゃ〟と、どうしてもその世間に溶け込んで行かなければならないこの自分。物言えぬ悲しさ、と悔しさは付き纏う。
細かく言えば、生気に満ちてる時は、少し神から離れてるように思える時だ。ただその真偽は分からない。
「二重唱」
自分の男は、一度付き合って思い続ける。どうしても子供(がき)な女を、心から許せないのだ。その考えは女…もういいよ(笑)いつもどうしてそんな考え方なんだ。
小夢(ゆめ)
ずっと灰色の目で世間を見て来た。だから、あの人が着てる服が何色かが分らない。
「小言」
一人でも、この世には楽しい事が沢山ある。なのにあいつは健康ながらに死を選んだ。その選択はその後あいつにどんな意味をもたらすのか。生きて行くには金が必要だ。その金を稼ぐ為に今はアルバイトがある。やろうと思えば幾らでもやれたんだ。だけど今はもう居ない。僕は寝たらまた起きる。あいつはあの日に寝たきりでもう起きない。本当に聞いてみたい。今は幸せかい?
朝起きて、その朝の清(すが)しさに感謝する。自分の起きられる健康について感謝する。命の流れに暖かさを覚え、感謝する。何の不自由も無く生きて居れて、感謝する。あともう一つ、いつも付け加える自分が居る。世間知らずで欲が根っから無くなれば、どんなに良いだろうか、と。この世では欲があると生きて行くのは難しい。僕は僕でそれ故に自分の殻に閉じ篭る。神よ、人の(僕の)生れた理由と意味が、誰かを愛する為だと言うならこんな悲しい事はやめて下さい。僕はその愛故に罵倒するのです。愛する力を失くそうとするのです。存在を否定する事ほど辛いものはありません。――あいつは今、どこですか?
クリスチャンのフィールドと、この世間のフィールドは違う。世間の人達は言う。〝私達はこの人生をエンジョイしたいのだ〟と。僕もそれに賛成だ。教会に行って、聖書を読めば今は悪い時代とある。世間の汚さを語ると、教会の人達は言う、〝私達は今を神に預けて、永遠の国で神に会いたい〟と。僕もそれに賛成だ。臆病は付き纏う。どこへ行っても生きる事に変わりなし。何故、欲は悪魔側にあるのか。無い物強請りは正反対。人間は生きていればこの世の全ての事に触れる事が出きる。そして、この世間を生きるのは、生きている人間だけだ。この世を楽しむ為に生まれた、と誰もが思いたい。好きな事を、一つでも多くすればその思いは全うされる。その為に生きているのだ、と。そこに欲の極み(強み)がある。それが後になって、良いのか悪いのか、判らない儘、明日が来ている。
結局、一滴も飲まずに置いた茶のコップ。
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