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10代から20代に書いた詩(5)

「帰郷」
八月十一日。月曜日、帰宅。気を遣う一週間から解放されたような気分がどこかにある。そんなような事を感じながら自作のテープを聴いている。なにしろ十日ぶりだ。たった十日間、自分の家に居ないだけでこれだけ違うものなのか、と不思議に思える。結構このテープの唄も、上手いじゃないか(笑)。見るものが向こうの田舎の思惑の中に嵌る。気を遣っていたその中には戻りたくないと言う自分が解放の道へと行きたがる。大袈裟にもベッドに寝転びこっちでの生活を取り戻したような気分だった。向こうへ行く時、それなりの〝覚悟〟をしていた。その事をやはり大袈裟だとも思い返しながら、今のこの自分を見ながら決して大袈裟でない事を悟る。でも、田舎(むこう)に行って、良かったと思える。一回り、大きくなって帰って来たような気さえする。以前の自分を以前会って話した人に会って思い出したんだ。田舎に帰って楽しかった。
 
「嫌われてゆく理想の自分」
―――また風邪気味かなぁ。喉のかゆみを繰り返す。――京都へ帰る前の晩、しんどい体を起こして、約束したお出かけをして、そのまま花火を観に行った。気遣いに罵倒しながら、寝転ばずに僕は歩いていた。河原で遊ぶ子供を片目で見ながら、明日の事を思っていた。明日のこの同じような晩にはもう京都に居るのだと、思いながらその花火見物から帰る車に乗った。エン・ストを起こしたその車で走りながら、やはり気遣う僕であった。全然気付かずに、皆に嫌われる事が目に見えている自分を理想に思いながら。―――ーー今、自分の部屋(笑)。今でも少し、胃の調子が良くないんだ(笑)。
 

勝手に思うものさ。(笑)
 
ヘイ!ストマック!!Are you hungry?
 
「バーボンクラッカー」
インクのこぼれたカッターシャツ着た、ガタイのゴツイおじさんが、カウンターでぼやいていた。僕は僕でスライス・レモンを飲んでいた。そのおじさんは、人差し指ひとつ突き上げて、食べてたスクランブル・エッグの味に文句つけて。その指はいつしかこちらを指していた。僕は背中に寒気を覚えて席を立とうと努めた。人一倍神経質な僕はそのおじさんのカッターシャツについているインクを指差して出て行った。その時に自分が何を言ったのかは覚えていない。
 
「取り間違え」
感性を忘れた。昔好きだった音楽を聴いた。〝感性〟を思い出した気がした。でも暫く無音の部屋に耐えていたらまた忘れた。次の瞬間、また僕は昔好きだった音楽と、映画を観ていた。そうするとまた次第に〝感性〟を取り戻した気がしていた。そして外を見ていた。静かだったから〝感性〟について考えてみた。考えていく内に〝感性〟というものが何か、わからなくなった。僕は〝感性〟という意味を、世間一般の常識で間違って取っていた。僕の中での考え方が違っていたからだった。
 
「ヴィーナス誕生」
女を忘れた頃、大草原に居た。見ず知らずの自然を前に、石を女に変えた者を僕は想像した。その〝心〟は大草原の向こうから走って来る。空は晴れていながら穴がある。大きなその穴は真っ暗闇に繋がっていて、所々に欲望の渦のような〝深み〟がある。人間の永遠の罪のテーマに、僕は何を以て歯向かえばいいのか。〝歯向かう〟、等と〝威勢のいい無駄〟はやめてしまえ、と、周りのヴィーナスが言う。いつの間にか、僕の周りに〝そら美しい〟程の女が集まっていた。

〝歯向かい〟(威勢のいい無駄)の思いと同時に、僕の欲望は育っていた。女とは、僕の知らない内に誕生して居たのだ。
 
「ストマック変調」
恰好付ける事を忘れたいと、車を走らせて近場の海へ行った。その海辺は少し風がきつく、寒かった。それでも暫くじっとしてたかったから座っていた。ホット・コーヒーを飲みながら、日常の自分と今の自分を重ね始める。〝いつもの事だ〟と真実を探す為にワザと思い流し、コーヒーの味を深々と味わった。少し調子の悪い僕の体は潮風に預けられて冷えた。この海の向こうが異国だと思うと冷たいこの風も少しはぬるく感じる。今の自分の後ろ姿は誰に似てるか、等と、日頃思うような事を思い、〝仕方ないな…〟と言い分けする。さっきから船の速さが遅くて、胃の調子がおかしくなっている。

 
「自分勝手」
誰かが笑ってくれれば、誰かが笑ってくれれば。
誰かが黙ってくれれば、誰かが黙ってくれれば。
誰かが優しくなれば、誰かが優しくなれば。
誰かが怒ってくれれば、誰かが怒ってくれれば。
誰かが走ってくれれば、誰かが走ってくれれば。
誰かが歩いてくれれば、誰かが歩いてくれれば。
誰かが冷たくなれば、誰かが冷たくなれば。
誰かが生きれば、誰かが生きれば。
誰かが生きたままならば、誰かが生きたままならば。
誰かが死んでくれれば、誰かが死んでくれれば。
優しさが冷たさの裏返しならば、優しさが冷たさの裏返しならば。
僕があの人ならば、僕があの人ならば。
僕に両親が居てくれれば、僕に両親が居てくれれば。

僕に両親が居なくなれば、僕に両親が居なくなれば。
僕が神様ならば、僕が神様ならば。
うまくいくのにね。
 
僕の好きだった(憧れた)人を、皆が好きになればいいのに。
 
生きる狂暴さ。やばくてもやってやる。
健康保護者みたいに、じたばたしたくはないんだ。(笑)
 
My とうさん, my かあさん, I’m sorry!(汗)(笑)
 
「500マイルの愛情」
僕は父さんに抱き着いた。父さんは突き放そうとしたが、僕は言う。〝僕は父さんの子だ。だから暫くこのままで居させてくれ〟と。僕は何故か涙が止まらなかったんだ。その顔を見せたくはなかった。
 
「ユウジ」

…少し震えた。こういう形でしか親に愛を示せない事は、悪い事か。
 
「わらいごと」
現在、AM3時30分。明日はハードな一日だというのに寝かせないもう一人が夜更かしをする。冗談で終わればいいのだけれど、これも現実。そうはいかない。自分自身の事。なかなか周りの中に嵌め込めない。いつもの事、と呟いてみても、何の慰めも無い。一人には変らないのだから…。また明日が来るのだ。――(笑)――(笑)――(笑)――
 
「デモーニッシ」
あの人は死んだ。あの個人は死んだ。もうこの世には居ない。何らかの仕事を受けてこの世に降りて来たのだろうが、親が在り、不幸に見える。空は同じように青いのに、あの人はもう死んでしまった。勝手に僕は人間として思う。これは不幸な事じゃないのか。確かにこの世を生きて行くのは難しく辛い事もある。楽しい事は比較的少なかったのか。それを勝手にハンディキャップと背負った個人は、やはりの突然の死にどう思ったのか。死をコントロール出来るのは誰?死は逃げる事もなく、追い駆ける事もない。始めからそこに在るように成った。そうしたのは、僕の知る聖書には、神様とある。欲と戯れる僕(人間)は、日頃どう思えばいいのか。

AM4時――AM9時――PM3時10分、4、5、6時30分、7時
 
僕は性格故、〝日〟というのを使うのが下手だ。時間を使うという事が下手だ。自分でそう思う。〝その理由は?〟と訊かれると日常が痛い。もう何度も自分独りの事を否定したくはない。
 
一体何度自分の事を否定すれば片が付くんだ。笑わせる。本当に笑止だ。
 
「されこうべ」
僕は人無数倍欲が強くて、女の子の事を〝鬼婆〟扱いしなければならない程に荒んでしまった。強烈な偏見で自分自身が滅びる程、行く手を狭めて生きている。このままじゃ楽しかった筈の人生がそうでないものになってしまう。タランチュラのような毛むくじゃらの容姿で居るのが少女で…。またどこからか僕の欲望に生きる声がする。その方が〝始めの一歩、楽だ〟と、僕を誘い続ける。そんな時、瞬間女であればいいと心から思う。その悩みは生涯続くとなると生き心地が無い。〝ただ生きる〟事が出来ない人間に生まれた僕はいつまで自分を否定し続けるのか、と、〝生(せい)〟への執着を表に出す。雪が真っ白だと思い込んだ子供はその雪を齧って体を壊し、幼いため死んだ。〝僕の人間〟はまだしっかりとは出来ていなかったのか。

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