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教師の仕事がブラックだなあと思った7つのこと

長年 小学校で働いています。
学級担任や、学年主任、専門科目の教科指導、発達障害と言われた子どもへの通級指導などをしてきました。
子どもが好き・教職が好き・働かなければやっていけない、その3つの理由で20年・・・。
わが子が小学校2年生のとき、シングルのワーママとして「学校の先生」を始めました。
現在は、非常勤ですが、少し前まで常勤勤務で これらの仕事をしていて
辛かったな、と痛感したことを振り返ってみました。

【平日は19時すぎ帰宅】
20年の時代の流れで、少しは 早く帰ることができるようになりつつあります。
でも、私が子育てをしていた若いころには、働き方改革やワークライフバランスなどなく・・・
まだ小学生低学年のこどもを ひとりで育てていた私にとって、平日 毎日こんな時間まで帰れないのは 辛いものがありました。
職場では年上の人が仕切っているので、自分だけさっさと帰るなんてできない空気。5:30定時でも、5:15に突然「あ、そうだ、こんどの授業参観について打ち合わせしましょう」「あすの授業で使うプリントをみんなで作りましょう」・・・。そんな毎日でした。

【夜、幼いわが子をひとりで 役場の庁舎ロビーに置いとけば?と言われたこと 】
教育委員会の先生に「ご指導」いただくために研究授業を行うことがよくあります。
当日を迎える少し前に、授業の計画書をその「ご指導」くださる先生の所へ持っていき、まず計画書の段階で「ご指導」いただくという流れがあります。

忘れもしないそのときのこと。
授業をするのは他の人ですが、同じ学年の担任たちも一緒に考えて 計画書を作っているという理由で、私も同行するよう言われました。
定時後に皆で行くから、と。
勇気を出して、伝えました。
「家で、ちいさい子どもがひとりで待ってる」
返ってきたのは、
「じゃ、こどもも連れてきて、私たちが教育委員会の先生からご指導いただいている間は、庁舎の玄関脇ロビーのベンチで待たせたら?
お菓子とか おもちゃとか 持たせとけば待てるんじゃない?」
冬だったので、外は真っ暗。
教育委員会が入っているお役所の庁舎。
ロビーなんて、極寒。薄暗い。
他の部署もたくさん入っているから、関係者だけでなく いろんな人の出入りが激しい。

そんな場所に、小さな子ひとり置いておけなんて、ありえない。

さすがに、もう嫌われてもいいわ、辞めてもいいわと思い、
申し訳ないけど行けません、と伝えました。

あれは、今思い出しても ありえません。

【だれも守ってはくれない】
そんな職場環境で、他の人たちはどうなのか、というと 
❝自分や夫の親と同居、あるいは近くに住んでいて子どもの面倒をみてもらっている❞
❝夫が自営業で家にいる❞
❝もう子育てを終わっている❞
❝独身❞
が ほとんど。
小さな子どもをワンオペで育てている フルタイム勤務の先生はほぼいませんでした。今 思い出してみても、自分以外に思い当たりません・・・。

毎日、残業が長いのが苦しくて、困り果てて、校長先生に相談したこともあります。
そのときの答えはこちら。
「定時に いったん帰宅してご飯だけ作って また学校に戻ってきたら?」
「チームでやる仕事だから、自分だけ早く帰りたい、はわがままに聞こえてしまう。この人には こういう事情があるから早く帰してあげて、なんて誰も言ってくれないわよ 悪いけど。」

【土日どちらかは仕事をしに学校へ】
担任時代は、平日少しでも早く帰るために、ひとりでこなせる締め切りがあるわけではない仕事は土日にやればよし、と考えるようにしていました。
例えば テストの採点、点数の転記、集計、生活科の観察日記プリントへの朱入れ、成績のための資料集め、図工や書写作品の評価取り、各種ノートやプリントをみること、翌週の授業の準備などなど・・・
結果、週休1日、で働いていました。
個人情報の関係で 家に持ち帰ることが難しくなり、学校に行って仕事をこなすしかありませんでした。
子どもは、はじめのうちは一緒に来て 職員室の片隅で本を読んだり、ゲームをしたり。でも自由の利かない時間と空間は退屈だったようです。
すぐに、「ひとりで家にいるほうがいい(マシ)。いってらっしゃい、がんばってね。」となりました。
 あの頃は、そうするしか道がないと思っていました。
息子のために、私ががんばって働かなくては、そう本気で思っていました。今思うと、かわいそうなことをした、職業選択を間違ったのかも、息子のために、なってたのか?と考えてしまいます。
ひどい母親だったと胸が苦しくて仕方がありません。

【夏休みの 学校のトイレ掃除】
異動が多い学校。たくさんの管理職のもとで 働いてきました。
ある管理職のもとで過ごした3年間の話。
夏休み、気温40度近い学校内。
❝児童のトイレの尿石落としをする仕事❞ が毎年ありました。
業者さんが使う洗剤もない、機材もない。
手渡されたのは 分担表と、トイレマジックリン&紙やすり&ゴム手袋 の3点セット。
もちろんエアコンも扇風機もない 灼熱のトイレ内。
熱中症になりかけながら、
ひたすら ゴム手袋をした手で 紙やすりを持って、和式トイレの中にこびりついた尿石といわれるものを ゴシゴシ 真っ白になるまで磨き続ける。
あの仕事は つらかった。トイレは白くなったけど ブラックな仕事だと思ったあの日・・・。
ちなみに、管理職が変わった年から その仕事は撤廃され、業者さんに来てもらうようになりました。
(あたりまえだ!)

【定時後から 他の先生のご家庭のご不幸に全員参列】
これも、よくありました。
突然言われることなので、もちろん礼服など持ってきていません。
だから、いったん帰宅して着替えてから学校に戻って、皆で向かう。
いえ、もちろん、一緒に働いている人の心中を考え お気の毒に思う気持ちはありました。でも、ほとんど喋ったこともない先生だったり けっこう遠い場所だったりして、全員参列が当たり前ですから、というのはどうかと。
今の時代には もうないと思いますが。

【土曜日の廃品回収トラック助手席】
年に1,2度ありました。
児童の家から出される新聞紙、雑誌、雑紙、チラシの束。
業者のトラック運転手さんの隣に座って、各家庭や、ゴミステーションを回る仕事。
トラックが停車するたびに降りて、その場で待っている保護者さんが
ぽいぽい投げる束を受け取り、トラックに放り込む。
今の時代はPTAが行っていたり、もうやめていたり。
土曜日がつぶれることと、肉体面が辛くて ブラックだなと思った。

ぱっと思いついたのが これら。

働きながら子育てをすることが珍しくない時代になって
学校以外の職場でも働く環境は 少しずつ良くはなっています。
でも、仕事と育児、家事の両立に苦悩しながら頑張っているママさんたちもたくさんいらっしゃると思います。
もっと、働くママさんと そのママの帰りを待っているお子さんにとって良い社会になっていくことを 心から願っています。





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