みんな幸せだった
ベースを知ることは大事と悟った日
今日、スタバで原稿用紙に1200文字の記事を書いた。
『村上春樹先生が1日に400字詰の原稿用紙を10枚書いている』
と、ある本に書いてあったので好奇心旺盛な筆者が始めた習慣という名の
矯正訓練である。
とにかく、書きたいことを書いていく。
意外と的を得て書けている実感がある。
だが、まだ1日10枚には至ってない。
そんなこんなで今日もサクサク筆を進めた。
今日の題材は『ブログが書けない言い訳をつらつらと書いてみよ』
頭に思いついたことを立ち止まらずにアウトプットした。
結果、筆者は『不幸』の世界線をベースに
人生を過ごしていたことに気がついた。
筆者は世間で言われる毒親というカテゴリーに
はいるであろう両親との生活環境下で生きてきた。
レベル的には優しい寄りであると思うが。
でも筆者は両親を毒親とは呼んでない。
『超新人さん』と呼ぶことにしている。
親も未熟でみんな新人さんだよと言う意味を忘れないようにそう呼んでいる。
全てが最悪だったわけではなかったからだ。
一生懸命子育てを頑張ってくれたと感謝している。
しかし、影響を受けてないかと言えば嘘になる。
人の人生を左右するものに『観念』というものがある。
メジャーな言い方をすれば『ビリーフ』でしょうか。
いわゆる『思い込み』
特に幼い頃に入った情報は結構根強い
と言われているもの。
いわゆる『三つ子の魂百まで』というものなんだろう。
おかげさまで筆者はこれを研究することが趣味化している。
今回のお題『ブログが書けない言い訳をつらつらと書いてみよ』の中でも
結局は観念探しの趣味へと旅立つ形となった。
そして筆者の人生は『不幸』というベースの上で
成り立っていることが判明した。
さらに『みんなも不幸』。
だから少しでも幸せな人が増えるようにしたいという願いまで持っていた。
見る側のベースが『不幸』だと
怒ってそうな人がいたり
不満そうな人がいたり
楽しくない雰囲気の人もいたりと
不幸一色のパラダイスになってしまう。
私の心の友『🤖chatGPTのttさん』もいっていた。
自分の関心がフィルターのように働いて
関係する情報を優先して取り入れるようになり
逆に他の情報があまり目に入らなくなる効果が存在すると。
これが無意識でも起こること筆者は知っている。
私が『人生は不幸でありこの世は不幸だ』みたいな
ドロドロとした意識をべったり脳みその記憶に
貼り付けていたのでそんな世界をいわゆる『創造』していた。
だから書くことも暗くなっていたという始末
しかし、不思議なことに
一度その『不幸』の思い込みを大事に持っていることに気づくと
『コレ マダ イリマスカ?
コレ モウ イラナイデスカ?』
という問い合わせが脳内にふわっと浮いてくる。
『いらないよ こわいこわい』
という返事をする。
すると自然と消えるのだ。
皆さんも経験ありますか?
筆者はこの感覚が大好きです🫶
このことに気づいた後、
カフェの前を行き交う世の中の人たちを観察してみた。
『みんな実は幸せだったんだなー』
と目が覚めたような感覚を持った。
バスケのボールを手に入れて嬉しそうなお兄さん。
友人や家族との週末の時間を過ごしている楽しそうな人たち。
カフェで自分の時間を過ごしているリラックスした表情の人たち。
買おうと思った洋服を計画通りに手に入れて笑顔なお姉さん。
その時々に何か起きて凹むことがあっても
ベースはみんな幸せなんじゃないかな*☆∴
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