キャリアのお話

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2月に入ってからとくにキャリアの話を相談される事が多くなりました。2020年に入ってオリンピックが終わった後の状況を考えてかもしれませんね。
個別案件は個人情報になるので差し控えますが、自分の経験してきた事をベースにアドバイスさせていただいています(押し付けるのは嫌だし、責任も持てませんのであくまで昔話的なところから今の状況を踏まえて)。

 自分が社会人になる1994年はバブルが崩壊して、今までの価値が音を立てて崩れていき、行き場がかぎられるどころか就職口がなく、第二新卒なんて言葉もなかった仕事につけなかったら終わりな世界で価値観がいきなり壊れる経験をしました。自分は専門学校ではいい感じに上位のグループで成功間違いなしって感じに思っていましたが、結果は就職先もなくバイトか公園のベンチを三ヶ月あたためている状態でした涙。
 自分はバブルをまったく経験してなかったけど、社会は夢に溢れているし、自分も夢を実現しなければ意味がないみたいな気持ちから現実の落差の不運を呪いましたが、まあなんとか正社員として運用の会社にはいり、そこから開発の会社に何とかこぎつけました。
 最初の運用の会社は某PHSのネットワークセンターの運用で、運用も24365でしたので、夜インフラの面倒なんかみたくないので、どうにかして早く開発に移りたいともがいていましたが、ある日現場で自分がなれなかった大手SE達が作ったシステムが全く使い物にならず、うん億円がドブに捨てられ、ネットワークセンターの現場の方々が作ったLINUX上の簡単で安いシステムが実用に耐えるさまをみて、希望だったSEって偶像も壊れていきました。

で念願の開発会社に入り、POSの開発からコンシューマー向けの携帯電話の開発にシフトし、ガラパゴスと言われてなかった世界最高峰の日本の携帯電話だったころからチームを率いて、いろいろな協力会社と健全な実力での
仕事を取り合う楽しい時期がありましたが、キャリアの端末の割賦制度の導入とiPhoneやスマフォの台頭で一気に日本の携帯電話は世界最高品質からガラパゴスと呼ばれる存在に転落しました。
また追い打ちでリーマンショックもあり、技術での仕事の取り合いではなく、単なる値下げでの案件の不毛な取り合いになり、部下のリストラをするか競合他社の仕事をとり他社のエンジニアがリストラされるかって感じになりました涙。ここら辺はアスキーの記事にも取り上げられてますのでよかったらw

自分は若い頃からはやる技術やプロダクトの目利きは基本失敗しなかったので、酸っぱい状況は何回もありましたが、2018年までは3年ぐらい先ぐらいの何が技術やプロダクトとして流行るかは外さずにきたのですが、2019年のpay戦争からプロダクト云々ももちろんですが、ユーザー体験へのシフトや日本のIT市場の大きな地殻変動により、2020年からのアフターデジタル戦役では過去の地図や経験が過去ほど有効に働かなくなりました。

こんな中で自分の芯をしっかりもたないといけないわけで、今の芯は前職のボスのsuz-labさんからの、先がわからないときはその瞬間瞬間を自分が正しいと思ってる事を実施しろ・上司が言ってるから間違っててもやるってのだけはやめてくれって話かと思います。
大阪オフィスの立ち上げ責任者の時に採用計画をスズラボさんに出したときに、3ヶ月後にどうなってるかわからないのに三年計画なんて考えても仕方ないと言われ先程の話をやってくれと言われ、結果採用チームが無かったときに30人のエンジニア採用を行い、念願のグランフロントにうつることもできました。

なので正直な話、5年後のキャリアプランとか考えても、どのような地殻変動が起こるかわからないし大切に作り込んだ日常はある日突然壊れます。それよりは今の仕事が自分向きでやりたい事であるのなら、自分がやりましたって対外的にもアピールできる状態も作って(例えばただやったではなく、責任者としてメディアに出てブランディングできるぐらい)、自分の厚みをしっかりと作っていくべきかと思います。

なんか一時期流行った筋肉は裏切らない的な話にも通じそうですが、確たる自分の軸を持ち自分のやる事にきちんとしな納得感を持って実績を積み重ねれば、色々な状況に叩き込まれても何とか生き残れると思います。

以上おっさんの公開独り言でした!

なお本人の詳細は下記に記載してます



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