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「嫌われる勇気」を読んだら留学中の学びが整理された話

〇はじめに

今回もUni.Newsをご覧いただきありがとうございます。​

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■今回の記事の対象

・友人を遊びに誘うのが苦手な人
・自分から好意を伝えられない人
・他人に気を遣いすぎてしまう人
・Uni.Newsの想い


○別れと後悔

留学先の最寄りの空港から羽田に向かう飛行機の中で、私はひどい後悔に襲われていた。どうしてきちんとお別れを言わなかったんだろう。成長したようで、結局何も変わっていないんじゃないかという疑念がもやもやと頭の中を埋め尽くした。

このnoteの目的は「嫌われる勇気」という本の内容を私の留学体験を交えて紹介することである。筆者の個人的な体験が続きますが、ご容赦ください。

突然の帰国だった。私は大学2年生の9月から3年生の6月まで交換留学生として米国に滞在する予定だった。当然9ヶ月という期間を満喫しつくして、やり切った気持ちで帰国しようと日々を過ごしていた。しかし私は帰国を3ヶ月早めることになる。留学先でコロナの流行がいよいよ本格的になり、大学から帰国の指示が出たからだ。両親と大学に相談し、いつ日本に帰れなくなるかわからないと判断して、本当に突然帰国が決まった。

私は留学最後の夜に、現地の友人やお世話になった人たちにお礼とお別れをきちんと言えなかった。

私にとっては帰国は大ニュースで本当に淋しいことなんだけど、彼ら彼女らにとっては別に何でもないことなんじゃないか?突然今から会いたいと言われて迷惑じゃないかな、という思いが湧いてきて、いいや後からメッセージを送るでも何でもできるだろう、と勝手に結論付けてしまったのだ。それが失敗だった。

帰りの飛行機の中で私は信じられないくらい後悔した。もしかしたらこのまま一生会えないかもしれないという可能性を想像もしなかった自分が信じられなかった。携帯が使えない飛行機の中という状態が後悔をより一層ひどくした。そうして今日までの大学生活を振り返りだした。自分は果たして留学で何か変わったのか、何を得たのかを日記に書き出した。(日記だけは機内でも使えたから)

○高校と大学

留学前の私は終始受け身だったように思う。高校まではそれで良かった。受験勉強やら部活やら、やらなければいけないことは常に明確に与えられていて、幸いタスクをこなすのは得意だったから楽しく日々を過ごせた。クラスやら部活やら所属するコミュニティは自ら行動を起こさずとも与えられていたから、自然に友人もできた。


しかし大学に入ると話は違った。クラスなんてものはないし、部活もサークルも学生団体もアルバイト先も候補は星の数ほどあって、自分から情報を集めに行かないと納得の行く結果は得られない。私はこれが苦手だった。今まで自分の意志で行動したことがないツケが回ってきたのだろうか。サークルの新歓に1つ行くだけで信じられないくらい疲れる。原因は分かっていた。知らない人ばかりの環境で、自分が周りにどう思われるかを過剰にするからだ。やっと1つえいやと入会を決めたサークルも馴染めず結局半年くらいで行かなくなった。要するに他人の目を気にしすぎていた。


そして留学がやってくる。

留学中、私は受け身の態度を変えた。というより変えざるを得なかった。当たり前だが留学先で自分のことを知っている人なんて1人もいなかったから、当然何をするにしても自分から声をかけないといけなかった。

相手が自分をどう思うのかなんて関係なかった。1人で部屋にいると淋しすぎて淋しすぎて、留学に来たのに自分は部屋で1人なにをやっているんだという罪悪感に耐えられなくて、とにかく人を誘った。大学のクラブに入って、現地でインターンを始めて、留学生向けのイベントにも寮のパーティーにも全て参加した。日本にいたときには考えられない行動力だった。幸い出会う人に恵まれて、友人もできて、充実した留学生活を送っていたと思う。ちょっとは成長したのかな、と思っていた最後の最後に、別れとお礼を告げるという一番大事な部分で勇気が出なかった。だからより一層ショックだったのだ。


ここでようやく「嫌われる勇気」の紹介に入る。

私がこの本を読んだのは帰国直後で、私の半年間の学びを一言で表す言葉があった。それが「課題の分離」である。課題の分離とは、物凄く簡単に言えば、「私の言動の結果を相手がどう受け止めるかは究極相手の課題であって、私にどうこうすることはできない。同時に、相手の言動を私がどう解釈するかは私の課題であって、他人に任せてよいものではない。」ということだ。これを読んだとき、私は頭の中がスッと整理されるのを感じた。私が留学で学んだのはまさしくこれだった。留学以前の私は、分離ができていなかった。「周囲が私に抱く私の印象」という他者の課題にまで踏み込んで解決しようとしていたのが全ての間違いだった。反対に留学中の私は、無意識に分離ができていた。1つ思い出したことがある。

○カレーと肉じゃが

私が住んでいた大学の寮で、同じフロアの住民同士のパーティーが開かれた。比較的留学生が多いフロアだったことから、自分の文化圏の食べ物を持ち込んで皆で楽しもうということになり、私は日本のカレーを作っていった。(カレーは日本食か?という疑問は当然あるが、本場インドのカレーとは似ても似つかないし、何より私のレパートリーが貧弱すぎて他に選択肢がなかった。)するとこれが大いにウケた。給食に出てくるような鍋いっぱいのカレーは綺麗に完食され、後日レシピまで聞かれた。(こくまろカレーの裏面の日本語の説明を頑張って英訳した)


翌月、同じコンセプトでパーティーが開かれることになった。私は今度は肉じゃがを作ることにした。カレーと似たような材料で自分でも作れそうだったのと、何より日本食っぽいなと思ったのだ。完成した肉じゃがは会心の出来だった。私はウキウキでパーティー会場に乗り込んだ。しかし今度は全くウケなかった。甘じょっぱいおかずが理解できないらしい。あんまり不人気だったものだから、その日から1週間私の夕食は肉じゃがになった。

今思えばこのパーティーで、私は「みんなカレー好きかな?」とか「肉じゃが受け入れられなかったらどうしよう?」とかそんなことは微塵も考えなかった。だってそんなこと、考えても分かるわけなかったから。分からなかったし、何より根本的な文化や味覚が違うという前提を持っていたから、受け入れられないことに対する恐れがなかった。

私が考えていたのは、自分が作れるものを出来るだけ美味しく作って持って行くことだけで、仮にそれが受け入れられなくても(実際肉じゃがは受け入れられなかったわけだが)、それは相手と私の味の好みが違うだけであって、私が凹む理由にも相手を責める理由にもなるわけはないのだ。

料理で考えればこんな当たり前で簡単なことがどうしてコミュニケーションになるとできないのか。留学最後の夜も、相手がどう思うのかなんて考えずにただ、「最後かもしれないから私はあなたに会ってお礼とお別れを伝えたいです」と言えばよかったのだ。肉じゃが投げつければよかったのだ。大事なのは私はあなたに会いたいです、ということを真心込めて伝えることであって、その結果相手が、私も会いたいと思うか、めんどくさいなと思うかは私には知りえないし変えられないことなのだ。

○就活と気遣い

私が就職活動をある程度自分なりに納得いく形で終えられたのは、この学びがあったからだと思う。私は留学以前では考えられないくらい周囲の人を頼りに頼った。模擬面接を友人に頼んだり、OBOG訪問をお願いしてお話を聞かせて頂いたり、いろいろな人に本当にお世話になった。以前だったら、「こんなこと頼んで相手も忙しいのに迷惑じゃないかな?」と考えて、結局1人で就活を乗り切ろうとしただろう。でも、自分に出来る最大限の気遣いと礼儀と配慮を施したのなら、そこから先は私の課題の範疇を超えている。私のオファーを受け取ってくれるかどうかは私にはコントロールできない。もし受け取ってくれたら、最大限の感謝を込めて、反対に自分に出来ることは何かないかを申し出ればそれでよいのだ。

○GIVEとTAKE

同じように他人を誘ったり頼ったり好意を伝えたりするのが苦手な人は案外多いんじゃないんだろうか。結局のところ、私は拒否されて断られて自分が傷つくのが怖いだけだった。相手のことを気遣っているようでその実、気遣いのベクトルは自分を向いていた。相手に迷惑をかけるのが怖いんじゃない。その結果自分が嫌われるのが怖いのだ。他人を頼るというのはtakeの側面が強いように見えて、実はgiveの側面の方が大きいと思う。だって私は誰かに頼られたら嬉しい。誰かに頼られるとき、私はその誰かから、「私はあなたのことを頼りにしています」という信頼のメッセージを受け取っている。(もちろんあからさまにtakeの色合いが強い頼み事も中にはあるけれど)

自分のアクションの結果、相手が喜んでくれるかどうかなんてわからない。だったら、自分が起こしたいと思ったアクションは全て起こしてみようと思う。もしかしたら、そのお誘いの言葉が、好意を伝える言葉と態度が、頼み事をするお願いの言葉が、相手は物凄く嬉しいかもしれないから。そしてその喜びは、自分がアクションを起こさなければ決して生まれなかったものだ。「嫌われる勇気」はそんな学びを与えてくれた。興味がある人はぜひ読んでみてください。ちょっとだけ自己本位の生き方に近づける気がします。


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