トルコ_2018-02_⑤イスタンブル編(再掲)
※2020年頃に思い出しながら書いたものの再掲
7日目 ━バスでしなびた私とイスタンブル
試練つづく
7日目はアンカラからイスタンブルへの大移動の日
前の日からなぜか気持ちが落ち込んでしょぼくれていたのに加え、この日は風向きが悪かったのかイスタンブルに入るときに排ガスやら工場の煙やらをメタメタに浴びてしまい、どんよりとした吐き気と頭痛も加わった状態でのイスタンブル入り
車の通りが少ない場所を歩くうちに若干持ち直し翌日はなんとか元気になったものの飛行機でまた調子を崩し、帰国数日後まで全快せず
でもそれでもイスタンブルはよかった
今回も写真あまり撮れず
王道はしっかり押さえようと、とりあえずトプカプ宮殿、ブルーモスクことスルタン・アフメット・ジャーミー、オベリスク、グランドバザールへ
頼みの綱、エジプシャンバザールは工事中だったので行けず。しかし前回の反省をいかし買い物は全てカッパドキアで済ませていたので問題なし
ただ、トゥズ湖が怖すぎて「手を伸ばしてこないだけグランドバザールの人々は優しい」と思えるようになり、綺麗なものを見つけたら店主さんに話しかけてみたりできた。少し成長
でもこの油断のせいで約半年後にしんどい思いをすることになる。世界は楽しくもあり怖くもある
そういえばSNSで有名な人の垂れ幕がかかっていた
青坊主
モスクでスカーフをかぶってから、何だか何となくそのまま一日中スカーフをかぶり続けていた。青坊主
なぜかとても落ち着くというか快適というか、よかった
ブルーモスクのブルー坊主
ホテルはHilton Istanbul
タクシム広場にほど近く交通の便もよく、ひたすら安心&快適
前回、イスタンブルのホテルでダブルブッキングのため10万円相当のプレジデンタルスィート送りにされこれは一生ないことだありがたいとなったけど今回も似たようなことになった。まじかよイスタンブル
ボスポラスを一望できる最上階のプレミアムラウンジを通り抜けないと部屋(でけえ)にたどり着けないのがつらい。富豪オーラ漂う方々がラウンジで思い思いに過ごしていて気まずい。私だけなんかちがう
美味しすぎて絶望するという経験
ラウンジを通りたくないので部屋でぼんやりボスポラスを眺めていたものの、夕方ついに空腹に負け外に出た。
私は里に降りてきたタヌキだからみんな気にしないし見えない、と自分に言い聞かせてすすすとラウンジを抜け外に出ると今にも夜
翌日はメトロであちこち移動するつもりだったのでタクシム駅の場所を確認し、タクシム広場を抜けてイスティクラル通りを歩き、路上でギターやアコーディオンを演奏する人に拍手したりしているうちにかなり暗くなっていたので、さっさと何か食べようとタクシム広場のすぐ近くのイスラクバルガル(通称ぬれバーガー)屋さんに入った
ドネルケバブやドンドルマと違い店員さんが無愛想で落ち着いた
お値段3リラ(当時で60円くらい。2023年現在は21円とか……?為替だけ見れば。。)とお安い感じで軽い気持ちで食べたのに、このイスラクバルガル、予想をはるかに超える大変な美味しさ
その場でふたつめを食べて翌朝も食べた。流石に店員さんに笑われた
ふつうのパンをトマト風味の謎の旨味溢れる汁でしとしとにして間にうすいハンバーグを挟んだものにマヨネーズみたいな白い何かをちょっとだけつけただけのものが、アゴが痛くなるくらい美味しい
日本で食べられる場所を知らないのでとても困っている。食べられなくてつらいのでできれば思い出したくない
8日目 ━自分で歩くイスタンブル
うろうろ
最終日はトルコ版パスモ、イスタンブルカードを駆使してメトロで徘徊
システムや地理は知識として知っていたものの何かと怖がりなので乗るまでは心配。でも乗ったら意外といけた
タクシム広場の地下、タクシム駅から世界一短い地下鉄に乗ってカバタシ駅へ行き、そこからトラムに乗り換えればほとんどの観光地に行ける
順番に主要な駅だけあげても、
カラキョイ駅からガラタ橋
エニノミュ駅からエジプシャンバザール
ギュルハネ駅から博物館
スルタンアフメット駅からスルタン・アフメット・ジャーミーやアヤソフィア
ベヤズット…なんとか駅からグランドバザール
トプカプ駅からトプカプ宮殿
など。でもアヤソフィアが好きすぎてなかなか出られず(いくらでもいられる)ほとんどの時間をそこで過ごした。
タクシムに戻ってからは再びイスラクバルガルを食べ(4つ目)、異国スタバも経験し良い最終日を過ごせた
空港に向かう道中は寂しさもありどんどん体調が悪くなった…
9日目 ━ありがとう京成線
そんなに語れるほど飛行機に乗ったことはないものの、飛行機はめちゃくちゃに疲れる
単純な移動時間の長さや席の狭さでの身体への負担、ミスのできない手続きが続くことやめったに事故が起こらないとはいえ起きたら絶対死ぬということによる心への負担(私だけかもしれない)などで本当に疲れる
なので、成田からお世話になる京成線は本当に泣くほど安心する
飛行機であまり眠れなかった分すごく寝た
帰ってからのこと ━ただ楽しむのもとてもいい
2年ぶりのトルコは、観光客の激増が本当に嬉しかった
中国の春節の時期だったこともあって「ニイハオ!」「ハッピーニューイヤー!」とたくさん言われた。ちょっと違うけど嬉しい
人が写ってしまいそうで写真撮りづらい! と感じつつも、一昨年の寂しい様子を思うとただ嬉しかった
都市部の幕や看板のメッセージ、ホテルで流れるニュース、商人さんのちょっとした言葉からも依然としてトルコの穏やかでない一面は感じた
でもトルコの人々は元気いっぱいで、相変わらずどこを向いても素敵な場所で、素直に楽しめた
2023年追記
少しテンション変わりますが。。
Covid19のこと、ロシアのこと、大統領のこと、そして地震。
好きな国だからというのに加えずっと金融関係の仕事をしていたので通貨関係でもトルコを見ていましたが、こんな言葉でまとめてしまうのは不誠実かもしれないけど、トルコではここ数年本当に大変だったと思います。
クーデター未遂の後もとても元気だった観光地のトルコの人たちのことをトルコの大変なニュースを見るたびに思い出します。
いつも元気なのは国民性なのかな、と思っていたこともあるのですが、今になって思うとそれは「そうありたい」という強い意思に基づいていた、という解釈の方がしっくりきます。
(元気な方が多いというのも本当でしょうが、そうであったとしても大変な時に元気でいるというのはとんでもなく大変なことですし、、私はこれがなかなかできず苦労しています)
でも、大変だけどその大変さに飲まれたくはない。
2018年のトルコの人たちからはそんな思いを感じました。
世界が完璧になる瞬間は訪れないと思っています。
たくさんの悲しみを経験しながら少しずつ変化して、その中でまた新しい価値観が生まれてまた悲しみが生まれ、変化する、でもそんな永遠の追いかけっこの中で誰もが「私たちはもっとよくなれる」と願っている、、
世界はこれまでもこれからもそういう感じなんじゃないのかな、と思っています。
そんな風に世界は変化を前提としていると思っているから、最近は「どうありたいか」という意思を強く持って振る舞う人たちのことがとても眩しく見えます。
そういう人たちが自然に楽にありたい振る舞いをすることができる、そんな世界に近づいて欲しいなと願っています。
先に挙げた「大変なこと」に対して、少しでも力になれることがあるのならして、また近いうちにトルコに行きたいです。
その時こそ、もっとしっかりイスタンブルの写真を撮りたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?