トルコ_2016-03(再掲)
※2020年頃に思い出しながら書いたものの再掲
海外旅行はいつも家族で行っていたものの学生になってからはなかなか予定が合わず1人で行くように
だいたいひとり旅である理由は1人が好きだとかそんなかっこいい理由ではなく、そこまで得意でない外国語を使っているところを見られるのが嫌だったから。よくない恥じらい。あとは国の好みが仲のいい人とあまり合わなかったというのも
そこまでアクティブでもなく路地裏に行ってみるみたいなことをするタイプでもなく警戒心も強いため現地の方との会話も最低限、できる限り手間を抑えて安全は金で買うつもりで、というスタイルなのでやや地味
行くまでのこと ━漠然と悩む年頃
2016年はISも活発で各地でテロが頻発していた時期。トルコではクルド系のテロ組織も活発
出発直前、滞在中、帰国直後にそれぞれ日本でも報道されるテロがある
この頃はいろいろと日常生活が上手くいかず。。しかし具体的に何があったということはなく「漠然と何をやっても満足できない」のような感覚
余裕のある時期の学生だったので悩まなくてもいいことを悩んで楽しんでいたところもあったのかと思う。そんな年頃
とにかく物理的に今いる場所から離れることが必要だったので、フラフラと諸々の予約をし、楽しみと不安入り混じる気持ちで出発日を待っていた
1日目 ━さみしい夜の成田
成田でさみしさに浸る
にっちもさっちもいかないので高飛びでストレスをリセットするときはどうにもならないつらさや漠然としたさみしさにあえてどっぷり浸かった方が私の場合は効くので、成田では夜の便を待ちながらひたすら何かを悲しんでいた
でも飛んでいく飛行機や個性豊かな世界の航空会社のロゴマークを眺めるのはとても楽しかった
ターキッシュエアラインズ×映画
トルコに行くにはドバイを経由するエミレーツ航空やアブダビを経由するエティハド航空など様々にルートがある。今回はターキッシュエアラインズ。直行便
座ってすぐにトルコのお菓子ロクムが貰えたので歓喜。しかもかなりおいしい。機内食もおいしい。機内食なのに
映画「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」とコラボしている時期だったので、アメニティが特別仕様だったりCMがたくさん流れたり賑やか
しかしそのときはちょうど、敬愛するリドリー・スコット監督の最新作、マッド・デイモン主演の「オデッセイ」が上映されていたので往復で5回くらい観た(狂気)
2日目 ━カッパドキアの岩と砂
アタテュルク空港
映画で静かに大興奮し機内食も完食を繰り返しトルコの地酒ラクまで飲み窓側のひとりプラネタリウムを楽しみろくに眠らなかったので、現地時間の夜明け前、イスタンブルの今はなきアタテュルク空港に着いたときには頭がぼやぼや
入国審査はなぜかとてもテンションが高く「写真より可愛くて疑っちゃったよ」「滞在目的は? 滞在日数は? 1番好きな国は?(絶対にトルコと答えるしかない雰囲気)」などなど気の抜ける質問多々
そのまま空港の外には出ずに国内線でネヴシェヒル(カッパドキア)に飛ぶ予定だったものの、売店はまだ開いていない時間に3時間待機予定で無防備に寝るのもなんだかなあという気分だったので頑張って目を開けてじっと遠くを見ていた
お店が開く時間になったら少しお腹が空いていたので空港内のバーガーキングへ。おいしかった
親切な老夫婦
ネヴシェヒルまでの飛行機はさっきまでの飛行機に比べると小さくよく揺れる。こわい
びびり散らかしていると隣のトルコ人の老夫婦が励ましてくれたりデザートのヨーグルトを譲ってくれたりした。「海外では日本人は子供に見られる」とはよく聞くものの、子供の頃から大人っぽい顔と言われ続け大人になったら年相応になったので子供のように扱われるのが随分久しぶりで少し和む。
カッパドキアの奇妙な岩と隠れた信仰
ネヴシェヒルの空港から車で1時間としばらくすると不思議な形の岩が見え始める
「キノコ岩」は本当にキノコ
「ラクダ岩」は本当にラクダ
本当にただのシメジとヒトコブラクダ。普通のラクダもその辺を何の疑問もなく歩いている
ギョレメ野外博物館では、そんな奇妙な岩を見渡したり中に入ったりすることができる。たまに断崖絶壁があり、こわい
カッパドキアにはキリスト教徒がムスリムからの弾圧を受けていた4世紀ごろの遺跡が数多くある
このギョレメ野外博物館には、キリスト教徒たちが密かに信仰を続けるために作った洞窟教会がある。中はとても鮮やかなフレスコ画で彩られており、洞窟を掘って作った教会であるのにもかかわらず、建築も伝統的な様式に沿ってなされているとのこと
少し離れたところにキリスト教徒たちの住んでいたカイマクルという地下都市がある。ここはまるでアリの巣のように複雑で、観光用ルートをうっかり外れたら死ぬのではないかと思う。快適な暮らしのための工夫はもちろん侵入者用の罠もたくさんあるとのことで、狭さも手伝ってかなり緊張するひとときを過ごすことに
優しい街カッパドキア
カッパドキアには最近日本語も扱う大学ができたそうで、若い人も日本語を試すために話しかけてくれる。押しが強い商人がいるのは全国共通ではあるものの、ちょっと困っていると学生さんがさりげなく助けてくれたりしてありがたい
お土産物や食べ物もイスタンブルに比べると安く、便利で居心地もよい
若干古いものの日本のお笑いに詳しいトルコアイス屋さんも。ちょっと疲れるが楽しい
到着時間も遅かったので、寝て起きて朝食バイキングを食べて終わり…のつもりがスタッフさんがボブ・サゲット(フルハウスのダニーパパを演じているコメディアン)に激似でとても印象に残る
3日目 ━旅の跡とコンヤの街
キャラバンサライのアザン
キャラバンサライとは隊商宿のこと。みためは大きな要塞でしたが中はとても静かで日陰はとても冷たい不思議な場所
ここで初めてモスクから響く祈りの時間の合図、アザンを聞くことができたのでとても思い入れがある
イスラム色の強い街コンヤ
3日目はバスにゆられコンヤへ
コンヤはイスラム神秘主義メヴラーナとつながりが深い地域で、宗教色が強い地域と言われる。確かに気持ち伝統的な雰囲気が漂う落ち着いた街
インジェ・ミナーレ博物館はセルジューク時代の神学校で、当時の紋章の双頭の鷲、門の彫刻や天井のモザイクがとても綺麗
空の綺麗な土地
アフヨンに向かう途中の空がすごく綺麗で「あ、夜が降りてきたなあ」とか考えていた。寝不足のため詩人になっていた
このあたりの地域はいつ来ても空はすごく綺麗
4日目にパムッカレに行く予定なので、中間地点に宿泊
ここは地元民の多いリゾートホテルで、もともと行く予定だったホテルが極秘軍事演習により使えなくなった(トルコすごい)のでこちらへ
地元民の多いリゾートホテルで、スタッフさんに英語が通じない。最初は自分の英語力のなさのせいかと自信をなくしていたものの他の外国人に「本当に通じない」と教えてもらいかなり元気が出た
特にトラブルもなく、ごはんはいちばん美味しかった
吹き抜け部分がずっと虹色に光るゲーミング仕様(当時はラブホだラブホだと愉快な気持ちになりました)だったり夜中まで地元のおばさまの話し声が響いていたり、お互い言葉がわからない後ろめたさを笑顔でカバーしてみたり、いろいろとおおらかで逆に安らげた
4日目 ━ローマだった場所
ローマは滅びない
アフロディシアスはまさにローマ。映画「ベン・ハー」を思わせる巨大な競技場、そして音楽堂など一式揃っている
壮大すぎて口が開く。まさに言葉がいらない、といった感じ(そういう言い方に逃げる癖をなおしたい)
遺跡としても、保存状態がよく修理なども含めて人の手もあまり加えられていない良好なものであるとのこと。実際、2019年に新しく世界遺産に登録されたそう
あまりにもぬるぬるすぎたパムッカレ
天気は微妙だったものの、石灰で真っ白な岩にふわふわと広がる青色の温泉は美しいの一言
しかもこれに入ってもいいということだったのでもう大はしゃぎ
しかし思ったより断崖絶壁。どう考えても落ちたら終わり
そしてぬるぬるすぎ。そういうコントみたいに1人でずっとつんつるつんつるして結局転んだ。
脱いで手に持っていた靴だけは守ったものの、知らない子供に言い逃れできないほど明確かつ綺麗にピシッと指をさされた状態で容赦無く笑われ傷つく
悲しくて美しいヒエラポリス
観光地としてはパムッカレが抜群に目立つものの、振り向くとすぐにヒエラポリスの遺跡が見える
ここにも状態のいい遺跡があったり水に沈んだ遺跡をそのままプールにした場所があったりとても美しいものの、どこか寂しい雰囲気が漂っていた
といっても飛び抜けた悲しいいわれのようなものはなく、こんなに切なくなったのは最終日前日の夕方に行ったからだと思われる
今はそこまでではないもののかつては人をも死に至らしめる猛毒が出ていて、冥界の王の国につながっていると信じられていたという話も(でも立入禁止区域にはなっている)
テロ
しばらく車で移動しデニズリからは飛行機に乗り夜遅くにイスタンブルに到着するところ、まあまあの規模のテロが起こる
巻き込まれると一言で言っても、爆発に巻き込まれ命を落とす、爆風を受け怪我をする、光を目にする、決死の覚悟で事に臨む誰かとすれ違う、同じ国の中で凄惨な事件が起きた事を知る、など、遠くの国の人には誰がどういう形でそれに巻き込まれたかは知りようがなく地理もわからない状況なので、すぐにWi-fiをつなぎ各所に無事を伝えた
古い高級マンションを改装したというホテルで、棟内の移動が若干面倒ではあるものの全体的に落ち着いていて上品な雰囲気
ここでダブルブッキングによりプレジデンタルスィートルーム送りにされる。ベッドはキングサイズ、バスルームとシャワールームは別々、トイレは2つ、書斎風の小部屋付き、広すぎて戸締りもままならない、普通に泊まれば10万円とされる部屋。いつか自力でも来てみたい
5日目 ━世界のイスタンブル
できることぜんぶやる
いよいよ世界のイスタンブルを観光。そうは言っても次いつ来られるかわからないと思わされる情勢であったため、1つたりともミスをせず1ミリたりとも取りこぼさないよう超優秀ガイドさんについてもらう(ルート、移動、解説、通訳、全て)
なのに圧倒されっぱなしで写真はかなり少なめ、メモもほぼなし。行けばわかると言い張りたい
スルタン・アフメット・ジャーミー
いわゆるブルーモスク
素人のiPhone6なのにこんなに綺麗に写っていただく。本当に深くお礼申し上げたい
アヤ・ソフィアでの誰よりも贅沢な時間
一周回って見るところを全部見たらしばらくだらけようと決める
当時はバルコニーに入れたのでそこでしばらく遠くを眺める。トルコには大量にねこがいるため横を通られてびっくりすることはあるもののそれ以外は本当に何も考えず過ごす
外国に来てプリングルスを食べたり旅行先でゴロゴロしたり、悪癖だと思ってもいるものの悪くないとも思う。贅沢
それでも、ムスリムに塗られたキリストの顔を見たり教会でもありモスクでもあるような(2016年時点では博物館とされる)不思議な雰囲気を、具体的な特徴を見ながら観察
宮殿へ
トプカプ宮殿は宮殿はもちろん景色がとにかくいい(なぜか景色がいいと話題になっているアングルからの写真は撮り損ねている)
アヤ・ソフィアで物思いにふけり少し重たくなった心には最高
しかしさすがのトプカプ宮殿。こちらも歴史を感じられるものが山ほど。中でも、預言者ムハンマドのひげがあるとされる預言者の間は、厳かな雰囲気で満ちていた。預言者その人の存在感、そして私はムスリムの真摯な信仰を感じた。
自分の生まれとやりたいことと照らして
宗教学を勉強しても2000年代を生きる私には文字通り「神を信じる」ということが難しく、それが信仰を持つ人への理解の妨げになるのではないかということが長らくの悩みだった
が、いろいろな国や地域で真摯に神を思う人々に触れ、守るべきは「神を信じる人」そして「信じる人の中に実在する神」なのではないか、という考え方が固まってきた
預言者の間で観光客たちとは少し違う眼差しで何かを見ている人や弦楽器のようなコーランの詠唱の声もそう思うに至った大きなきっかけのひとつ
エジプシャンバザールへ
グランドバザールは外国での交流が苦手な私の関門(ならなぜ海外に行く)
ランプや香水瓶のお店は綺麗。しかし写真禁止。また顔が写り込んでしまうことも気になり結局写真は1枚のみ
この唯一の写真は「肖像権配慮ショット」と呼んでいる奇跡の写真。みんな後ろを向いていて、唯一こっちを向いている人も顔が隠れている。バザールの華やかな雰囲気もわかる。SNS時代も安心
シンプルにとても広いので迷う怖さもあり。しかしさすがに行かないわけにはいかない、と行ってみたら思っていたほど怖くはなく、堂々としていればなんてことはない
しかし気が弱いのがバレると終わり。曰く日本人は少し微笑んでいるから見分けやすいようで、少しマイナーな日本語や日本語のオヤジギャグに反応して目線が動くと捕まる。私は「よりどりみどりキミドリ五月みどり!!」でやられる
トルコの商人がもうトルコ語も英語も日本語も中国語も韓国語も多分他の言語も話せてしまうので言葉がわからないふりも通用せず
値切りも苦手で、どうしても欲しいけど相当高いものに限り3回くらいで折れていた
エジプシャンバザールはグランドバザールに比べると日常の買い物客も多く、若干生きやすい
しかし、小さいという意味で「シシャモサイズ」と言われたりプロポーズされたり、ノリの良さと押しの強さはある
今後は欲しいものはカッパドキアの方で買っておこうと心に決める
お別れの夜
夕飯に名物のサバサンドを食べる。しかしマジでパンにサバをブチ混んだだけのやつだったので骨が厳しく現実のつらさを知る
たった数日しかおらずろくに人とも関わらず淡々と旅行していただけなのに夜のイスタンブルは悲しくて、トルコを離れたくなくて泣く
直行便でも十数時間、航空券だって安くはない、その距離が悲しくて泣く
ガイドさんの「大切なのは心の距離。いつも待ってる」という言葉に泣く
何が起こるかわからない、今日と同じ明日が来るなんてわからない、一度離れた場所が同じ姿で待っていてくれることなんて、人間がいていとなみを続ける以上、ありえない。そんな思いが溢れて泣く
でも2年後に普通にまた行ったのでそう泣く必要はなかったと思う
帰ってきてからのこと ━ベドウィンの教え
それらしい理由のない漠然とした悩みはかなり晴れた
いざとなればここではない世界がある、と再確認できたことも大きな理由。しかし、以下の話を思い出し少し納得する
(誰からいつ何語で聞いたのかを忘れてしまったので、ご存知の方がいらっしゃったら詳細を教えて欲しいです。。)
ベドウィンが感じていた淀みと私の漠然とした悩みはもしかしたら同じものだったかもしれないし違うかもしれないが、この話を知ってから理由のないつらさや苦しさを処理することができるようになった
今はコロナで遠出ができず私も淀みがいっぱいに溜まっている気がする。周りにも苦しんでいる人が大勢いる
しかしこのわけのわからないモヤモヤに「淀み」と名をつけ正体を見破った気持ちになれば、遠出は難しいにしても少しのお散歩でやっつけられる気がしている
旅行ができない鬱憤晴らしに旅行記を書いて、ちょっと何かなんとかできそうな気分になったので、これが私以外の誰かの役にも立てばいいなあ、と思いつつ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?