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Story of My Life 〜 教育者としての原点〜

一教員だったころは、経営の「け」の字すら、わかっていなかった

教員採用試験に合格したときは
いつまで教師をやるとか
そんなことこれっぽっちも考えていなかったし

初任のときの学年主任の先生が
「教員は退職まで働いたら2億になるんだよ」と
当時言っててすごいなそれって思ってた

まさか途中で退職して2億もらえなくなるとは思わなかった(笑)

まさか民間の教育関係の仕事をするとも思わなかった

まさか授業とかこどもたちのことだけじゃなく
経営まで考えるようになるとも思わなかった


でも

わかってたのは


多分


人生かけて

子どもたちとむきあう仕事をするだろうなってこと。


教員を志した理由


学校の先生になる

と決めたのは7歳のとき


よくある「当時の先生に影響されて」が理由


7歳のわたしは
友達に「さよなら」を告げることもできず転校した


家庭の事情で
新しい住処が見つかるまで
かくれるように身を寄せさせてもらった場所で

小さい頃のわたしは恐怖心と不安とに怯えながらその日々を過ごしていた

それが数日だったのか何週間だったのかは

事実は定かではないけれど

7歳のわたしにはとてつもなく長く思えて
とてつもなく真っ暗に感じていた

夜 真っ暗な田舎道が

余計にそんな演出を色濃く残したのかもしれない、と思う


母が探してきたあたらしい住処は
ぼろいアパートだった



転校先で、担任の先生らしき女の人と

初めて会った時

その人がかけてくれた言葉は

教員採用試験の面接でも

願書にも

そのことを言ったり書いたりするぐらい

わたしの中では大きい言葉だった


それは特別でもなんでもない言葉


だいじょうぶだよ


なにも心配しなくていいからね


文字にするとなんてことない


ありきたりの言葉。


でも

その言葉が

わたしの人生のターニングポイントのひとつとなった


真っ暗にかんじていた世界に

パアッとあかりを灯してくれた言葉


あの感覚は

いまでも鮮明に覚えている


そして

たぶんその時に決めた気がする



教師になる、って。


わたしもこんな風に

こどもたちの心にあかりを灯す教師になろうって。



7歳が(笑)


多分その瞬間

その気持ちが芽吹いて

日々

時間をかけて

そう決めた(花ひらいた)のでした


父と母とわたし


きょうは

7歳の時に離れてそれきり

2度と会うことのなかった父の命日


そして「母の日」でもある


人の子である以上

だれかが父で

だれかが母であるのだろうけど


小さい頃のわたしは

いや

ずいぶん大きくなるまで

「自分自身」とはなんなのか

ということに

たしかなものがなかった


きっと

だれもが何かをかかえて生きているだろうに

そういった自分のルーツに不安をおぼえていたわたしは

自分をかわいそうなひとだと思っていた


それなのに

周りにはそう見られたくなくて

平気で「お父さんがいる」と嘯いていた


(だから、社会的変化があるとはいえ、こどもたちが「うちは離婚してる」とか「シングルマザーだから」とか堂々と言うのを見聞きすると、当時の自分とくらべて「すっごいなあ」と思ってしまう)


嘘には嘘が重なるもので

だんだん自分がなにものかすらわからなくなる

そんな風になっていってたんだな、と思う


あまりにも省略しているので

なんのこっちゃわからないと思うけれど

まあとにかく

母子家庭で「母に迷惑をかけないように」「母を楽させようと」

真面目に勉学をがんばった


父には

2度と会えなかった

50代で亡くなった父が

わたしと離れてからも

約20年

小さい頃の娘の写真を

財布にいれていたことを知った


お線香をあげにいって

その写真を見せてもらった

すりきれていて

娘の顔はぼやっとしていたけれど。


私が聞かされていた父像や

私が最後に見たあのときの父の姿は

そこにはなく

わたしは

お父さんに愛されていたのだと知った


こどものときの気持ちのままで


多分、だが

わたしは小さい頃から

感じていた

自分のどまんなかは

いまだに

どまんなかにある



もちろん

これまで歩いてきた道の中で


自分を大きく見せたり

言葉や態度で着飾ったり

誰かを傷つけたり

自分を傷つけたり


そんなこともあったと思う


だから

人生きれいなことばかりではない


でも

いま

私がどまんなかのこころを

こどもんときの感受性豊かなままで

生きていられるのは


やっぱり

父や母、家族、出会ってきたひとたちのおかげなんだろうと思う。


父の命日、そして「母の日」に

書きたくなったから。


ありがとう



そこにはその人だけのストーリーがある


わたしがわたしだから

いまの活動につながるのだと思うし

こどもたちに何かを届け続けるのだと思う


なぜシリウスをはじめたのか

よく問われるけれど


それはやっぱり

「わたしと夫だから」

という答えが一番しっくりくるんじゃないかな



わたしの原点は

このnoteに書いた


こういうわたしだから

いまのわたしがいる。



詳しく説明する必要は今のところないし

ちょっと長くなりそうで面倒くさそうだから

ここまでにします。


その人がなぜ

それをやっているのか

をわたしはよく聞く。


それは

その人がストーリーをもっているから。


それを聴くのが好き。


そうして

その人のストーリーを聴くことで

自分のストーリーをたいせつに抱きしめることができるからかもしれない。



いただいたサポートは、こどもたちへの学びの扉渡しに還元してまいります⁂