見出し画像

Story of My Life〜なぜ無償にこだわるのか〜


その人のたいせつにすることや主張、活動など、目に見えるものには

必ず、背景があって
ストーリーがある

あの人の、あのこだわりは、どこから来るか。

本人もわかってない場合もあるけれど、
その人自身の育ってきた環境や
経験してきた出来事に紐づくことが多い。


私のこだわり


わたしにとっての《教育分野》でのこだわりは

《教育とは公であること》


つまり


無償であること》


フリースクールを始めたとき
家庭から会費をあつめている場が多いことに
びっくりした。

当時、某団体の調査では

フリースクールの会費は

月額33,000円が全国平均値と言われた。


私の認識としては

「たっかいな〜」


なぜ学校があわないということだけで

居場所を見つけ

学ぶ機会を得ようとするときに

お金がべらぼーにかかんないといけないのか。


団体運営側としては致し方ないのだけれど(家賃・光熱費・人件費・教材費など、「ひと」「もの」「こと」にお金が必要だから)

自分が家庭の立場だったらと想像すると

いや〜、学校に行けないのに、学ぶことはしたいのに、なんでこんなにお金が必要になってくるんだろうと思ってしまう。

(私立行こう・インターナショナルスクール行こうと、選択肢としてお金をかけることを選んでいるという意味は別として)


学校に通っていたら

無償なわけで

学校がたまたまあわないだけで

行政提供の教育支援センターもあわないだけなのに

なんでお金がかかってしまうんだろう。


そんな疑問をずっと持ち続けているから

リアルの部でも「来ただけ方式」を取っているし

オンラインの部にいたっては

「無償」の道をずっと模索し実現しようとしている。


なぜ無償にこだわるか


理由は、たったひとつ。

自分自身が、子どもの頃、経済的に厳しい家庭だったから。


母が看護師をしながら、3兄妹を育ててくれた。

末っ子で育った私は、年の離れた兄にも姉にも、陰日向となってもらい、大きくなったと思う。母にしてもらったことは、言うまでもなく。

父と離れ、古びたアパート2Kに引っ越してからの数年は、ちょっと苦しかったなあと振り返って思う。

それでも、部活をやらせてもらったし、姉が高校卒業後働いてくれて、私は中3から塾にも通わせてもらった。

こうして書くと、私はずいぶんいろいろなことを家族にしてもらったのだ。書きながら涙が出そうになる。

高校では、奨学金をいただいたり、高校の先輩が開いてくれる無料の塾のようなものにも行かせてもらったり、大学も受験させてもらった。

高校の先生も、家庭の事情を気にしてくれて、いつも声をかけてくれたのをよく覚えている。

「お母さんは元気か?」って、ことあるごとに聞いてくださった。


大学に行かせてもらえること自体、ありがたいこと。

当時の私なりに、金銭面のことを考えて、国立しか選択肢には入れていなかった。今振り返ると、落ちたらどうするつもりだったのだろうか・・・思い出せない。

もしかしたら、ただ気合いだけで、絶対に受かる!としか思っていなかったのかも。

私立の大学に行くお金の余裕なんて絶対になかったし、浪人することだって絶対にできないとは思っていた。

だから、センター試験後(今で言う「大学入学共通テスト」)、点数次第でどうするかを担任の先生に相談し、推薦を受けられる学部・学科への受験を決めた。担任の先生は、県外の大学もこれならいけるよと言ってくれたけど、絶対に合格安全圏のほうを選んだ。県外にいくと、一人暮らしでまたお金がかかるといったことも頭の片隅にあった。


大学に合格して、入学金や入学準備はお金を借りてなんとかし、授業料免除や育英会の奨学金を1種と2種両方借りることで、なんとか大学に通い、卒業することができた。

その奨学金も、ようやく去年返還を終えた。


とまあ、こんな感じで、「お金」と「教育」については、いろんなことを感じながら生きてきたので、「教育」が「お金」のあるなしで、選択肢が狭められるのはいやだし、そんな世界はつくりたくないという気持ちが強い。


教育は無償であってほしい

というのは、小さい頃の自分を思うからだ。


無償の道を模索するのは、自分のためでもあるのだ。


全員いっしょの環境にしましょうと言っているのではなく、さまざまな選択肢が「お金」という理由で諦めざるをえない子を生み出したくない、という気持ちがある。


どの子にも、学びの機会や人とのつながりの場という選択肢をあたりまえに持てるように


学校があわない子たちのなかにも、シングルの家庭や経済的に厳しい家庭もある。シリウスという場があると知っても「お金がかかるんでしょう」と漏らしたお母さんがいることを知って、胸がいたかった。


学校があわない

そのことで「家族に経済的に迷惑をかける」と
胸をいためている少女にも出会った。


私にできることは

フリースクールにはお金がかかる、といった概念をうちやぶること。


民間はお金がかかってあたりまえって思ってることや

そんなことできない、無理でしょって
これまでの人が思ってることに挑み続けること。


そして

本来、どの家庭も税金をおさめ、その税金から教育を受ける権利を場として受け取れるわけだから、経済的に厳しい家庭だけでなく、学校があわない子どもたちどの子にとっても、無償でシリウスの場を提供できるようにしたい。


そんな動きの中で

もし

公(学校や自治体)が学校があわないこたちのための場や学びの場を、公設民営校内フリースクールオンライン支援等で、無償であたたかい学びの場をつくってくれるならば、


私の役目は終わるかなと思っている。


いただいたサポートは、こどもたちへの学びの扉渡しに還元してまいります⁂