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Story of My Life〜国境なき教師として、こどもの前に存在したい〜


教員になると小2で決めて

11年続けた教職を「一旦やめる」と決めたのが

ちょうど10年前


この記事を書き始めて気づいた!



校長せんせに

「休職扱いでタンザニア行くんじゃだめなの」と言われ

「これじゃだめかい」と南極調査団のちらしをピラリと見せられ 笑

ありがたいことにひきとめの数多くの言葉をもらった


それでも

私は「やめる」と決めた

「絶対に教育界に恩返しするから」って決めてた

(今思うと恩返しってなんじゃとも思うっちゃ思うが)



あっという間に10年経ったが

退職するときに送別会で話した

「国境なき教師になります」

これは、今でも、私の中で真剣な話で、

たいせつにしていることなので、綴っておこうと思う。


***



こどもに伝える仕事


つまり教職というものは

「在りかた」をみせる存在だと思っている。



その伝える相手である子どもたちに

「線引き」や「枠」なんてものはないと思う。


だから

「〇〇のこどもたちを幸せにする

とかっていう〇〇は


地名でも場所でも

ある限定したものは絶対におかないのが

本物の教師だと思う。


もし

〇〇に何かを当てはめるとすれば

目の前の」のはずであり

すべての」ではないだろうか。


タンザニアで出会った子も

福岡や熊本や岩手や群馬で出会った子も

そして

地域しばらず

オンラインで現在つながり合ってる子どもたちも

みな素敵で素晴らしい

それぞれ目の奥にはきらきらしたもの

しっかりある。


学校の
とか

フリースクール
とか

そんな枠すら私の中にはない。


すべての子どもたちのしあわせを見つめるのが大前提

だと思っている。


県や市町村っていうところが

枠こえらんないのなら

超えていこうとするひとがやるしかないじゃない

ちっさいこといってる場合じゃないじゃない


と思い

無償の民間教育の継続を模索し続けているのだ。


国境も

もろもろの枠も

そんなところを軽やかに超えていきたいと


そう思う。

いただいたサポートは、こどもたちへの学びの扉渡しに還元してまいります⁂