誰からも欲しがられない妖精の子

ひとつ目の巨人が世界を支配していた頃、荒れ野に妖精がひとりで暮らしていました。

巨人は戦争が好きで、大地は常に燃えさかっていましたので、妖精の住む草原の丘は、もうほんのわずかしか残っていませんでした。

そんななか、虹色の羽を持つ美しい妖精だけが巨人の庇護をうけ、とりどりの花が咲き乱れる庭に囲われていました。

巨人は戦争を愛するのと同じくらい、美しいものを愛したので、妖精のために広大な庭をつくり、世界中から持ち帰った花々で埋め尽くしたのです。

そこは花を食料とする妖精族にとって理想的な環境でした。ですから巨人の庭に招かれることは、たいへんな栄誉でしたし、このご時世では、唯一の生き残る道でもあったのです。

妖精たちは巨人の目をひくため美を競い、さらに美しく、艶やかに変化していきました。透明な羽を虹色に輝かせ、やがて羽は四枚になり、八枚になり、しまいには二十四枚もの羽を背負って、重くてとうてい飛べないような者まで現れました。

もともと妖精の足は退化していますから、地面を歩くことすらままなりません。飛べない妖精は、ほとんど動くこともできずに、紅色の巨大な牡丹の真ん中に腰かけて一日中髪を梳いているのです。

そんな暮らしでは、さぞ不自由だろうと思いきや、このような妖精ほど自由な存在もありませんでした。「うん」とちいさく咳ばらいすると、どこからか巨人がやってきて、おおきな手のひらに乗せ、どこへでも連れていってくれるからです。

このように、妖精たちは、じぶんでは何もできず、手がかかればかかるほど深く愛され、そして愛されれば愛されるほど、うまく巨人を操るのでした。


さあ、でも、このお話の主人公は、そんな巨人の庭とは縁のない、荒れ野に住む、みすぼらしい妖精なのです。

この妖精は巨人には見向きもされませんでした。貧弱な羽しか持っておらず、全身がなんだか色褪せていたからです。

荒れ野にも食料となる花はあります。でもそれは、トゲのあるパサパサしたアザミで、岩陰にわずかにみつかるだけ。それも戦火に焼けこげたり、血でどす黒く汚れていたりするのです。

それでも貴重な食料ですから、この妖精は、喜んでむしゃむしゃ食べました。

おおかたの妖精は口にあわず、食が細って死んでいったのですが、この妖精は、逞しく食べて生き抜きました。

ただ、そんなものばかり食べていたせいでしょう、気づくと黒光りする異様な風体になっていました。

そして、血に浸したり火で焼いたアザミには、特殊な効能がありました。

妖精族が生まれつき持っている「現実を遠ざかる力」を、とても強くする成分が含まれていたのです。

現実には幸福でなかった妖精ですが、この「現実を遠ざかる力」のおかげで、そこそこ幸福に暮らしました。

彼女の目に、戦火は美しい花火に、争いは金や銀の絵巻物、ときに劇的に、ときに優美に、ときに滑稽に、季節が変わればまた景色も移り変わって、無限に楽しむことができたのです。たとえば、ひとり丘の上に立ち、黄金に染まった雲を眺めるだけで、深い喜びに満たされるのです。


さて、それから何百年も時が経つと、状況が変わってきました。巨人が徐々に数を減らしていったのです。

なぜかというと平原に生まれた人族が、たいへんな繁殖力で、またたくまに世界に広がっていったからです。

人族は巨人族に負けないくらい戦争が好きで、ひとりひとりは弱くても大勢で団結して戦いますし、また、その戦いぶりは陰惨きわまりないものでした。

巨人族は、戦いが好きと言っても、ただ暴れるのが好きなので、単純な力比べを好むのに対し、人族の戦いは土地を求める戦いですから、敵を生かしてはおきません。奴隷にしたり、見せしめとして首をさらしたりするのです。

このような人族の所業に巨人族は恐れをなしました。一対一なら負けることはないでしょう。けれど囲まれてしまえば、どんな猛者でもいつかは倒されてしまいますし、それに、倒された者に対する仕打ちときたら、想像をはるかに超える残忍なものだったのです。

人族の暴虐に対抗するためには、魔族と手を組むしかありませんでした。

魔族は、数こそ少ないものの、魔法の力で人族を翻弄します。

けれども、その魔法の力を増幅するために、妖精族の持つ「現実を遠ざかる力」が必要だったのです。

魔族は巨人族との取引で、庭に囲っている妖精たちを生贄として差し出すことを要求しました。

囲われていた妖精たちに、みずから戦う力が残されているはずもありません。あんなにも愛されていた妖精たちですが、巨人たちの手によって次々と魔族に引き渡されていきました。

なかには巨人の苦悩を知り、みずから魔族のもとへ旅立つ妖精もおりましたが、おおよそ事情を知らないうちに、または知っても納得のいかないまま、泣く泣く連れていかれたのです。

このとき、好きあった妖精と、どうしても別れることができず、駆け落ちする巨人もいました。けれど、その巨人は、すぐに思い知ることになります。

「離さないでね、ずっといっしょよ」

手のなかで囁いていた妖精がどんどん弱っていき、最後には虫の息で、

「もういいの」

と呟くのです。

「わたしを魔族のもとへやって、あなただけは助かって」

美しい妖精は、囲われた庭を離れて生きていくことが出来なかったのです。干からびていく妖精を手のなかに包み、巨人は大きな体をまるめて泣くことしかできませんでした。

また別の巨人で、庭を囲う壁を壊し、妖精族を解放しようとした者もありました。すぐに仲間の巨人によって粛清されてしまいましたが、そのとき、逃げのびた妖精がわずかながらにおりました。

この妖精たちが、ほうほうのていで逃げのびた荒れ野で、ついに黒い妖精に出会うのです。そう、アザミを食べて生き延びた、あの黒い妖精です。

けれど、その黒く不吉な姿は、彼女たちにとってあまりに思いがけないものだったのです。ただ怯えおののき、忌み嫌うばかりで、なかよくできるなどと想像することすらできません。彼女たちは、ただ美しかった庭を忍んで、ひたすらに思い出のなかで歌いながら、飢えて死んでいく道を選んだのです。

いっぽう黒い妖精は、死にゆく彼女たちを、限りなくじぶんに近い者と認識しました。

けれど追いかけると逃げていき、近寄れば近寄るほど遠ざかってしまいます。仕方なく、すこし離れたところからみつめていますと、震えながらひとつところに集まって、その場所で幻想の火を灯し、夢のように美しい、失われた楽園の歌を歌いはじめたではないですか。

そこでは、とりどりの花が咲き乱れ、鳥が歌い、川が流れ、たくさんの妖精が遊んでいます。みな透き通るような肌と虹色の羽を持ち、この世のどこにも憂いなどないとばかり幸福そうに微笑んでいます。

そんな光景を、今までにいちども見たことがないし、想像したことだってありませんでした。黒い妖精は、幻の楽園に夢中になって見入りました。

やがて彼女たちの命が尽き、幻想の火が消えてしまうと、黒い妖精はみずから歌いだしました。再び楽園を蘇らせるために。

幻想の火は尽きることなく溢れだしました。

やがて荒れ野いっぱいに広がって、ひとつの丘ができあがり、その丘全体が花園になりました。それほど黒い妖精の力は強かったのです。

そこでは死んでしまった妖精たちも、まるで命をとりもどしたかのようにクスクス笑いながら飛び回っています。

「ごきげんよう、黒の女王さま」
「夜露はいかが、黒の女王さま」

みんな黒い妖精を慕って朗らかに話しかけてきます。誰もかれもが毎回きまって同じことしか言わなくても、それは仕方ありません。本物の彼女たちとは、いちども話したことがなかったのですからね。

そして、この楽園に巨人の姿はありませんでした。庭を囲う壁もありません。

なぜならそこは「現実」ではないから、現実に生きる者たちに干渉されることはないのです。ですから壁は必要ありません。

黒い妖精は、この丘のてっぺんに鈴蘭の宮殿を建て、花園の主として君臨しました。そして、いつまでも幸福に暮らしたのです。


やがて、魔族と人族の戦いは、人族の勝利に終わりました。巨人はとうに滅び、魔族は人族の目を逃れて山の奥へ奥へと隠れ住むようになりました。人族は数を増やし続け、落ち延びていく魔族の首を執拗に狩りました。

そんなある日、ひとりの魔族の青年が、この丘に迷いこみました。

「これはいったいどうしたことだろう」

魔族の青年は驚きました。

そこへ、ちいさな妖精があらわれて説明しました。

「ここは黒の女王が治める楽園です」

また別の妖精があらわれて、こう説明しました。

「わたしたち妖精族の故郷です」

けれど、その妖精たちに実態がないことは、すぐに見て取れました。そもそも妖精族はとっくに滅びていたのです。

それでも、これほど巨大な「現実を遠ざかる力」を目の当たりにしたのは初めてでしたし、この花園の美しさには、ただただ目を見張るばかりでした。

青年が女王への謁見を申し込みますと、ほどなく花園の奥へと案内されて、ふたりは出会いました。

黒の女王は濡れ羽烏の色をした堂々たる体躯の立派な女性でしたが、これもまた実態でないことは、魔族の青年にはわかっていました。

青年は、ことさら丁寧にお辞儀をすると女王のご機嫌を伺いました。そして、アザミの花束を献上しました。

すると女王の側近はたいへんに喜んで、口々に言いました。

「これほど多くの花々に囲まれていても、女王さまは枯れたアザミしか口にされないのです」

「近年では採取がたいそう困難になっておりまして、わたくしどもも難儀しておりました」

青年は、そうでしょうと肯いて微笑みました。彼の目には、干からびたアザミを口に含み、からだをまるめて眠り続けている、いまにも死にそうな妖精の姿が見えていました。弱々しく、羽は抜け落ち、髪も体も薄墨色で、カサカサに乾いており、すこしでも触れると、もろもろに崩れていきそうでした。

けれど命尽きようとしてなお、幻想の火は尽きることなく燃えさかっています。

青年は強く胸を打たれました。

この周辺の現実は、人族に開拓された農地に囲まれていました。けれど「現実を遠ざかる力」のおかげで、この丘ひとつがまだかろうじて手付かずで残っていました。

しかし、人族というものは、こうした繊細なものに対してとても不躾です。いつ土足で踏み込んでくるかわかりません。

楽園は「現実」でなくとも、妖精は現実に存在するので、実態が攻撃を受ければ、あっというまに壊れてしまうでしょうから。

それで青年もまた、命を懸けた一世一代の魔法をかけました。

まず、現実のこの場所が決して誰の目にも触れないよう厳重に結界を張りました。それでいて、この楽園には誰でも簡単に出入りできるようにしたのです。人族でさえも。いいえ、この世で最も繁栄している人族こそが、この楽園の主な客人でした。

それまで現実しか知らなかった人族は、ふとした拍子に、この楽園に迷い込むようになりました。それは悲しみに浸っているときや、孤独を求めるときなどでした。

そう、たとえば「どこか遠くへいってしまいたい」と考えるようなとき、ひとりで丘の周辺を彷徨っていると、突然、目のまえに花々が咲き乱れ、妖精たちが戯れる夢のような光景がひろがるのです。

そして楽園の主、麗しの黒の女王があらわれて、ありとあらゆる快楽でもてなしてくれるのでした。

それがあまりに楽しくて、この場所を訪れた者は、しばらく現実を忘れました。

人族は、このとき初めて「現実を遠ざかる」ことを覚えたのです。

これにより人は、おおいなる慰めを得ました。現実を遠ざかることで悲しみを忘れ、孤独を癒し、また現実へと帰っていくのです。

けれど、それから何百年、何千年と経つうちに、魔族の青年が、この楽園に忍ばせた毒が、徐々に人族を侵しはじめました。

あらゆる不幸に立ち向かうより、幻想の庭に暮らしたほうが、よほど幸福だと気づいてしまったからです。

こうなると人々は楽園を追い求め、じぶんたちでも、つくりだすようになりました。

けれど黒の女王と違い、人族は生まれつき幻想の火を持ちません。もし稀に持つ者があらわれても、あっというまに燃え尽きてしまいます。

そして、儚く燃え尽きるからこそ、かけがえのないものとし、ますます人は、実体のないそれを追い求めるようになりました。

いま人族は徐々に数を減らしています。

現実のなかだけで生きるものが減ったからです。みなで楽しい夢を見て幸せに暮らしていましたが、あまりに現実を見なくなったので、寿命が短くなり、近頃ではもう、たった百年ぽっちしか生きられなくなったのです。


『誰からも欲しがられない妖精の子』おわり

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