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「商売の放棄」から見えてきた、仕事とお金、ものづくりの喜びの本質のこと

この記事は、着物職人・松波さゆりさん(以下、さゆりさん)と筆者の自然な会話に、筆者が解説を加えたものです。「働くとは何か」「仕事の喜びとは何か」「お金とは何か」「生きるとは何か」と、大変深い示唆を与えてくれて面白かったので、書かずにいられない衝動とともに文章にしました。

私たちの生きる社会の本質が垣間みえるお話なので、皆さんと共有したいと思います。

早くマスクを縫いたくて、朝起きるようになった

マスクを縫っていると楽しいんです。
早くマスクを縫いたくて、朝起きる。
納期に迫られて起きるんじゃなくて。
時間を忘れて縫っている。
喜びが乗ってるんです。
私自身も作る喜びを思い出させてもらった。 

さゆりさんは、このマスク作りについて、こんな風に語っておられました。
「早く仕事がしたくて朝起きる」。こんな生活は、働く人にとっての理想のあり方だと思います。それでは、どうしてさゆりさんがこのような心境が生まれたのかを辿ってみたいと思います。

「お守りマスクプロジェクト」について

この「マスク作りのプロジェクト」は、さゆりさんが持っていた生地を大放出して、1つ1つハンドメイドで縫って、僧侶のご祈祷を加え、「お守りマスク」として必要な人に贈るというものです。

この最大の特徴は、「お代金(=対価)をもらわない」点です。

寄付を頂けることは嬉しいけれど、あくまでそれが前提ではなく、「自分が作りたいから作っている」ということが、これの前提です。
このことを、さゆりさんはこんな風に表現しておられます。

このマスクも、お金だと思って作っていないから、私も楽しいんです。
もらった人も喜んでくれてリピートして注文してくれるし、「東京に娘がいるから、お守りに」って言ってくれて、いい循環しか生まれてきません。
マスクをもらったことで、お代金のような意味合いで寄付して頂ける人もいますが、それがいくらだって私にとってはどうでもいいことなんです。

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仕事に喜びが乗らない現代の経済システム

会話の中でさゆりさんは、対価を前提にした現代の経済やお金のシステムが、職人の仕事の喜びを奪っているのだと指摘しておられます。この話を聴いて、みなさんはどんなことを感じられるでしょうか?

このマスクは、プロの職人が見返りを求めずに本気の趣味で作ったものなんです。プロがお金の心配を一切せずに、良いものを作ったら、こんなに良いものが出来あがるということですね。
職人はただ、いいものを作りたい。必要な人のために作りたいだけなんです。
お金がほしくてやってるわけじゃない。
でも今の経済社会の中だと、仕事に値段をつけざるを得ないですよね。
そうなると、このマスクが周りの業者と比べて高いのか安いのか、というに話になって、職人は思う存分手をふるえない状況が生まれてきます。
そんな社会では、多くの人は陶芸作家のお皿と100円ショップのお皿の違いもわからなくなるし、ドイツのクラフトマンと違って、職人は内職のような扱いになってしまうんです。
これは、着物職人だけじゃなくて、農家や工芸職人など、全ての仕事に共通している観点だと思います。仕事に喜びが乗らない流通システムになってしまっている。
何かをするスタートするときに、お金から始めると、喜びが生まれにくいんです。
みんな、思いやりとか誰かの力になりたいと心の中では思っているのに、「でもお金が」って思ってしまうと何もできなくなってしまう。
心からやりたいことを、ただやりまくれる社会ってすごく楽しいから、そんな風に、ものづくりの世界でもシフトしてほしいです。

聴き手である私は、「仕事に喜びが乗らない流通システム」という言葉がとても印象に残りました。「お金を前提にして何かをすること」が、仕事の喜びを奪う要因になるのだと感じたのです。

ファーストファッション産業の闇

洋服産業って、「来シーズンはこれ」と決めて大量に作るんです。
在庫過多になってロスも多いし、売れ残りはセールします。
安く多く作れるのは、廃棄を見込んでいるからです。
なぜ安いかというと、貧しい国の人の奴隷のような労働で成り立っているから。
世界がハッピーになるかどうかもわからないのに、ものは大量に作られるこの仕組みって、喜びを生んでいないと思うんです。
素材もロスだし、人の魂もロスしてる。
今の若い世代は、安さの裏側の意味も感じれるようになってきていますね。

本来、服を着るという人間が、いつのまにか服によって働かされるような、そんな主従の逆転が起きているような印象を受けました。

古きよき和服の仕立て文化

今の日本では和服が生活と乖離してしまい、仕立て文化もなくなりつつあります。「服はディスプレイで売られているもの」と、既製品を着るのが当たり前になっていますが、日本人が和服を着ていた頃は、仕立て屋に布を指定して依頼するのが当たり前でした。
和服はフルオーダーだから、在庫を抱えないんです。
「この柄が好き」「これがいい」と選ぶのが楽しくてワクワクするし、自分が思った通りのものを買えます。これって心の交流が生まれるし、すごく目の前の人をちゃんとハッピーにできる仕組みだと思います。

このマスク作りでも、「プチオーダー」としてオーダーメイドでも作っています。
今すぐ欲しいじゃなければ、簡単にできます。
注文いただいた方は、「何が届くのか待つ時間が嬉しい」って言ってくれます。

今は、いつでもどこでも、服は好きなだけ手に入る時代です。そんな時代において、「私のために作られたもの」というオーダーメイドの文化は、1つの選択肢として可能性を感じました。

さゆりさんは今、「晴れ着ではなく、普段着として簡単に着られる着物」を開発して、和服に新たなイノベーションを生み出して普及しようとしておられます。
仕立てという文化が、また日本でも違うかたちで見直されていけばいいなと思いました。


お話を伺った人:松波さゆりさん(一級和裁技能士)

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1985年岡山県出身
2008年京都精華大学芸術学部 テキスタイルデザイン分野卒業
10代の頃から布に心惹かれ、人と布との心地よい関わりを作りたいと考え始める。高校卒業後、染織を学ぶため芸術大学に進学し京都に移り住む。大学卒業後、京都の和裁所で6年間の修行を経て独立。
通常の着物のお仕立てはもちろんのこと、芸舞妓の衣装やテレビドラマの衣装などの縫製も手掛ける。また、アンティーク着物の再生も得意とし、数多くの着物を甦らせる。日常的にごく当たり前に着物を着る方法を再発見し、リアルな日常着としての着物の普及活動を行う。
併せて、日々の暮らしに寄り添う新しい着物の開発も行っている。
伝統を大切にしながら、現代に生きる衣服としての着物を日々設計している

お話を聴いた感想

お話を伺う中で、さゆりさんの「労働」や「仕事」の概念が、アップデートされたように感じました。もしかしたら、「仕事の喜び」も、質的に変化したかもしれません。

市場原理の中で、自分の仕事や商品に値段をつける。
商品には、販売戦略を立て、マーケティングして、市場分析をして、ブランディングして、SEO対策をして、差別化して、デザインを美しくして、コストカットして・・。
個人では、作業効率をあげ、モチベーションをあげ、集中力をあげ、生産性を高め・・・

「さゆりさんの仕事」を見ていると、そういった「努力」や「競争力」がとても陳腐なものに見えてきます。多くの企業や人が、その膨大な「仕事」をした結果として、世界や人々は、喜びに満ちた方向に行っているのだろうかと思えてきます。

私にとっては、大きな車輪の中で、止まったり休んだりすることが許されず、代替可能な機械部品として、不安を抱えながらいつまでも走り続けることを暗に強要されているラットレースのように見えました。それが現代社会の経済システムの姿だと思います。この辺りの詳しい洞察は「私たちの不安の根源はどこからきて、それはどうすれば解消されるのか?」で指摘しました。

「さゆりさんの仕事」は、シンプルに「お金を前提にしない仕事」が喜びにつながるということを、とても示唆的に示してくれています。

「見返りや結果や期待を手放して与える」「値段をつけない」ということは、「お金の常識」で暮らしている現代の私たちにとって、とても不安に感じたり、勇気や覚悟がいることかもしれません。けれどその先に、さゆりさんが見つけた豊かな世界が広がっているのです。

私たちは、この豊かな世界の存在を多くの人たちと共有したくて活動しています。これが生きた仏教の本質的な価値であると信じて、まさにこの価値観をベースにして組織を運営する挑戦をしています。

この記事や、私たちの活動に関心をもっていただいた方は、ぜひ個人や企業での活動に取り入れてもらったり、私たちの活動に関わっていただければ嬉しいです。




文章: 淺田 雅人(一般社団法人 日本仏教徒協会 事務局長)

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社会実験家。大手旅行代理店を経て、NPO法人場とつながりラボhome’s vi を創業。京都市上京区まちづくりアドバイザーでの経験から、京都市上京区を未来の社会実験都市と位置づけ活動。海外100拠点の社会起業家コミュニティImpact Hub Kyotoに従事。従来の社会活動の限界を感じて、無期限の活動停止と主夫生活を経て現職に復帰。「幸福度を高める地域システム構築」と「家族の持続可能性」と「人類の意識の進化」を研究している。


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