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一家に一人 かかりつけバリアン

大学4年のときに初めてバリ島へ貧乏旅行して以来、バリに魅了され、20代の頃、半年に一度大型連休を取ってはひたすら通ってバリで過ごしていた時期があります。

現地の人々にあいさつしたり、片言のインドネシア語で話しかけると、とても喜んでくれて、親切にしてくれるのがうれしくて、大学の英語科時代のときの英語勉強より、インドネシア語の勉強に毎日励んでいました。
インドネシア語がマックス上達したと感じたのは、エステで担当してくれたジャワ島からの出稼ぎ女性とおしゃべりしたとき。気づいたらお互い身の上話を一時間もしていて驚きました。

わたしがそれほどまでにバリにはまったのは、バリの宗教感にも影響があります。バリは、神の島と呼ばれているほど、人びとの生活は神さまと共にあります。

初めてバリ島に降り立った夜のことを今でも覚えています。
何か大きな存在に守られ見つめられているような厳かな空気感。
海にも山にも田んぼにも風にも池の蓮の花にも、神の存在を感じました。

地元の食堂でひとりで食事していたとき、「サンバル」という辛いソースがほしいとリクエストしたことをきっかけに、お店の女主人と会話が始まりました。
その人は後にわたしにとってバリのお母さんのような人になりました。バリの民族衣装をオーダーメイドで作ってくれて、バリの寺院で行われる礼拝やお祭りにも連れていってくれました。

わたしはますますバリの神秘性に魅せられていったのですが、そんな中、友人から「バリアン」の話をききました。
バリアンは、病気のときに薬草や漢方薬を処方してくれたり、占星術や手相や人相占いをして未来を読んでくれたりする医者や占い師のような存在です。
どの家にも一人かかりつけバリアンがいるそうで、沖縄のユタに似ています。

わたしもバリアンに会いたくなり、友人の紹介で会いに行きました。
バリアンはわたしを鑑定してくれて、なぜわたしがバリに魅了されるのか、バリの神さまとわたしの関係、わたしの将来のことなどたくさんの話をしてくれました。
そのうちのいくつかは、いまでもわたしの人生で大きな支えになっています。

どうしてそんな昔の話を思い出したかというと「食べて、祈って、恋をして」というジュリア・ロバーツ主演の映画を今日たまたま観たら、まさにそのバリアン (クトゥッさん) が冒頭シーンに出てきたからなのでした。 

バリアンの敷地の入り口、庭木の様子、鑑定を受けたテラス、飾られていた絵画、すごくなつかしく、うれしく感じました。
この20年近くバリには行ってないけれど、こんな唐突に再会を果たすなんて、そろそろバリに呼ばれているのかなと感じます。

また行きたいなー!


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