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ワーク&シュート 第9回

 孤独がどうした。ずっとぼくは自分にとって都合のいい他人がどこかにふと現れて面白楽しい生活が始まるものだと思っていたのだ。無自覚のうちにそう望んでいたのだ。そんな人はどこにもいない。一人でも抵抗を続ける。プロレスを守るのはぼくだけだ。気が進まない就職活動などもうやめた。やはりプロレスと関わって生きていきたい。ぼくは自分の使命を既に知ってしまったのだ。あとは実行するのみ。
 バイトで貯めたお金がそこそこの金額になっていたのでついにパソコンを買い、プロバイダも契約して実家にADSLの回線を引くように注文した。これからの時代はインターネットである。ぼくは自分の部屋にパソコンを設置しブロードバンド回線をつなげると、早速電脳の海のなかに潜り込んでプロレスに関係する情報を検索、リンクを次々にたどっていった。
 プロレス団体の公式サイトはもちろんファンが作った非公式のサイト、ニュース記事など片っ端からから読んでいく。さらにインターネットというのは凄いもので今までビデオ販売されていなかったプロレスの試合の映像なども再生できるサイトがあったりして、ぼくは本屋の立ち読みではなかなか知ることのできなかった知識を得ていった。
 そしてそれらのサイトの管理人に感想や意見を電子メールで送っていくのだ。インターネットの強みはこれだ。まったく知らない人にもこうやって手軽にコンタクトをとることができる。掲示版のあるサイトにはときどき書き込みをしていった。しかしぼくの送ったメールや書き込みへの反応はすぐには返ってこなかった。全国あらゆる人々が閲覧し、書き込みや電子メールのやりとりをしているのだから、ぼくというたった一人の言葉にいちいちリアクションが起こらないのも無理はない。ぼくは気長にねばり強く投稿を続けることにした。
 そうして四回生に進級し、残っている単位はわずかであったので週二日のみ大学に通い、あとは自宅でひたすらパソコンの前で過ごした。ちなみにバイトはパソコンの購入とともに辞めている。インターネットを見て回るうちに、気分の悪い記事を見かけることがある。そこらの掲示板でもプロレスを八百長だのレスラーは弱いだの言っている輩がいて、ぼくはそんな記事を目にする度に反論を書き込んだ。「じゃあお前、PRIDEに出ている連中がロープ・ブレイクのあるルールで戦ったらどうなると思う? 場外に逃げてもカウント20で戻ればいいっていうルールならどうなると思う? PRDIEでプロレスラーが負けるのはPRIDEのルールに従ってるからだよ。何度も言うけどPRIDEだって真の何でもありじゃない。本当の何でもありだったらやっぱりプロレスラーに分があるんだよ」とか書き込んだ。ぼくが守なければ。
 そしてパソコンに向かっていないときは体を鍛えた。腕立て伏せに腹筋、そして近所のランニングも始める。もちろん本気で今からプロレスラーを目指すというわけではないが、口先、いやキーボード先だけ偉そうで、体は二十一にしてメタボリックというのはまずい、と思ったからだ。ランニング三日目で膝の関節に炎症を起こしたが、整形外科で治療して二週間後にまた再開した。腕立ても十回すら出来なかったが、ひと月もすると十五回できるようになっていた。トレーニングをした箇所が翌日激しい筋肉痛に見舞われるのだがこれが慣れてくると快感になる。今までまったく意識していなかった腕が、脚が、腹筋が、ここにある。ぼくはこんな筋肉たちに今まで支えられてきたのか。
 そして本屋でボクシングやムエタイ、柔道やレスリングなどの教本を買い、自宅で一人、本の写真と同じポーズをとって技の研究をした。プロレスは格闘技ではない、と馬鹿にするのなら研究してやろうではないか。プロレスそのものの教本は存在しないが、プロレスの技術はこれらの格闘技の集大成のはずなのだ。

 そんなふうに過ごしていた夏、新日本プロレスから離脱した小川直也や藤田和之らが“猪木軍”と称して立ち技格闘技の大会であるK1の選手と異種格闘技対抗戦を行なうという動きが格闘技界を騒がせていた。ネットの掲示板などでは八百長のプロレスが真剣勝負で普段から戦っているK1の選手に勝てる訳がないといった書き込みがいくつかあった。

875 アホか。キックボクシングのルールで戦うならいざ知らず、総合ルールでやるんだったらK1なんて寝っ転がされたら何もできやしないだろ。やるだけ無駄だって
876 >875だからヤオレスラーになんか捕まらないって。お前喧嘩もしたことないヘタレだから知らんのだろ。ヤオレスラーがキモく抱きつきに来る前にワンパンKO
877 >876素人の喧嘩と格闘家の試合を一緒にすんな。ワンパンKOなんてK1の試合でも滅多にないだろが。Kuso1こそキモいクリンチばっかり

 ぼくはプロレスラーの強さを信じていた。普段はプロレスにとって敵のように思っていた小川も藤田も、プロレスのリングで戦ってきたわけであり、大きな枠で見てみればプロレスラーなのだ。レスリングに持ち込めばパンチとキックだけの選手など問題ない。掲示板ではK1派と猪木軍、つまりプロレス派の罵り合いがヒートアップ、収集がつかない状況になっていた。
 そして2001年の夏、藤田和之とK1のミルコ・クロコップの総合格闘技ルール(PRIDEと同じルール)の試合がK1のリングで行なわれた。藤田はオリンピックこそ出ていないがアマチュアレスリングで数々の実績をひっさげてプロレス入りした実力者。それに凄まじく分厚い筋肉をまとっていて、見た目はゴーレムだ。ミルコ・クロコップはパンチ、キックの破壊力は高いがK1の優勝経験はない。まして寝技などまったくできない。こんな簡単な相手はいない。
 ゴングが鳴る。藤田が一気にミルコの脚にタックルを仕掛ける。しかし間合いが遠くてかわされる。もう一度仕切りなおしてお互い射程距離外で牽制し合う。藤田がまたタックル。これも遠い。闘牛士のようにひらりと交わすミルコ。しかしこうやっていつまでも逃げきれるものか。それにしても藤田、脚へのタックルは失敗したときのリスクが高いのに何で脚ばっかりなんや。胴へタックルしたほうがええんちゃうか……とぼくが思ったそのとき、藤田のタックルにミルコが膝蹴りを合わせた。カウンターだ。ミルコの膝は藤田の顔面にヒット、しかし藤田はミルコの脚をそのままとらえてテイクダウン。やった。寝技になったらこっちのものだ。
 と思ったらレフェリーが試合を止めた。テレビが藤田の顔を映すと尋常でない量の血が額から溢れだしている。藤田のTKO負けだというのだ。藤田はミルコの上に被さってまだ攻撃を続けようとしているのに。
 あのままもう数分試合を続けてくれたらミルコはあっさりと藤田のレスリング技でギブアップしていたはずなのに、とぼくは解釈していたのだがスポーツ紙や雑誌、そしてネットの反応はミルコのKO勝ち、という捉え方をしていた。プロレスが負けたのか。グレイシーに続いて、今度はパンチとキックしかないキックボクシングに。
 プロレス・格闘技関連の掲示板ではそれ見たことかの書き込みや、いやPRIDEのヘビー級の選手ならミルコには楽勝などの意見が見られた。もうプロレスラーが強いという主張は客観的に虚しく映る。
「そんなん、あの微妙な裁定のせいやないか!」
 ぼくはこの現状に憤り、自分が書き込まねばプロレスが今度こそ負ける、という思いであちこちの掲示板で戦いまくった。いろんなところで「荒らし」認定されアクセス禁止を言い渡された。やり場のない怒りがたまると外に走りにいき、部屋に戻ってトレーニングを始めた。親は何度かぼくを呼びつけいろんな話をしたのだがすべて受け流した。そういうことやないねん、ぼくが生まれてきた意味を果たしたいだけやねん。
 インターネットだけでもこれだけ多くの敵が存在する。一人ずつ、いや一レスずつ戦っていかねばならないのだ。ぼくの思い出がつまった試合の数々を、学校で味わわされた悔しさの分だけ蓄積された誇りを汚されてたまるか。八百長じゃない。弱くなんかない。ぼくは一日中パソコンの前に座り、検索、リンク辿りを繰り返して敵を探して回った。お前なんかワンパンで倒せる、お前なんか片手で捻って骨折させてやる、お前なんか頭突き一発で鼻骨粉砕させてやる。死ね死ね死ね死ね。何も知らないアホどもにぼくは攻撃を続けた。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。ぼくの電子メールの受信箱にはいろんな悪口雑言が毎日届けられていたが、まったく意に介さない。プロレスラーは打たれ強いのである。
 とそこへ「大学へ行け」と父がぼくの部屋に怒鳴り込んできた。一瞬ひるんだがぼくは日頃鍛えた力で抵抗を試みる。ここがぼくの戦場なのだ。まず胴タックルで組み付き、足を外から引っかけてハーフ・ガードポジションの形にテイクダウン。するっと父の両足に挟まれた自分の左足を抜いて横四方固めの体制に入ると袈裟固めで頭蓋をロック、さらに自分の脚で父の左腕を逆Vの字に固めるという複合技“Vクロス”の完成をイメージしていたのだが最初の抱きつきで思いのほか父の体重が重く、足を引っかけてもバランスが全然崩れずにずっと抱き合ったまましばしの間止まってしまった。このままでは感動の親子の和解の構図になってしまうと思い、手で父の顔をかきむしり嫌ぁ~な感じを味わわせた。やがて指が父の眼鏡の下にもぐり込み眼球に触れ、父は「ウッ」と顔を背け体の力が抜けたので体をぼん、と押して部屋の外に追い出した。そしてドアを閉めて鍵をかける。「お前の先輩や言う人が心配して電話してくれたんやぞ。好きなプロレス見に行こうとか言うて」とドア越しに言っているようなのだが、もはや後には引き返せない。


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