誕生日

 先日は家族の誕生日だったのだが、いつも誰かの誕生日になると考えてしまうことがある。

「産んでくれてありがとう」と当人の母親を労うべきなのか、「誕生日おめでとう」と当人が生まれて来ていまだ命があることを祝うべきなのか。もちろん、双方に対してねぎらい、祝うことが理想的なのはわかってはいるのだが、入試並みに「どちらかを選べ」と言われたら人はどちらを選ぶのだろう。

第三者的に見ていると母親が8ヶ月も通常とは違う生活を送り、散々大変な思いをして産んでいるのだから子供は「出て来ただけ」とも思えるし、「出て来るだけ」でもそれは立派な運と力でもって生きている印象も捨てられない。

なので私はいつも選び切れずにいる。

 そしてこういう話題を考える時、何故父親の存在がほぼ無視されてしまうのかも私の頭を悩ませる。当事者なのに当事者ではないような扱いを受ける場合があったり、妙に立ち位置が下だったり。男女平等が声高に叫ばれる時代は当の昔に過ぎたのに、なんだか全然「横並び」になってない感覚を覚えるのだ。

いつだって問題は問題のままで、私は頭の中で治らない便秘を抱えている気がしてならない。

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