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自殺納棺の現場から「怒られればいいんだ!」(無料)

少し寒さが緩んできたある日。私は大ベテランの先輩と現場に行った。
そういう立場の場合、私は処置や化粧などをせず、勉強もかねて完全にサポートに回る。

現場につくと、葬儀担当がやってきて言った。
「納体袋に入ってる」

ホール控室に入ると、グレーの袋に包まれたご遺体がそこにはあった。
この瞬間はいつでもドキッとする。開けたらどんな状態が出てくるかわからないからだ。血まみれか、ぐちゃぐちゃか、蛆がわいてるか。なにがあってもおかしくないのだ。

まだご家族は来ていなかった。二人で納体袋を開けにかかる。ジッパーを下すと、そこには50代くらいの、ツルツルの頭をしたお父様がいた。

首には赤い紐の痕があった。首つり自殺だ。
聞くと、発見から二日経っていたとのことで、状態も危ない。
目、口の処置などをしながら、ガス腫れの予兆がないか確認する。

とある部分を指で押す。
シャリ、シャリ。細かい氷を触ったような感触がある。

もう一か所。
シャリ、シャリ。

これだ。

「ガス腫れするね」
「そうですね」
「納棺気をつけてね」
「はい」

そうこうしているうちに、若い女性とおじさまがやってきた。
ご挨拶をする。喪主は、若い女性。娘さんだった。
ぶっきらぼうに対応される。
どうしたらいいのかわからないのか、時折こちらを見ては、目をそらす。

少しずつ人が集まってきた。
言葉は少ない。

お清めを進める私たちの後ろで、ぽつ、ぽつと会話が始まった。つい、聞き耳を立てしまった。
すると、とんでもない事実が発覚した。

この男性は喪主のお父様。
一年前に奥様を亡くし、それから自暴自棄の生活を送っていたそうだ。
酒に溺れ、仕事もせず、毎日家の中で荒れ狂っていた。
そんな状況で同居していた喪主の娘は、仕事に出ていた。
二日前、夜、家に帰ると父親が見当たらない。

どこにいった?家の中を探しまわる。
どこにもいない。
脱衣所のドアノブに手をかけた。
その瞬間、グッと腕に重みがかかった。

重い。
引き抜くと、そこには、首をくくった父親がいたのだった。

娘に、手をかけさせたのだった。

衝撃の事実に驚きながらも、背を向けて仕事をしているうちに、娘さんは号泣しだし、怒声を上げた。

「許さない!許さない!絶対許さない!」

だれも娘さんを止めることはできなかった。
うわあうわあと泣き叫ぶ娘さんを、親族が支える。

「私に手をかけさせた!準備万端にしていやがった!」

たしかにそうだった。髭がほとんど伸びていなかったのだ。
死後二日経てば皮膚の収縮によって毛根が飛び出し、髭が伸びたように見えることはあるけれど、それもほとんど見られないほどにきれいに剃られていた。
お父様は、準備をしたのだ。

身体のわきにはウイスキーの瓶が転がっていたそうだ。

「泥酔して!毎日毎日!なにもしやがらなかった!あっちでお母さんにどんな顔して会うつもりだ!この馬鹿野郎!」

泣き叫び、混乱に陥る。
自分が殺した。そう錯覚しているのだろう。
事実は違う。ただ、結果がそうなっているのだった。

淡々と進めるしかなかった。
お清めもご案内することはやめた。

旅支度をしていたときだった。
左手の指に、シルバーの指輪がついていることに気が付いた。
結婚指輪。そう、直感した。

これは、どうしよう。
本来ならお返ししなければならない。
ただ、この状況で、指輪を返す行為がまた娘さんを傷つけてしまうかもしれない。

先輩に相談した。
「あの…。指輪、してるんですけど」
「…うーん。抜ける?」
「やってみます」

グッと力を入れる。案外あっさりと指輪は抜けた。
忘れないように枕飾りの上に置く。

泣き乱れる娘。何もできない親族。
そんな中、淡々と進めるしかなかった納棺。

蓋を閉め、失礼しようとしたときに思い出した。
指輪だ。

「失礼します。こちらの指輪、故人様の指にはめてあったのですが…お返しします」

すると、それを掌に受け取って、娘は、グッと握りしめた。

「あっちに行ってお母さんに怒られればいいんだ!!」

そう言って、泣き崩れた。
そのまま、私たちは存在しなかったかのように場を立ち去った。



帰りの車中、押し黙っていたところを、先輩がつぶやいた。

「口、ガスで空いてこないといいんだけどなぁ」
「…そうですね」
「タバコ吸いたいわあ」
「…コンビニはいります」

そうして二人で夕暮れの空を眺めながら、タバコを吸った思い出が、強く心に残っている。

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