退職金が外国人教員に通じない理由(メトロコマース事件)

メトロコマース事件とは、正社員に支給される退職金が契約社員に対して支給されないことは不合理ではないか、という論点で争われた事件です。実際の裁判においては、それ以外の手当や手当支給率についても争われていますが、意義あるものとしては退職金の支給有無についてとなっています。

判例の意義

「同一労働・同一賃金」について争われた本件は、最終的に正社員に対して退職金を支給する一方で契約社員に対して支給しないのは不合理と認められるものには当たらない、と判決が出ています。しかし、高裁においては不合理であると解されていたことで注目を集めていました。

退職金とは一体何か

そりゃあもらえるものはもらったほうが良いのですが、改めて考えてみると退職金とは一体何でしょうか。労働市場においては「功労報償的」なものであるとされており、税制上も優遇措置を受けるなど日本独特の性格を有するものです。では、「功労報償的」とは何かというと、簡単に言えば、「(長い間)会社に尽くしてくれてありがとうね。」という意味合いでお考えいただければと思います。

苦し紛れの英訳"goodbye money"

ここでタイトルの内容に入っていきますが、私の職場では外国人教員にも退職金を支払う必要があるので、その説明を行っても最初は全く理解をしてもらえませんでした。そもそも退職金というのは、日本的雇用慣行から生じる独特なものですので、欧米など海外の方には中々理解しがたいものなのです。

そこで、苦し紛れに"goodbye money"と伝えたところ、理解したのかしていないのかわかりませんが、頷いて帰っていきました。

前項にて退職金を「(長い間)会社に尽くしてくれてありがとうね。」という功労報償的なものであると説明いたしました。すなわち、終身雇用の名の元で、自身のキャリアパスや配置などの一切を会社に委ねることが日本的雇用慣行であり、それをもって「会社に尽くしてくれて」となる訳です。

確かに研修制度や申告制度などはあるかもしれませんが、日本の一般的な会社において人事異動や出向などは基本的に断ることはできません。これこそ、自身のキャリアパス等を一切委ねていることに他ならず、代わりに余程のことがない限り首にならない、そう、終身雇用が約束されているのです。

欧米においては自分の意志や能力にポジションが付く方式なので、このような考え方はそもそも理解できないのです。

非正規に退職金が支払われない合理性

外国人教員の例を取ってみると、わかりやすいのではないでしょうか。非正規雇用とは業務の一部を担う存在であり、人事異動や出向の対象にはなりえない、すなわち、「会社のために尽くしてくれて」とはならないということです。いや、尽くしてはいるんでしょうけれども、その、体の良い駒のように動かせるというか、うーん、難しいですね。

まぁ要するに、事業主から「明日から室蘭な」とか「お前営業成績良いな、4月から人事やってみい」といったむちゃ振りをされない非正規の方々は、功労報償的な退職金をもらえるほどは会社に尽くしていない(=尽くさなくても良い)と考えられるのではないでしょうか。

実際に非正規の立場で働いていらっしゃる方にとって、このようなものが合理的かどうかと言われれば、単純に「非正規だって頑張っているのだから退職金くれたって良い」とお考えになろうかと思います。私も心情的には同意しますが、やはり、正規非正規という身分の差は日本においては未だに大きい隔たりがあると感じます。


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