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香水小説番外編 キジブラザー

月に一度、香水の香りを嗅いで1時間以内に小説を書く企画をやっています。
今回はキャラ香水なので、完全に二次創作小説になってしまいました。
解釈違いだったら申し訳ないのですが、その時は香りのイメージが違った、ということで許してください。

今回の香水はフェアリーテイルから出ている暴太郎戦隊ドンブラザーズ キジブラザーです。

それではどうぞ。



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幼い頃、大事にしていたものがあった。
家にいるときずっとそばに置いて、撫でたり、被ったり、乗ったりして過ごした。
顔を擦り付けたところが油を吸って茶色くなったり、吐息を受けたところがくたくたになったりしても、手放すことはなかった。
抱きしめる時、それの側面で何度も腕の内側を切った。
それでも抱きしめるのをやめられなかった。
ぼくの唯一の友達は、人型に切った段ボールだった。

父は家にいない事が多くて、単身赴任なのか他所に女がいるのかさえわからなかった。母はぼくに何も話さなかった。
時折ぼくに向き直って「あなたにはお父さんがいる」とだけ伝えられた。
その度に、お母さんは会いたい?という言葉を飲み下して、「よかった」と言った。
口角と目尻をくっつけるイメージで顔を緊張させると、ちょうど笑顔のような表情になる。
辛いとき、ぼくはこの表情に集中することで、自分の幸福を実感できるような気がした。

ぼくの友達である段ボールが人の形を成す前は、箱の形をしていた。
母が珍しく小走りで郵便物を受け取り、おー、きたきた、と抱えていたのがそれだった。
母はカッターを手前に引いて段ボールに切れ目を入れると、勢いよく観音開きにして中身を取り出した。
段ボールの中に入っていたのは、ぼくの胴体ほどもあろう桐の箱だった。
箱の中から箱が出てきて拍子抜けしたのも束の間、母が桐の箱をそれはそれは大事そうに抱えて、うっとりとした。

ぼくはそんな母の表情を見るのは初めてで、桐の箱に対して畏怖と嫉妬と好奇心で心がいっぱいになった。
どんなに良いものなんだろう、いつかぼくに中を見せて説明してくれるのかな。
そう思うと、何でも頑張れる気がした。
ぼくは運動も勉強も人よりできない。でも、ぼくなりにやれば、前よりできるようになったら、「すごいね、頑張ったね」と言ってもらえるかもしれない。
あの桐の箱みたいに抱きしめて、愛おしそうに頬擦りしてもらえるかもしれない。

ぼくは頑張った。前より早く走り、テストの点を多くとった。
その度に勇気を振り絞って母に報告した。
それでも母の目線はぼくの真上を通り過ぎて、たんすの上にあるそれに向いてしまうのだった。

ぼくは母の愛を諦めきれなかった。あの桐の箱を包んでいた段ボールを体に巻いてうずくまった。暖かい気がした。
それを続けているうちに、紙の匂いが寂しい気持ちとリンクして、段ボールの匂いを嗅ぐだけで寂しくなるようになってしまった。
もう捨てよう。そう思ってゴミ捨て場に持って行った時、母のあの表情が頭から離れなくて、どうしても捨てられなかった。
この段ボールは母の幸せを運んできたのだ。
ぼくは段ボールを一面だけ破って持って帰ることにした。

母は相変わらずぼくに興味を示してくれなかったが、この段ボールの手触りが少しだけ温もりを感じさせてくれるようだった。
ぼくはこの温もり以外、何も得られないまま大人になった。
その段ボールも、中二の夏に虫が卵を産んで捨てた。

大学を出て、社会人になる年。
最後にあの桐の箱の中に、何が入っているのか、見てみることにした。
母が出かけたのを確認して、たんすの上からそれを下ろした。埃ひとつ被っていない。
金の箔押しで六文字の漢字が書いてあるが、震えたような書体でよく読めない。
蓋を外し、向こうが透けて見えるほど薄い障子紙に包まれて、何かを守るように綿が詰められていた。
障子紙を開いて綿を分入ると、そこにあったのはクシャクシャに潰れた茶色い塊だった。
小指大ほどのそれは一見すると臍の緒のようだが、なぜこんなに大きな箱に入っているのかも、なぜこんなに丁寧に梱包されているのかも、何もわからなかった。

結局ぼくは何も得ることができなかった。
ただひたすら、あの茶色いクシャクシャにぼくは負け続けていた、と言うことに憤りと絶望を感じていた。

ぼくには失うものが何もない。
項垂れると髪で視界が真っ暗になる。肩まで髪が伸びてしまった。
近くにあった美容室に入ると、花のような女性がこちらに気づいた。
「よく来てくださいました」
目を見て言ってくれた。

ぼくはその瞬間、彼女のためなら何でもできると思った。
そして今もそばにいてくれる。母によく似た笑顔で。




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